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高見    八幡東区  [2012/05/05]
 

高見は、官営製鐵所の官舎用地として開かれた所です。その後、特殊会社の日本製鐵、戦後の民間会社の八幡製鐵、再度合併しての新日本製鐵の社宅用地になりました。その社宅は老朽化し、住居人口は減少していました。1996(平成8)年からは官民による住宅市街地総合整備事業が開始され、自然環境を生かした北九州を代表する街づくりが行われています。  
 
   
官舎用地として、社宅用地としての高見の変遷を、これから3つの地図で見てみます。
国土地理院発行の5万分の1地形図(小倉)の明治33(1900)年側図です。
1897(明治30)年遠賀郡八幡村に製鉄所の立地が決まり、その年八幡村枝光に製鐵所(唯一の官営製鉄所のため、こう呼ばれた)が開庁され、翌年から建設が始まりました。設備設計にはドイツの技術が導入され、操業にはドイツ人技術者が雇い入れられました。1901(明治34)年2月東田第一高炉に火入れが行われ、同年11月18日には作業開始式が盛大に行われました。しかし、高炉の状況は不調で、翌年高炉は休止に到りました。ドイツ人技術者の雇い入れの効果は余りなく、解約されていきました。高炉の改造とコークス製造法の改良で1904(明治37)年から本格操業になりました。
これと次の地図の横書きの文字は右からです。製鐵所の「製」の上に建物がありますが、そこが高見山(現在のスペースワールドの西側)で、長官官舎、高等官官舎、外国人官舎が建てられました。その北西の船溜りの南に製鐵所正門がありました。正門を入ると製鐵所事務所(初代本事務所)がありました。1922(大正11)年二代目本事務所(現在北九州八幡ロイヤルホテルの位置)が建築されると、正門もなくなりました。左端に製鐵所官舎の文字が見えますが、南門近くの構内に判任官官舎の稲光官舎(現在の八幡駅の北東の位置)が建てられました。1889〜99(明治31〜32)年にかけて、これらの構内の官舎の他に構外に、門田(現在天神町)に判任官官舎、隣接する鬼ヶ原異人官舎が建てられました。更に南門前に職員官舎、南門から西に前田職工官舎、神田職工官舎(現在の大蔵)が建てられました。
1891(明治24)年4月、九州鉄道により黒崎ー門司間の鉄道が開業しました。この時の黒崎ー小倉間は、現在のJR鹿児島本線の海岸ルートと違い、内陸ルートでした。この間は駅はありませんでしたが、1898(明治31)年、大蔵駅が開設されました。
赤の枠線内が次とその次の地図の範囲です。
国土地理院発行の2万5千分の1地形図(八幡市)の大正11(1922)年側図です。
1906(明治39)年農商務省は企救郡板櫃村大字槻田の一部の農地を製鐵所官舎用地として買い上げ、隣接の遠賀郡八幡町(明治33年より村から町に)大字大蔵の製鐵所用地と合わせて整地しました。この官舎用地は、西から一条〜七条に区分され、職工用の槻田官舎が建設されました。三条から七条にかけての山手には、長官・高等官(官吏のうち親任官・勅任官・奉任官を指す)官舎とグスタフ・グッペの外国人官舎が社交場の公餘(こうよ、公務の余暇の意味)倶楽部として構内の高見山から移設されたり、判任官(下級官吏)の職員官舎が増設されました。これらは高見官舎と呼ばれました。大正時代初期よりこの地区は高見町と呼ばれました。
これらの官舎は木造でしたが、1916〜18(大正5〜7)年に鉱滓レンガの官舎が建設されました。高等官官舎には2階建てで2軒1棟で、切妻と寄棟の中間の半切妻屋根で、2階にテラスがある建物でした。東端の職員官舎には2階建ての長屋が道路沿いに建てられ、ロンドン長屋と呼ばれました。
太い破線は企救郡と遠賀郡の境を表した線です。黒崎町前田と板櫃村槻田の一部が官舎用地になったため、両地区は1916(大正5)年八幡町に編入されました。
1902(明治35)年、現在のJR鹿児島本線の海岸ルートが開業され、内陸ルートは1911(明治44)年廃線となり、大蔵駅もなくなりました。門司東本町−黒崎駅前間の電車は、九州電気軌道(九軌)によって1911(明治44)年開通します。1942(昭和17)年同社は他社と合併し、西日本鉄道(西鉄)となりました。
平成3(1991)年使用承認地図 北九州市グランドまちず(福岡人文社)47ページの一部です。
住宅市街地総合整備事業が開始される直前の社宅用地であった高見の姿です。
製鐵所は1934(昭和9)年官民が合同して日本製鐵となり、戦後は民営の八幡と富士など4社に分割されました。1970(昭和45)年に八幡と富士は合併して新日本製鉄となりました。
鉄筋コンクリートの社宅が昭和40年代に建築されます。鉱滓レンガの官舎は昭和50年代には撤去されたと思われます。平屋木造の戸建ての社宅は、山手に最後まで残りました。公餘倶楽部は高見倶楽部になっています。
昭和の初めには七条橋を通って戸畑に到る道路が開通していました。1992(平成4)年砂津−黒崎駅前の西鉄電車は廃止になりました。左側斜めの二重の点線は新幹線のトンネルです。
1996(平成8)年からの官民による住宅市街地総合整備事業で、緑豊かな丘陵地、板櫃川のせせらぎ、桜並木などの自然環境を生かし、住宅、道路、公園、河川、商店街などの一体的整備が進められ、北九州を代表する街づくりが行われています。
板櫃川に架かった五条橋から高見の西側に広がる戸建住宅を眺めています。
高見は板櫃川の北側ですが、南側に県道296号大蔵・到津線が通っています。ここに、1992(平成4)年に廃止された西鉄電車北九州線が通っていました。現在、道路幅がかっての2倍に拡幅されています。板櫃川側の道路沿いの建物は撤去されています。
   
五条橋から板櫃川の上流の様子です。右側の川沿いの建物は撤去され、川幅が広げられました。河原が広くなり、河原への傾斜が緩やかになり、河原に遊歩道が通っています。五条橋の上流の橋は、木橋の四条橋です。先方の山は標高622mの皿倉山です。
五条橋から北側に高見中央公園があり、その先に一段高台にある低層のマンションが見えます。
高見は社宅時代から街路樹に桜が植えられていました。現在の街づくりにも桜が植えられています。
五条橋から東側に商業施設や郵便局・銀行があり、その先に高層のマンションが建っています。
五条橋から板櫃川の下流の様子です。左が高見の商業施設で、右は県道大蔵・到津線です。下流の橋は商業施設への歩道橋で、その下流に六条橋が見えます。  
   
五条橋から川沿いの道を、高見中央公園の側を通って上流に行きます。この道は高見中央通りと名付けられ、西の大蔵の両国橋のたもとから県道51号曽根・鞘ヶ谷線に到ります。木橋で歩行者専用橋の四条橋の手前の道路脇に、長崎街道荒生田一里塚跡の石碑が立っています。江戸時代、長崎街道がこの付近を通っていました。黒崎方面から小倉方面に行く旅人は、五条橋付近から六条橋の手前付近で板櫃川を渡河しました。
   
四条橋から下流の様子です。先程の五条橋が見えます。
板櫃川のここの整備事業は、水辺の楽校(がっこう)プロジェクトとして、子供たちが自由に遊び、環境に学ぶ空間として利用し、自然を大切にする心を育ませることを目的に行われました。
 
   
四条橋から上流の様子です。三条橋が見えます。橋の右手に見えるマンション位置がかっての一条、高見に隣接する現在は大蔵1丁目になります。右端は高見神社につながる森です。
   
三条橋の県道296号大蔵・到津線から北側の高見を見ています。赤信号が点いている所が高見中央通りとの三条橋北交差点です。先の左手の森の中に高見神社はあります。  
   
三条橋北交差点を川沿いに更に上流に進みます。三条橋北交差点から西は高見から離れて大蔵になります。この辺りは二条に当たります。先方に両国橋が見えますが、現在道路拡幅で架け替え工事中です。そこを通るかっての電車通り、県道62号北九州・小竹線との大蔵2丁目交差点は通行止めです。
両国橋の位置は、明治の地図で分かりますように、企救郡と遠賀郡の郡境でした。それは、江戸時代の豊前国と筑前国の国境でしたので、両国橋と命名されました。
橋の手前の途中から右に入って行く交差点があります。
   
右に入って、2つ目の角を左に曲がります。この先は一条に当たります。右手に建っているのは、四条橋から上流を見た時のマンションです。この辺り一帯は、かって清水町と呼ばれていました。
手前に長崎街道跡の木標が立っています。長崎街道は、右手の北側の坂を通って曲がり角に到りました。その西側は、大蔵公園の西側でかっての電車通りに出ました。東側は、曲がり角でこの通りの手前側を通り、後程訪れる国境石付近に出ました。
 
   
次の曲がり角は、車は進入禁止で直進できませんが、その先は県道62号北九州・小竹線の大蔵交差点になります。その角を右に曲がりますと、右の建物の先に、丘の上の大蔵中学校が見えます。
この通りの右手はかっては社宅で、左手に八幡製鐵所の親和会館や大蔵教習所がありました。三条から六条は最後まで社宅用地として残りましたが、一・二条はそれ以前に一般住宅地になっていました。
大蔵については「八幡のまちかど」の「大蔵」をご覧ください。
   
先程の曲がり角まで戻り、そのまま直進します。三条橋から北の高見神社に伸びる通りに出ます。その通りを越えて更に東に進みます。高見中央通りの1本北側の戸建住宅の中の道です。すぐ右手に広場があり、その南東奥に国境石が立っています。三条の国境石です。「従是西筑前国(これよりにしちくぜんこく)」と刻まれています。福岡藩祐筆(ゆうひつ、文書・記録の執筆・作成に当たる職)二川相近(ふたがわすけちか)の筆で、1834(天保5)年に建てられたものです。小倉藩が建てた国境石もありましたが、八幡図書館の前に保存されています。
この様に西から長崎街道を進んで来ると、この先は一里塚跡付近を通り、板櫃川を渡り、東に進みました。
 
   
高見中央通りの1本北側の、国境石がある戸建住宅の中の通りです。この通りには、板櫃川の水を引き込んだせせらぎが流れています。
   
三条橋から北の高見神社に伸びる通りに戻ります。突き当りの左手に高見神社の鳥居がある、その前の通りを西から東を見ています。この通りは高見鳥居通りと名付けられています。この通りの桜は、染井吉野(ソメイヨシノ)でなく、八重咲きの関山(カンザン)です。  
   
三条橋から北に伸びる道の突き当りの左手、高見鳥居通りの西端に高見神社の鳥居が立っています。
   
高見神社の鳥居を入って行くと、左手に駐車場があり、その先参道は右に曲り、石段になります。その先に鳥居があり、車祓所があるこの広場に出ます。石段の左手に手水舎があります。  
   
石段を昇り、門を入ると、高見神社の本殿があります。
高見神社は、製鐵所構内になった高見山にあったお社でしたが、製鐵所が建設されると、豊山八幡神社の北隣に遷宮されていました。1935(昭和10)年この地に遷宮されました。高見神社は、八幡製鐵所の守護神であり、製鐵所やその関連会社にとっては安全祈願のお社になっています。
高見神社の車祓所がある広場を東に行きますと、高見さくら公園があります。最初の通りに面した鳥居の横を北に進んでも高見さくら公園に着きます。花の時期には花見客が大勢来ます。
   
戸建住宅地の北側の一段高い所にある、高見さくら公園の中の道を東に進みますと、高見中央公園から一段高い所に見えた低層のマンションの裏手に出ます。そこから丘陵地の森を通って、北の頂上にある北九州市立美術館に到る遊歩道があります。
市立美術館については、「北九州点描」の「北九州市立美術館」をご覧ください。
 
   
低層のマンション裏手の道を更に東に進みますと、高見中央公園の北東角の交差点に出ます。高見鳥居通りと五条橋から高見さくら公園への道が交差します。そこから北東方向です。屋根が見える建物は新日鐵の高見倶楽部です。
製鐵所の創業期、仮事務所であった屋敷が構内稲光に移され、高等官の社交場や迎賓館として公餘倶楽部と名付けられました。長官・高等官官舎が構内の高見山からこの地に移設された折、同所のグスタフ・グッペの外国人官舎が公餘倶楽部として移設されました。その後、1928(昭和3)年に改築されました。木造平屋部分はその折の建築で、戦後一部が鉄筋コンクリート二階建てに改築されました。
1907(明治40)年以来、公餘倶楽部は高等官以上の専用クラブとして運営されてきました。のち高見倶楽部と改称されました。判任官用のクラブとして1914(大正3)年に発足した門田会館が1921(大正10)年に改築され、職工専用に大谷会館が1927(昭和2)年に竣工しました。製鐵所では、このような施設は職階制別に運営されました。1947(昭和22)年身分制が撤廃され、従業員全般に利用されるようになりました。
高見中央公園の北側の高見鳥居通りを鳥居方向に行き、低層のマンションの下に入って行きます。一段高台にある低層のマンションの土手に桜が植えられていて、花の時期には咲き競います。
高見倶楽部の南、高見中央公園の東に低層の3棟の新日鐵の社宅が建っています。その間をせせらぎが流れ、高見緑道になっています。高見中央公園の東から入って行けます。高見緑道のせせらぎの両側には桜が植えられています。花の時期は、桜並木の通行者が増えます。
   
六条橋から北側を見ています。この通りから東側の高見は、高層のマンションが建っています。  
   
六条橋から板櫃川の下流の眺めです。左手はかってグランドがありました。
   
六条橋の東側から下流の眺めです。下流の橋は七条橋でです。右側は県道296号大蔵・到津線で、次の交差点は七条橋交差点です。
七条橋は県道51号曽根・鞘ヶ谷線が通っています。七条橋を手前の南に行くと、県道296号大蔵・到津線と交差する七条橋交差点に到ります。
七条橋を渡って北に行くと、峠を越えて戸畑区鞘ヶ谷に到ります。
 
   
県道51号曽根・鞘ヶ谷線の東側、七条橋の北側にマンションが立っています。ここはかっての七條で、2階建ての職員官舎、鉱滓レンガの通称ロンドン長屋が建っていました。次の橋は高見歩道橋です。
   
北側の板櫃川沿いの小道を下流に進みます。高見歩道橋から下流の眺めです。板櫃川の左手は高見で、右手は荒生田です。左手に八幡東幼稚園があり、右手に荒生田神社があります。
荒生田については、「北九州点描」の「荒生田・川淵町」をご覧ください。
 
   
川沿いの小道をマンションと八幡東幼稚園の間を入って行きますと、高見小学校の前に出ます。高見小学校の西門です。この左側の道を山手に進みますと、高見中学校の運動場側に出ます。
   
県道51号曽根・鞘ヶ谷線に戻り、七条橋の北側に高見中下交差点があります。そこを右折し、坂道を上ると谷口霊園があります。谷口霊園の東端までやって来ました。谷口霊園の北側に北九州視覚特別支援学校があります。  
   
谷口霊園の東側に高見中学校があります。この辺りまで新町名の高見です。


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