北九州の旧五市の
昔とその生い立ち
そして今を紹介します

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北九州市は門司・小倉・戸畑・八幡・若松の旧五市が対等合併してできた世界的にも珍しい都市です。旧五市はそれぞれ個性のあるまちでした。それは現在にも引き継がれています。北九州は昔の豊前と筑前の二国にわたっています。豊前国企救(きく)郡が門司・小倉に、筑前国遠賀(おんが)郡が戸畑・八幡・若松に当たります。そんな昔から、五市が誕生し、その五市が合併し、そして今に至るまでの旧五市それぞれを紹介します。

 

  1 門司

  2 小倉

  3 戸畑

  4 八幡

  5 若松

 

北九州市が誕生して40年になります。この期間は、北九州市として一体化する期間でもありました。旧五市の個性とは別に、以下では、終戦から合併まで、合併から今までの経過を、北九州全体から見てみます。

 

内容は次の通りです。
1.戦後の北九州
2.五市合併
3.合併後
4.北九州ルネサンス構想



1.戦後の北九州
 

北九州は関門海峡に臨み、大陸に近く、陸海の交通の要衝でした。戦時中、鉄鋼を中心にした重化学工業地帯であり、軍需工場もあったため、北九州は攻撃目標とされ、甚大な空襲の被害を受けました。1945(昭和20)年8月15日ボツダム宣言を受託し、戦争は終結しました。

戦後の効率的な復興のため、政府は傾斜生産方式を取って、エネルギー源の石炭と建設資材の鉄鋼を中心とする増産体制をスタートさせました。北九州は石炭と鉄鋼生産の拠点でした。そのため、北九州にとって大きな痛手だった敗戦から、再び活気を取り戻しました。

1950(昭和25)年、朝鮮戦争が勃発します。この戦争による特需景気は日本産業界を活気づかせ、石炭や重化学工業の生産が急増しました。北九州においても、この増産によって、八幡製鐵所は戸畑の海岸埋立地に、最新鋭の鉄鋼一貫工場の建設を始めました。



2.五市合併
 

傾斜生産方式や特需景気によって、京浜・阪神・中京と並んで四大工業地帯と呼ばれる地位を、北九州は回復したように見えましたが、経済の地盤沈下という局面を迎えました。
まず、昭和30年代に入ると石炭が石油に取って代わられるエネルギー革命が起こります。後背地に一大産炭地筑豊を控えた北九州は大きな影響を受けました。また、高度成長が続くなか、三大都市周辺や太平洋ベルト地帯等大消費地への指向が強く、産業構造が素材産業に偏っていたため、北九州の地盤は沈下していきました。

 北九州は多様な産業構造への転換が急務とされました。そのためには、都市の基盤整備を充実させることが必要でした。
五市の市街地は連続し、交通機関の発達に伴い、通学・通勤・買物等の生活圏は次第に一体化しつつありました。狭い行政枠から広範囲の行政サービスが求められました。
それでも反対はありましたが、北九州全体だけでなく、今までの五市の経過も考慮されたタッチゾーンが数年間設けられたため、戦前から色々な形態の合併が議論されてきましたが、ここに至り、合併の機運は盛り上がってきました。

1963(昭和38)年2月10日、門司・小倉・戸畑・八幡・若松の五市は合併し、北九州市が誕生しました。東京・大阪・名古屋・京都・横浜・神戸に続く7番目の百万都市となった北九州市は、合併した年、6番目(東京都を除くので)の政令都市になりました。旧五市名は五区名になりましたが、1974(昭和49)年、5区が7区に改編され、小倉区が小倉北区と小倉南区に、八幡区が八幡東区と八幡西区に分割されました。 



3.合併後
 

八幡製鐵所の戸畑の新鋭一貫製鉄所が完成すると、生産拠点は八幡から戸畑に移りました。更に、合理化は推進され、製鉄各社は太平洋ベルト地帯での銑鋼一貫製鉄所の建設を行いました。こうした流れの中で、八幡製鐵所は君津製鉄所に対しての要員・技術・管理システムをバックアップする兵站基地の役割を果たします。
同様なことが、住友金属小倉製鉄所から和歌山製鉄所へ、旧三菱化学黒崎工場から水島工場へも行われました。

五市合併を促したのは、産業構造を素材産業から機械加工産業への転換でした。
産業用エレクトロニクスに進出した安川電機はロボット産業を展開します。
金型加工の三井ハイテックはICリードフレームに進出します。
ポリバスを初めて開発した東陶はユニットバスを開発します。
日産が隣接する苅田町に進出しますが、下請企業を中心に北九州市内の産業と密接な関連をもつようになります。

公害についても少し触れてみます。
工業の隆盛を、誇りを持って言った言葉が七色の煙でした。これは大気汚染の源であり、公害のシンボルでもあったのです。また、工場群に囲まれた洞海湾は死の海になっていました。工場からは煤塵、亜硫酸ガス、汚染物質が排出されました。1967(昭和42)年、公害対策基本法が制定され、北九州市も公害対策に本格的に取組みました。市は市内の主要企業と公害防止協定を締結しました。企業側も公害防止装置を設置したり、排出規制を行うなど積極的な環境対策を行いました。
このような官民の取り組みによって、公害は克服されていきました。 



4.北九州ルネサンス構想
 

旧五市の対等合併であったため、そのバランスが考慮され、効率性が犠牲になりました。産業構造の転換と言われながら、人口減や産業の停滞を止めることができませんでした。そこで、1988(昭和63)年登場したのが北九州ルネサンス構想です。
その内容は、産業構造の高度化を推進するとともに、大都市にふさわしい都市機能の集積や、広域的な高速交通ネットワークの整備を行うなど、都市全体の再生を図るとしています。
最終目標年度は2005年になっています。

この構想は「水辺と緑のふれあいの国際テクノロジー都市」を基調テーマに
1.緑とウォーターフロントを生かした快適居住都市
2.健康で生きがいを感じる福祉文化都市
3.明日の産業をはぐくむ国際技術情報都市
4.海に広がるにぎわいの交流都市
5.未来をひらくアジアの学術・研究都市
の5つの都市像を具体化すべく実施計画が遂行しています。

これらによって行われている事業については「門司の今」等旧五市の各ページの今の部分で紹介します。



参考文献
 

「北九州の旧五市」の各タイトルのページを書くに当たり、下記の文献を参考にしています。ここに一括して掲載いたします。
 

「北九州の歴史」 小田富士雄・米津三郎・有川宜博・神崎義夫共著 葦書房

「北九州の100万年」 米津三郎監修 海鳥社

「長崎街道を行く」 松尾卓次 葦書房

「秋月街道をゆく」 秋月街道ネットワークの会編 海鳥社

「大里から博多へそして唐津へ 唐津街道」 河島悦子著・発行

「福岡県地名考 市町村名の由来・語源」 梅林孝雄 海鳥社

「福岡鉄道風土記」 弓削信夫 葦書房

「21世紀型都市における産業と社会 北九州のポスト・モダンに向けて」 北九州市立大学北九州産業社会研究所編 海鳥社

「五市対等合併の歴史的評価」 財団法人北九州都市協会編集 北九州市企画・学術振興局企画政策室発行

「北九州市活性化地図」 北九州市企画・学術振興局企画政策室発行

「北九州ルネサンス構想評価研究報告書」 北九州市企画政策室企画政策課編集・発行

 

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