北九州の景色

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関門海峡
  下関市・北九州市  [2014/09/13]
 

                  
関門海峡は、本州側の下関と九州側の門司との間にある海峡で、東の瀬戸内海の周防灘と西の日本海の響灘をつなぎます。航路は、東口の門司の部埼(へさき)沖から西口の下関の六連島(むつれじま)沖まで、海峡の長さ28kmで、最も狭い早鞆瀬戸(はやとものせと)は幅が630mです。東口の部埼と西口の六連島には、明治の初めに灯台が建てられました。

古代より関門海峡は交通の要衝でしたし、歴史の舞台になりました。1185(元暦2)年壇ノ浦の源氏と平氏の戦いに、平氏は敗れて滅び、中世の武士の本格的な時代に入っていきました。武士の時代が終わったのが明治維新ですが、その転機になったのが1863(文久3)年の長州藩による外国船砲撃と、翌年の長州藩に対するイギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国艦隊による下関砲撃でした。長州藩は破れ、攘夷から開国に転換し、この後、長州藩は薩摩藩との連携で倒幕に邁進し、1867(慶応3)年大政は奉還され、翌年明治維新となりました。

関門海峡には、下関の壇ノ浦と門司の和布刈(めかり)の間の早鞆瀬戸、下関と彦島の間の小瀬戸、彦島と門司や小倉の間の大瀬戸がありましたが、小瀬戸は1936(昭和11)年締め切られました。1942(昭和17)年、世界初の海底鉄道トンネルである関門鉄道トンネルが大瀬戸を横断して開通しました。早鞆瀬戸には、1958(昭和33)年関門国道トンネル、1973(昭和48)年関門自動車道の関門橋、1975(昭和50)年山陽新幹線の新関門トンネルが開通しました。
最初に、関門海峡を3個所の山上から俯瞰したいと思います。まずは下関の火の山展望台からです。
明治20年代、関門海峡を挟んだ下関と北九州に砲台と堡塁が築造されました。1895(明治28)年それらを統合して下関要塞と呼称されることが正式に決まり、下関要塞司令部が発足し、砲兵連隊が配備されました。これらの地域は下関要塞地帯と呼ばれました。これらの砲台・堡塁は明治末には廃止となりますが、機密保持のため立ち入りは制限され、地域内の測量・撮影などは1945(昭和20)年の終戦まで要塞司令部の許可が必要でした。標高268mの火の山にも砲台が築造され、その遺構は残されていて、この一帯は火の山公園になっています。
   
関門海峡の東口です。左側の小島は、左から干珠、満珠です。右は門司の太刀浦で、その先の小山が部埼(へさき)で、見えませんが山腹に部埼灯台が立っています。
関門橋は、関門海峡の一番狭い早鞆瀬戸に架かっています。
火の山から南西方向で、下関の市街地が広がっています。関門海峡は左側の大瀬戸から彦島の南側を通って、右側の西口に到ります。
中央の島が六連島です。左端付近に六連島灯台が立っています。六連島の手前が航路の西口になります。
次は門司の風師山(かざしやま)からです。門司港と大里との間にある風師山には、門司港から途中まで車で行き、その後は20分ほどの歩きになります。北側にある標高364.3mの風師山の岩場が関門海峡の眺望に最適な場所で、展望広場と案内されています。
風師山については、「北九州点描」の「風師山」をご覧ください。
 
   
風師山の展望広場から北東方向です。関門橋と東口を望むことができます。
北西方向の眼下に、武蔵と小次郎の決闘で有名な巌流島があります。巌流島の右側先が小瀬戸で、水門で締め切られていますが、その先も下関本土と彦島の間には小瀬戸が続いています。その先の右の六連島の手前が関門海峡の西口になります。
南西方向で、手前の市街地は門司区大里です。対岸の彦島との間が大瀬戸です。大瀬戸が門司から小倉に入ると、関門海峡はUの字にカーブします。
3番目は下関市彦島の老の山(おいのやま)公園です。下関駅の西側を南に下り、関彦橋(かんげんきょう)から彦島に渡って、老の山公園の案内に従って北に行くと、公園の駐車場に着きます。標高106mの老の山にも明治時代砲台が築かれました。その遺構は残されていませんが、その一帯は老の山公園になっています。
巌流島の北を西に小瀬戸に入って来た所に、1936(昭和11)年小瀬戸水門が設置されました。実は、これは世界で一番小さなパナマ式運河です。正式には下関漁港閘門(こうもん)と呼ばれ、水門と水門の50m間、幅8mの水路で水位を調整して小型船を通します。この閘門に水門橋が架けられています。閘門の少し南に関彦橋、小瀬戸の西口に架けられた彦島大橋の3つの橋で、下関本土と彦島はつながっています。
   
老の山公園の南から南西方向の眺めです。対岸の左のタンク群から右の工場群が新日鐵住金八幡製鐵所戸畑地区です。右端は洞海湾入口になります。工場群の左端の後ろに洞海湾に架かっている赤い若戸大橋がかすかに見えます。左端の雲がかかっている山は、八幡東区の皿倉山です。
老の山公園の西から北西方向の眺めです。正面の島が六連島です。左隣は馬島で、この間が境界になって六連島は下関市、馬島は北九州市小倉北区です。背後の平たい島は小倉北区の藍島(あいのしま)、その左横は若松区の白島(しらしま)です。右端の島は下関市の蓋井島(ふたおいじま)です。六連島にタンク群が見えます。油槽所の石油タンク群です。港はその右隣になります。
ここからは、関門海峡東口から近くに寄って眺めていきます。
門司区の北東端が白野江(しらのえ)で、その北東端の岬が部埼です。部埼灯台は1870(明治3)年に着工され、1872(明治5)年に点灯され、関門海峡東口を照らしました。リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計、建設しました。灯台基部は平屋建てで花崗岩の石造りです。灯台は二階建てで屋根は鉄製のドームになっています。灯台の高さは9.7mです。
部埼灯台については、「北九州点描」の「部埼灯台」をご覧ください。
 
   
部埼灯台から北方向の眺めで、対岸は下関市長府です。右側の小島は満珠で、左の塔の右に小さく見える小島が干珠です。
   
下関市長府市街地の東側の海岸沿いの高台が、1615(元和元)年の一国一城令により破却された櫛(串)崎城跡で、現在は関見台公園になっています。その北側の高台に豊功(とよこと)神社があります。国道9号線から豊浦高校の横に入り、坂道を上り、更に左折し上りつめた高台の神社境内まで車で行けます。
長府については、「北九州の近隣」の「長府」をご覧ください。
 
   
豊功神社の境内は、満珠・干珠二島を展望する絶景の地になっています。東方向の眺めで、手前が干珠で、先が満珠です。、満珠・干珠は神功皇后が海中から得た玉を納めた島と伝えられています。この二島は、下関市長府の忌宮神社の飛地境内です。またこの二島の樹林は、西瀬戸内海の原生樹林の植生を示すものとして、国指定天然記念物になっています。
   
豊功神社から南東方向に門司の部埼が見えます。小山の山腹に3つの建造物が見えます。中央が部埼潮流信号所の電光板で、その左が部埼灯台です。  
   
関門橋の門司側が和布刈(めかり)です。そこで海峡に突き出た所が潮見鼻です。ここは関門海峡の中でも一番潮の流れの速い早鞆瀬戸で、最大10ノット、時速約18kmにもなります。ここには門司埼灯台が立っています。船のデッキ付近の対岸の建物が火の山潮流信号所です。関門海峡は潮流が速く、S字に湾曲しているため、航行の安全の目的で、1909(明治42)年潮流信号所が設置され、航行する船舶に潮流の方向や速さを知らせました。東口の部埼と、西口の彦島の北西端の竹の子島の2か所に設置されました。1979(昭和54)年からは現在の電光板になり、早鞆瀬戸に近い火の山下に火の山潮流信号所が追加され、3か所になっています。
この付近は和布刈公園内になります。和布刈公園については、「北九州のみどころ」の「和布刈公園」をご覧ください。
   
関門橋の門司側の下付近に和布刈神社があります。
旧暦元旦の早朝、和布刈神事が行われます。和布刈神事については、「北九州の催事」の「和布刈神事」をご覧ください。
 
   
和布刈神社の前の石段の先に水中灯籠が立っています。灯籠の先、旧暦元旦の未明の干潮の海で、松明の下、3人の神職による和布刈神事が行われます。対岸付近を壇ノ浦と呼びます。この下の海底に関門国道トンネルが通っています。トンネルは上が車道、下が人道の構造になっています。トンネルは3,461mあり、そのうち人道は780mです。橋の右側の橋に近い建物が下関側人道入口です。エレベーターで降りて、人道を歩きます。通行は無料です。
   
下関側の壇ノ浦です。下関側の人道入口の前は国道9号線で、海側は御裳(みもすそ)川公園になっています。この先が壇ノ浦で、公園内に源義経の八艘飛びと平知盛の碇潜(いかりかずき)の像が建てられています。源平の壇ノ浦の戦いでの二人の姿を現しています。知盛は海中に身を投じました。  
   
義経・知盛の像の横に、海峡に向いた大砲が並んでいます。1864(元治元)年、英仏米蘭の四国艦隊による下関砲撃があり、全ての砲台が破壊されました。ここには壇ノ浦砲台がありました。この後長州藩は、開国・倒幕に転換し、明治維新に突き進みます。長州藩で鋳造された当時の青銅製のカノン砲を、FRPで原寸大に復元しています。
   
壇ノ浦から和布刈の眺めです。山は中世門司城があった古城山で、明治になると砲台が築造されました。この一帯は和布刈公園になっています。関門橋の左下に和布刈神社があり、その左の建物がトンネルの門司側人道入口です。  
   
和布刈公園内の丘陵地を巡る一方通行の周回路があります。古城山の下まで上って、下って来ます。下りの途中に展望台があります。そこからの関門橋です。関門橋は1973(昭和48)年開通しました。橋の全長1,068m、橋脚間712m、航路幅530m、橋桁から橋脚最高部まで65m、橋桁から海面まで61mです。下関インターから門司インター間の関門橋とその前後の道路は、中国自動車道と九州自動車道をむすぶ関門自動車道です。
   
和布刈公園の展望台からの下関の眺めです。平たい屋根は水族館の海響館で、その前の波止場が唐戸で、その右側に唐戸市場があります。左の塔は海峡ゆめタワーです。その右に観覧車が見えますが、アミューズメント施設「はい!からっと横丁」です。  
   
和布刈公園の展望台から門司港の眺めです。一番高い建物が高層マンションで、その31階が門司港レトロ展望室になっています。
   
門司港レトロ展望室からの関門橋の眺めです。背後の山が火の山です。  
   
門司港レトロ展望室から海峡を挟んだ眺めです。左の船は門司港と下関の唐戸を結ぶ関門連絡船です。
   
門司港レトロ展望室眼下の門司港レトロです。正面が門司港ホテル、その左後に旧門司三井倶楽部、その右後の覆いが架けられ工事中なのが門司港駅です。  
   
下関の国道9号線を唐戸から下関駅方面に進みますと、海峡メッセ下関の一角に地上30階の海峡ゆめタワーがあります。最上層の展望室は地上143mからの展望になります。海峡ゆめタワーから北東の眺めです。観覧車が見えますが、その左上が唐戸地区で、関門橋の先に満珠・干珠も見えます。
   
海峡ゆめタワーから対岸の門司港の眺めです。  
   
海峡ゆめタワーから南方向の眺めです。眼下に巌流島があり、その先は大瀬戸です。
   
海峡ゆめタワーから西方向の眺めです。左側に下関駅があり、その先の海沿いが下関漁港です。その先は小瀬戸で、対岸は彦島です。見えませんが、小瀬戸の左手に下関漁港閘門があります。右手の島が六連島です。その左手の手前が関門海峡西口です。六連島の右手の島が馬島です。  
   
唐戸の波止場内には2つの桟橋があります。この唐戸桟橋からは、関門連絡船や巌流島への船が発着します。唐戸桟橋から門司港には5分で、巌流島には10分で行くことができます。巌流島に船が着きました。
下関の市街地については、「北九州近隣」の「下関」をご覧ください。
   
巌流島から北東方向に関門橋が見えます。左が下関側で、山は火の山で、一帯は火の山公園になっています。右は門司側で、山は古城山で、一帯は和布刈公園になっています。  
   
巌流島の南側の小高い場所に武蔵・小次郎の像が立っています。1612(慶長17)年、船の形に似たこの船島で、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われました。後にこの島は、小次郎の流派名を取って、巌流島と呼ばれるようになりました。
   
巌流島から南側の大瀬戸の眺めです。対岸は門司駅がある大里です。左の山が標高517.8mの戸ノ上山です。  
   
小倉北区の赤坂海岸から北東の眺めです。左端は彦島で、その右の奥にかすかに関門橋が見えます。大瀬戸があって右端の建物は、関門海峡の航行情報の提供と航行管制を行う、海上保安庁の関門海峡海上交通センターです。そこから先は門司区になります。赤坂海岸の西端、国道199号線沿いの延命寺臨海公園に駐車場があります。
関門海峡海上交通センターの公式サイトは以下の通りです。
http://www6.kaiho.mlit.go.jp/kanmon/
   
彦島の南で、関門海峡は北東から北西に方向を変えます。赤坂海岸から北西の眺めです。中央に六連島が見えます。その手前に彦島から伸びた陸地があります。  
   
小倉北区西港町の日明臨海工場団地の突端から、北東の彦島の眺めです。
   
日明臨海工場団地の突端から北の眺めです。左の灯台は日明北泊地の入口にあります。右の島が六連島で、左は中央がくびれていますが、馬島です。
馬島については、「北九州点描」の「馬島」をご覧ください。
 
   
小瀬戸の下関漁港の北側の下関市竹崎に、六連島航路下関市営渡船の乗り場があります。1日4便程発着し、20分で六連島に着きます。小瀬戸を通り、小瀬戸の西口に架かる彦島大橋を抜けると関門海峡西口に出ます。彦島大橋は全長710mで、1975(昭和50)年に完成しました。海上部は236mで、海上から45mの高さがあります。当初は彦島大橋を含む彦島道路は有料道路でしたが、2005(平成17)年無料開放されました。
   
小瀬戸の西口から北西に向かいます。関門海峡西口で左手が六連島です。丘陵地の上に六連島灯台が見えます。  
   
六連島港に入って来ました。六連島の集落は、島の南部の港周辺の斜面地に集中しています。港から右、東に行き、石段を登った丘陵地に六連島灯台はあります。港から左に行き、集落の間を通り、六連八幡宮の横の細道を島の山の上に登ると、雲母玄武岩を見ることができます。
   
六連島灯台は、太陰暦の1870(明治3)年10月に着工され、1872(明治4)年11月21日に点灯され、関門海峡西口を照らしました。1873(明治6)年から太陽暦になります。リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計、建設しました。灯台基部は平屋建てで花崗岩の石造りです。灯台は二階建てで屋根は鉄製のドームになっています。灯台の高さは10.6mです。
1868(明治元)年、明治政府の雇い灯台技師としてイギリス人のリチャード・ヘンリー・ブラントンは、二人の助手と共に来日しました。28歳で、妻子を伴っていました。1876(明治9)年帰国するまで、30余の灯台を設計、建設しました。
 
   
六連島灯台の前の道を北側に進みますと、木々の間から六連島の北側を望めます。中央が本州最西端の毘沙ノ鼻です。左手が吉見で、左手が豊浦町です。
この響灘沿岸については、「北九州の近隣」の「角島・川棚温泉」をご覧ください。
   
港から集落の間を通り、六連八幡宮の横の細道を島の山の上に登って来ると、六連島の雲母玄武岩が置かれていて、石碑が立っています。1934(昭和9)年国の天然記念物に指定されています。六連島は第三紀層とこれを貫いて噴出した玄武岩から成っています。この玄武岩の隙間に雲母の結晶が見られます。玄武岩が海水で急速に冷やされたことにより生じたと思われます。  
   
雲母玄武岩の横から南東の関門海峡西口を眺めています。対岸の橋は小瀬戸の西口の下関の本土と彦島をつないだ彦島大橋です。手前は花卉のビニールハウスです。六連島のなだらかな山上では、花卉栽培が盛んです。


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