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八幡駅前     八幡東区  [2013/01/19]
 

 
 
現在の八幡駅は2008(平成20)年3月にオープンした、この地における2代目の駅舎です。旧駅舎は1955(昭和30)年に建設されました。
1891(明治24)年2月、九州鉄道によって現在の鹿児島本線の遠賀川−黒崎間が開業し、同年4月黒崎ー門司間が開業しました。同年8月、筑豊興業鉄道によって現在の筑豊本線の直方−若松間が開業しました。日清戦争後、我国は重工業の発達に力を入れ始めたため、その基礎資材の鉄の需要が高まり、1997(明治30)年洞海湾岸の遠賀郡八幡村に製鐵所が設立されました。同年九州鉄道は筑豊鉄道(1894年筑豊興業鉄道から改称)を合併しました。1901(明治34)年製鐵所は操業を開始しました。当時の黒崎ー小倉間の鉄道は、現在の鹿児島本線の海岸ルートと違い、内陸ルートでした。しかし、製鐵所の開業と若松からの石炭積出を補完するために対岸の戸畑からの積出が要望され、1902(明治35)年海岸ルートが開通し、八幡駅と戸畑駅が開業しました。その当時の八幡駅は、現在の駅の東1.1km、現在の八幡東区春の町の北側、当時の八幡製鐵所東田高炉の南にありました。1905(明治38)年日露戦争は終わり、1907(明治40)年九州鉄道は国有化されました。

今次の大戦中、北九州は連合国の爆撃の被害を受けました。特に八幡製鐵所とその周辺は、1944(昭和19)年6月16日、8月20日、1945(昭和20)年8月8日の3回の空襲で多大な被害を受けました。最初の空襲は未明でしたが、後の2回は昼間の空襲でした。特に昭和20年8月8日の八幡空襲の被害は大きく、八幡製鐵所構内は勿論、八幡市内の枝光から前田の市街地が空襲を受け、特に尾倉・前田地区の被害は甚大でした。死傷者は約2,500人、被害戸数は約14,000戸にのぼりました。終戦1週間前でした。翌8月9日、隣の小倉市の小倉陸軍造兵廠の上空に、原爆を搭載した米軍のB-29爆撃機が飛来していました。しかし、雲に阻まれて投下目標の確認に失敗しました。前日の八幡空襲の残煙と霞に目標が隠されたためといわれています。B-29爆撃機は第二目標の長崎に向かいました。

終戦の年の1945(昭和20)年12月、空襲で被災した全国諸都市の戦災復興事業を目的に、戦災復興院が内務省国土局を中心に組織されました。戦災復興計画基本方針が策定され、地方に方針の徹底と復興計画の樹立が通達されました。北九州の旧五市は、復興を基軸に、土地利用計画、街路計画、公園緑地計画、上水道計画など全市域を対象に検討・計画されました。しかし、門司・八幡・若松市は戦災都市に指定されましたが、比較的被害が少なかったということで、小倉・戸畑市は指定されませんでした。1947(昭和22)年12月内務省は解体され、戦災復興院は廃止されました。翌1948(昭和23)年1月内務省国土局を引き継ぐ形で建設院が設置され、翌年建設省と改称されました。

北九州の旧五市の中で、八幡市が最も甚大な戦災を受けました。復興計画として幹線街路11路線が計画され、八幡駅の移転と幅員50mの駅前街路の整備、通過交通のための幅員30mの上本町・西前田線(通称復興道路)の新設、南北の広い幅員街路の建設が中心事業でした。八幡駅前広場は計画街路と立体交差する設計となるため、八幡市と国鉄は共同して駅舎移転を進めました。計画道路が地下道化して、その上の駅前広場の立体交差は1951(昭和26)年に整備され、民衆駅として八幡駅が移転開業したのは1955(昭和30)年でした。

駅前街路の両側、その先電車通りの南の西側に鉄筋コンクリートのビルが建設されました。同様のビルは、八幡製鐵所南門に通じる西本町の通りにも建設されました。八幡駅から電車通りを超えて南に伸びる幅員50mの南北の街路と、電車通りの南を並行する尾倉・桃園間の新設の東西の街路は、ロータリーで交差します。そのロータリーの周辺に八幡市中央公民館、八幡図書館、八幡市立病院が建設されました。八幡駅とその駅前は、八幡市の戦災復興事業で誕生した新しい街でした。

北九州市は工業都市でした。しかし、高度成長時代には経済優先の産業開発が行われ、1960年代には環境が破壊され、大気汚染・水質汚濁の公害をもたらしました。この事態に市民・企業・行政は環境の改善に取り組み、1980年代には環境再生を果たしました。工業都市として長い発展過程を体験し、公害克服のなかで培った技術や人材が北九州にはありました。途上国に産業技術を移転するため、北九州国際研修協会(略称KITA)が1980(昭和55)年設立されました。KITAは国際協力事業団(JICA)の協力を得ながら、途上国の研修員を受け入れるようになりました。KITAのJICAへの協力関係がJICAの拠点誘致となり、1989(平成元)年JICA九州国際センターが開所しました。1992(平成4)年KITAは略称はそのままに、北九州国際技術協力協会と改称されました。JICAは2003(平成15)年独立行政法人国際協力機構になっています。

ロータリーから南西に伸び、市道山手線と交差する通り沿いは、かっての八幡製鐵所の平野社宅の跡地です。その通りの西側にJICA九州国際センターが開所しました。通りを挟んだ東側は九州国際大学のキャンパスです。1989(平成元)年八幡大学は九州国際大学と改称し、ここに国際商学部を開設します。1999(平成11)年枝光キャンバスから移転して、ここ平野キャンバスに大学機能は統合されました。1993(平成5)年北九州市立国際村交流センターが九州国際大学の東側に開館しました。この平野地区一帯を国際交流ゾーンと呼びます。八幡駅から国際交流ゾーンの中を通る通りまでを国際通りと呼びます。戦後、駅前に建てられた鉄筋コンクリートのビルは老朽化していました。八幡駅が建て替えられる前に、建て替えられました。  
1955(昭和30)年に建設され、2007(平成19)年に解体された八幡駅の旧駅舎です。2005(平成17)年1月に撮影しました。駅前広場は人工地盤の上にあり、その下を地下道化して、計画道路(復興道路)が通されました。現在は国道3号線となり、中央町で国道3号戸畑バイパスと接続します。復興道路は高炉台公園の南まで伸びています。戦後は、輸送に直接関係する施設の復興は急がれましたが、戦災駅舎には手が回りませんでした。このため民間資本を導入して、国鉄との共同出資で建物を建て、商店などを入れ、建物を立体的に活用しょうと考えたのが民衆駅でした。民衆駅として建てられた八幡駅は3階建てでした。駅ビルには産業館、児童科学館、ホテルが入っていました。鉄都八幡といわれた時代、駅の後ろには八幡製鐵所の煙突が林立し、七色の煙を吐き出していました。しかし、製鐵所の人員が減少し、駅の乗降客が減少すると、ホテルは廃業し、その後、2階以上は自然史博物館が入っていましたが、東田にいのちのたび博物館が2002(平成14)年に開館し、ここに博物館は統合されました。
駅の手前に見えるのは、1987(昭和62)年に設置された高橋秀の「浮上計画」という抽象作品です。
   
ここから3つは2002(平成14)年3月撮影です。
八幡駅前からです。左西側の電車通りの先にはビルがありますが、手前は解体され、撤去されています。
 
   
駅前の東側のビルです。4階建ての建物が街路に沿って建てられていました。1954(昭和29)年村野藤吾によって設計され、戦後らしく平和ビルと呼ばれていました。
   
旧電車通りの交差点です。1911(明治44)年九州電気軌道(九軌)による路面電車が開通しました。1942(昭和17)年、同社は他社と合併し、西日本鉄道(西鉄)となります。戦後、モータリゼーションの発達により、路線維持が困難となり、1992(平成4)年砂津−黒崎駅前間の西鉄電車は廃止になりました。駅前の平和ビルは2003(平成15)年すべて解体されました。  
   
国土地理院発行の2万5千分の一の地形図(八幡市)を使用しました。昭和25(1950)年の第3回修正測量地図の一部です。上の左図とほぼ同一区域です。戦災復興事業がまだ行われていません。
鉄道の南側の東西の路線が国鉄(現在JR)で、それより北は八幡製鐵所の構内で、構内の専用鉄道になります。右端の駅が移転する前の八幡駅です。現在と変わらない点を記しますので、上の地図と比較してみてください。電車通りは現在県道50号八幡・戸畑線になっています。南を通るのは市道山手線で、左に桃園球場があります。桃園球場右斜め上に学校の記号があります。当時前田小学校で、2006(平成18)年4月前田小学校と平野小学校が統合されて花尾小学校になっています。その右側に川が流れています。平野川ですが、現在はさくら通りになって、その下の暗渠を流れています。平野川の上流、下に見ていくと学校の記号があります。統合された平野小学校です。平野町は八幡製鐵所の社宅でした。平野町と書かれた通りを通り、西本町と書かれた通りを通り、小伊藤山の右を通り、電車通りを横断して西本町を進むと、八幡製鐵所の南門でした。
   
八幡駅には築堤の上の線路を通って列車は入り、駅とホームは同じ高さにあり、駅とホームとは地下道で連絡されています。
八幡駅の北側は、かっては製鐵所構内だったのですが、東田地区の再開発事業が行われ、駅の東側の線路の下に公共連絡路がつくられ、歩いて駅の南から北に行くことができるようになっています。
 
   
八幡駅の公共連絡路を通って北に進みますと、線路の下を通り、国道3号線黒崎バイパスの下、都市高速の取付道路の下を通って、東田に出て来ます。左手東側に都市高速5号線東田入口があります。右手西側に行くと国道3号線黒崎バイパス前田ランプで、国道3号線陣原ランプからの黒崎バイパスは、現在はそこまで無料で供用されています。その先はこの上を通って都市高速に接続されます。この先、前田ランプからの国道3号線黒崎バイパスはこの上を通って左に行き、線路を越えて春の町ランプで国道3号線に接続されます。
   
2008(平成20)年3月八幡駅は建て替えられました。1階が駅と商業施設で、2階〜5階及び屋上が立体駐車場になっています。330台駐車可能で、月極めと時間貸し両方あります。
八幡駅前です。八幡駅前地区市街地再開発事業が始まり、八幡駅前の建物は2001(平成13)年から建て替えられていましたが、2004(平成16)年末に完成しました。駅前の大通りは南北に伸び、国際通りと呼ばれています。中央に緑地帯があり、フェニックスが植えられ、道路は左右に分離されています。その横には歩道があり、その間にケヤキが街路樹として植栽されています。正面の山は、標高622mの皿倉山です。
駅前の国際通りと交差している旧電車通り、県道50号八幡・戸畑線の西側です。右手が八幡駅で、ここは八幡駅前交差点です。
八幡駅前交差点の反対側の南東角に福岡ひびき信用金庫本店が建っています。旧北九州八幡信用金庫本店として、1971(昭和46)年建てられました。2001(平成13)年に若松信用金庫と合併して、現在名になっています。
八幡駅前交差点の南側緑地帯に、1982(昭和57)年に設置された佐藤忠良の「早蕨(さわらび)」という女性像があります。駅前の商業施設は「さわらびガーデンモール八幡」と名付けられています。  
   
福岡ひびき信用金庫本店前の国際通りを、南から北にある八幡駅方向を振り返っています。駅の近くの両側に高層の建物があり、国際通りに沿って低層の建物が駅前交差点まで続きます。交差点の南西角に左端の高層の建物があり、更に左の国際通りに沿って低層の建物や駐車場が続き、南端のロータリー近くに高層の建物があります。低層の部分は、商業施設や事務所になっています。高層の部分は集合住宅になっています。
   
国際通りの南はロータリーになります。ロータリーの中央には、1953(昭和28)年、八幡の復興と平和を祈念して女神像が北に向かって建てられました。樽谷清太郎作の「復興平和祈念像」です。  
   
ロータリーの北東に公園があり、慰霊塔が立っています。1945年(昭和20年)8月8日の空襲の戦災者の慰霊塔です。この地は、かって小伊藤山(こいとやま)と呼ばれた丘陵地で、その山腹に防空壕が掘られました。その壕は空襲の焼夷弾の火炎に包まれ、避難していた300人が窒息死したといわれています。戦災復興の土地区画整理のため低湿地の埋立や街路整備に土砂が必要で、小伊藤山は取り崩されました。戦災復興区画整理事業としてこの地は小伊藤山公園になり、1952(昭和27)年慰霊碑は建立されました。
   
小伊藤山公園の南側の道路に横断歩道橋が架かっています。橋上から西のロータリーを見ています。手前からロータリーを経由して伸びる通りは戦災復興事業で尾倉・桃園間東西に新設された道路です。右の北の八幡駅から来ました。ロータリーの右上で1958年(昭和33年)テレビ西日本(TNC)は開局し、その電波は皿倉山のアンテナから発信されました。その後、テレビ西日本は福岡に移転しました。道路を挟んだ左上の建物は市立八幡病院の立体駐車場です。左手前には八幡市民会館と図書館があります。国際通りは、右の北からロータリーを経由して、左側の南西に伸びて行きます。  
   
ロータリーの南に大ホールを備えた八幡市民会館があり、その右の部分は美術展示室になっています。1958(昭和33)年八幡市は村野藤吾設計の八幡市民会館と八幡美術工芸館を建設しました。右手前ロータリーに近い場所に、1951(昭和26)年八幡市中央公民館を鉄筋コンクリートj地上3階、地下1階で建設していました。現在はありません。現在、その機能は平野の八幡東生涯学習センターに引き継がれています。
1963(昭和38)年北九州市発足に伴い、八幡美術工芸館は北九州市立八幡美術館になりました。1973(昭和48)年、北九州市立美術館の開館で、現在の八幡市民会館美術展示室になりました。
北九州市立美術館については、「北九州点描」の「北九州市立美術館」をご覧ください。
八幡市民会館の東隣に、八幡図書館があります。村野藤吾設計で1956(昭和31)年に建てられました。
図書館の前に、二つの国境石が立っています。二基とも上下が欠けています。大きい方の国境石で、小倉藩によって建てられたもので、豊前國と書かれています。「従是東豊前國小倉領(これより東豊前国小倉領)」の一部です。八幡東区三条にあったものといわれています。
三条には福岡藩によって建てられたずっと大きな国境石が残されています。詳細は「八幡のまちかど」の「高見」をご覧ください。
   
小さい方は筑前國と書かれ、福岡藩によって建てられたものです。「従是西筑前國」の一部です。置かれていた場所がはっきりしませんが、旧八幡市役所中庭に保存されていたものが、1964(昭和39)年ここに移設されました。  
   
ロータリーから西に行きますと、北九州市立八幡病院があります。戦前、尾倉に八幡市民病院がありましたが、戦災で焼失しました。1950(昭和25)年この地に八幡市立病院として建設を開始し、10年かけて建設計画が完了しました。1963(昭和38)年北九州市発足に伴い、北九州市立八幡病院と改称されました。1978(昭和53)年全面改築され、救命救急センターが併設されました。
近い将来、北九州市立八幡病院は移転、新築される予定です。その予定地は八幡図書館の東隣の尾倉小学校跡地です。1993(平成5)年尾倉・平原・天神の三小学校は皿倉小学校として統合され、平原小学校跡で発足しました。現在、尾倉小学校の体育館は、現代美術の研究機関・現代美術センターCCA北九州が利用し、九州国際大学が建てた施設を北九州市が研修施設として使っています。
国際通りはロータリーから南西に伸びますが、そのすぐ左、南に坂を上って行く道があります。八幡市民会館の右横を上って行きます。
そこを上って行きますと、右側に国際村交流センターの正面入口があります。右に見えるのは、ダン・ガマーの作品「ハウス・オブ・ミュージック」で、国際村交流センターが開館した1993(平成5)年に設置されました。ダン・ガマーの妻はハリウッド女優のメリル・ストリープです。
国際村交流センターはミラーガラスで覆われた建物で、国際交流協会・八幡東生涯学習センターなどや音楽ホールの響ホールによる複合施設です。
国際村交流センター入口の左奥は響ホールの入口になります。国際村交流センターは斜面を利用して建てられていますので、道路脇の正面は3階部分で、これより下に階下部分はあります。後程階下部分は見てみます。
国際通りに戻ります。国際通りは、八幡駅前から県道50号八幡・戸畑線との八幡駅前交差点を過ぎ、ロータリーまでは南に向かう中央に緑地帯のある大通りです。ロータリーからは方向を南西に向け、このゲートを通って国際交流ゾーンの平野地区を進み、市道山手線に到ります。
   
ゲートの先から振り返ると、ロータリーの西にある市立八幡病院が見えます。  
   
市立八幡病院の南に北九州市八幡医師会の建物があり、北九州市八幡医師会看護専門学院が入っています。
   
北九州市八幡医師会看護専門学院の国際通りを挟んだ反対の東側に、新日本製鐵八幡労働組合の建物があります。  
   
国際通りの東側、新日本製鐵八幡労働組合の南に、九州国際大学(KIU)のKIUホールがあります。539人を収容するホールがあり、講演会や試験場など一般にも使用が開放されています。
KIUホールの横の国際通りから、九州国際大学の東側にある国際村交流センターを望むことができます。一般の人がキャンパス内を自由に入って行くことができます。
KIUホールの南側の九州国際大学の1号棟です。教室も一般使用が開放されています。
KIUホールの国際通りを挟んだ西側にJICA九州国際センターがあります。その北側の緑地の一角に、鉄鋼彫刻が展示されています。1987(昭和62)年に北九州で開催された国際鉄鋼シンポジウムに出品された、イギリスのフィリップ・キングの作品「牡牛座の月」です。
   
独立行政法人 国際協力機構(JICA)の九州国際センターです。1989(平成元)年に開所しました。九州地区の総合窓口で、途上国から研修員を受け入れたり、海外ボランティアや技術協力専門家を募集したり、国際協力に関する情報を提供しています。
JICA九州国際センターの南側に九州国際大学平野ホールがあります。  
   
九州国際大学平野ホールの向こうに解体を待つ、八幡製鐵所の平野社宅が見えます。平野の西側の桃園社宅と同じく戦後建設の鉄筋コンクリート4階建てです。これらが撤去されると、平野地区からはすべてなくなります。
   
九州国際大学平野ホール前の国際通りから反対側の九州国際大学の1号棟とこのメディアセンターの間を東側に入って行きます。  
   
国際村交流センターの前に出ます。駐車場に入るルートです。国際村交流センターの南側は響ホールです。その下が駐車場になっています。
響ホールの北側には、地域における草の根国際交流の中核施設としての国際村交流センターのほか、地域の生涯学習の拠点である八幡東生涯学習センターが入っています。


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