北九州の旧五市

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戸畑
 

隣の八幡に八幡製鐵所ができた後、戸畑に各種産業が進出し、戦後は八幡製鐵所の主力は戸畑の埋立地に移りました。

次の内容で紹介します。
1.戸畑の昔
2.戸畑市域
3.戸畑の近代
4.戸畑の鉄道と駅
5.戸畑の今
6.戸畑のにぎわい



1.戸畑の昔
 

日本書紀には名籠屋大済(なごやおおわたり)と記されています。現在は埋め立てられている名護屋崎です。古代から戸畑は鳥旗、飛幡、戸端と書かれています。これは岬の端という意味だそうです。
牧山は牧場があった所で、源平合戦の宇治川先陣争いで、梶原景季が乗った名馬磨墨(するすみ)はここの産と言い伝えられています。

律令下戸畑は筑前国遠賀郡に属していました。
中世においては、戸畑は花尾城主麻生氏の所領地でした。

江戸時代になると、筑前国は黒田氏の所領となりました。境川が筑前国と豊前国の国境でした。江戸時代は洞海湾は新田開発が盛んに行われましたが、戸畑では、汐井崎の干拓が行われました。

現在区役所前にある境川の国境石



2.戸畑の市域
 

西暦

元号

市域拡大状況

1889

明治22

戸畑村と中原村が合併し、戸畑村になります

1899

明治32

戸畑村は戸畑町になります

1924

大正13

戸畑町は戸畑市になります

1963

昭和38

戸畑市は五市合併で北九州市戸畑区になります



3.戸畑の近代
 

洞海湾をはさんで、対岸の若松は江戸時代から米や石炭の積出港として発展していました。
1891(明治24)年、筑豊鉄道が直方-若松間の鉄道を開業すると若松の石炭積出量は増え、対岸の戸畑にも港が建設されるようになり、石炭関連の工場ができます。
1901(明治34)年、八幡で官営製鉄所が操業を始めると、鉄道が戸畑を通るようになり、各種の産業が進出して来るようになります。
 

北九州の工業の構造は素材生産に重点が置かれた重化学工業が主力で、中央資本の工場が多い中、安川・松本家の地元資本の活躍は特筆されます。
 

安川敬一郎は養子にいっている次男の松本健次郎と共に活躍の舞台を若松から戸畑に移して、石炭の明治鉱業を柱にして、明治紡績を、八幡には安川電機、黒崎窯業を設立します。
また、技術者養成を目的に1907(明治40)戸畑に明治専門学校(明専)を創立します。この明専は、後、国に移管され、現在、国立九州工業大学になっています。

前身が明治専門学校の国立九州工業大学


港には1929(昭和4)年、戸畑冷蔵が設立され、共同漁業(日本水産の前身)や東洋製罐などが移転して、遠洋漁業や水産加工工場でにぎわった時期もありました。

戸畑は面積では北九州で一番狭い所です。そんな戸畑の中で、中心部に近い沖台は、八幡製鐵所の下請を含めた中小の工場が密集した地域でした。
戸畑の北側は洞海湾の入口の埋立地ですが、この広大な埋立地に東洋製鉄が設立され、1934(昭和9)年、日本製鐵に合併され、八幡製鐵所戸畑工場になりました。

以下主要な工場の設立をみてみます。 

1896

明治29

 筑豊骸炭製造

1903

明治36

 戸畑耐火煉瓦

1904

明治37

 高谷鉄工所

1908

明治41

 明治紡績

1901

明治43

 戸畑鋳物(日立金属)

1914

大正3

 旭硝子牧山工場

1916

大正5

 明治製糖

1917

大正6

 東洋製罐戸畑工場

1919

大正8

 共同漁業(日本水産)

1936

昭和11

 日鉄八幡戸畑工場

1936

昭和11

 明治製菓

1937

昭和12

 九州電力戸畑

1947

昭和22

 川岸工業戸畑工場

1956

昭和31

 八幡化学工業

1959

昭和34

 八幡製鐵戸畑製造所


商業を見てみますと、小倉と八幡にはさまれていて、市域の狭い戸畑にはデパートはありませんでした。メインストリートは中本町になります。



4.戸畑の鉄道と駅
 

現在の鹿児島本線は九州鉄道のよって建設され、1891(明治24)年4月、黒崎−門司間が開通しましたが、その時の黒崎−小倉のルートは、現在と違い、戸畑は通っていませんでした。現在のような海岸ルートにすると距離は長くなるし、戦時に敵の艦砲射撃を受けやすいということで、八幡−大蔵を経由する内陸ルートでした。駅も黒崎の次は小倉でした。1897(明治30)年、八幡村に官営製鉄所が開設され、若松港が石炭積出港として飽和状態になっていましたので、対岸の戸畑に港が建設されていました。そんな状況の中、海岸ルートの要望が高くなり、1902(明治35)年12月、この路線は開業されます。この時開業したのは八幡、戸畑の2駅で、戸畑にあるのは戸畑駅の1駅です。
この海岸ルート開通後も、内陸ルートはありましたが、乗降客も貨物も海岸ルートのほうが増え、明治末期には海岸ルートは複線化され、内陸ルートは廃線となります。
九州鉄道は1907(明治40)年、国有化されます。そして1987(昭和62)年、再度民営化され、現在JR九州になっています。
 

先に開業した若松駅に筑豊の石炭が着き、洞海湾の対岸の戸畑には石炭関連の工場ができ、人口が増えていきました。そんな状況の遠賀郡戸畑町に戸畑駅が建てられました。駅舎は線路の北側にありましたが、1964(昭和39)年、南側に建替えられました。近年、駅の西側の工場(日立金属)が撤去されたため、戸畑駅前の区画整理が行われ、駅は1999(平成11)年、西側に移動し、新築されました。

 

戸畑駅

戸畑区の現在の駅は、上りから次の通りです。
鹿児島本線 (西小倉・小倉北区)-九州工大前-戸畑-(枝光・八幡東区)

次に路面電車について記しておきます。
1908(明治41)年に設立された九州電気軌道(九軌)による電車路線は1911(明治44)年、幸町-牧山、八幡・中央区−八幡・枝光、枝光−牧山が逐次開通しました。
同年、同社はバス事業に進出し、1942(昭和17)年、同社は他社と合併し、西日本鉄道(西鉄)となります。戦後、モータリゼーションの発達により路線維持が困難となり、1986(昭和61)年、戸畑線は廃止となります。



5.戸畑の今
 

戦前より戸畑は、製鉄、コークス、耐火煉瓦、金属製品、ガラス、ソーダ、製糖などの工業が立地し、洞海湾の港は遠洋漁業の基地となり、冷凍、冷蔵、食品加工の産業も活発でした。
戦後、八幡製鐵所の近代化計画によって、戸畑の海岸の埋立地に新鋭の一貫製鉄所が建設され、生産拠点は八幡から戸畑に移されていきます。

若松から見た戸畑の八幡製鐵所

1970年代後半、世界各国が200カイリ漁業専管水域を導入した結果、水産資源は各国のものとなり、戸畑の遠洋漁業の基地の役割は終えました。

戸畑の中心地に近かった沖台からは郊外や臨海の工場団地に工場は移転され、現在中小の工場跡地は市街地になっています。
従来より関係の深かった洞海湾の対岸の若松との連携や、モータリゼーションの発達による要望により、1962(昭和37)年、若戸大橋が架かりました。これで、若松との交通・運輸はスムーズにいくようになりました。
戦前、戸畑にデパートはありませんでしたが、1965(昭和40)年、戸畑岩田屋が浅生通り開店しました。しかし、1982(昭和52)年、閉店しました。
1970(昭和45)年、新日本製鉄が発足します。八幡東区枝光にあった八幡製鐵所の本事務所は撤去され、1990(平成2)年、新日本製鐵八幡製鐵所総合センターが飛幡門の入口に建設され、事務管理も戸畑に移転しました。

最近の戸畑の状況は、北九州ルネサンス構想の個別の実施で見ていきます。
なお、北九州ルネサンス構想については「北九州の旧五市」の「北九州ルネサンス構想」をご覧下さい。

戸畑での構想実施地域は洞海湾をはさんで若松にまたがるエリアです。戸畑は若松とは車両は若戸大橋で結ばれ、歩行者には渡船が運行され、近い将来、海底トンネルで結ばれるように工事が行われています。この若戸エリアの戸畑側には、多世代共生ゾーンと産学連携ゾーンがあります。
(1)多世代共生ゾーン
大規模な遊休地を活用し、公的施設を建替え、子供から高齢者、また障害者が安心して暮らせるまちづくりを目指しています。
日立金属の工場跡地などを利用して、大型商業施設やJR戸畑駅の移転改築などの戸畑駅南口の区画整理事業が行われました。大型商業施設の中心店舗として戸畑サティが開店しました。しかし2001年9月、経営しているマイカル九州はグループの中心のマイカルと共に破綻しました。2002年11月、支援企業にイオンが決定し、現在再建中です。
その戸畑駅が移転した跡地に、総合福祉プラザ、ウエル戸畑が建設され、福祉活動の拠点になっています。ウエル戸畑へ市民会館や福祉文化センターが移転するに伴い、その跡地への戸畑区役所の移転改築、そして区役所跡地へ戸畑図書館を移転改築が計画されています。戸畑区役所には保健・福祉・医療が一体になった施設や高齢者向けの住宅が併設される計画です。
(2)産学連携ゾーン
JR九州工大前駅の北側にハイテク産業の育成を目指した産業支援団地、北九州テクノパークがあります。ここに中核施設北九州テクノセンターを建設し、南側にある九州工業大学との産学官の連携を図っています。



6.戸畑のにぎわい
 

戸畑サティ
戸畑駅南口の区画整理事業が行われた後、開店した商業複合施設で、経営しているマイカル九州は破綻しましたが、イオンの支援の下、現在再建中です。戸畑駅の前に位置し、シネマコンプレックスが併設されています。

 

 

 中本町商店街
戸畑駅南口の区画整理事業が行われた結果、戸畑駅は少し西に移り、駅前に戸畑サティが開店しました。駅前にあった中本町商店街は少なからず影響を受けています。商店街はいくつかの市場とつながっています。

 

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