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折尾駅前    八幡西区   [2012/04/07]
 

 
1891(明治24)年2月、九州鉄道によって現在の鹿児島本線の遠賀川−黒崎間が開通しました。同年8月、筑豊興業鉄道によって現在の筑豊本線の直方−若松間が開通しました。九州鉄道と筑豊興業鉄道の折尾駅は別個でしたが、2階の九州鉄道と1階の筑豊鉄道の立体交差駅の共同駅が1895(明治28)年建てられました。その後、鉄道は国有化され、1916年(大正5)年現在の駅舎に建て替えられました。
折尾駅前を流れる堀川は、江戸時代の1762(宝暦12)年に開通した運河です。遠賀川から洞海湾に至る堀川は、川ひらた(ひらたは舟に帯、別名五平太船)による筑豊の石炭の舟運に重要な役割を果たしました。しかし、鉄道の開通により徐々に衰退していきました。
中世の折尾郷は、現在の水巻町の一部や八幡西区の則松・折尾・永犬丸・本城などを含む広い地域でした。その一部が江戸時代から1897(明治22)年まで、折尾村となりました。1897〜1904(明治22〜37)年折尾・本城・陣原・永犬丸・則松村が合併し、洞南村(くきなみむら)となり、洞南村は1904〜1918(明治37〜大正7)年折尾村と改称されました。1918(大正7)年折尾村は折尾町となり、1944(昭和19)年八幡市に併合されました。
現在、折尾駅周辺には大学や高校がたくさんあり、駅から遠くの地も宅地開発され、急速に都市化が進んでいます。また近年は、駅の北方向でオープンした学術研究都市の玄関口にもなっています。折尾駅は、JR九州の中でも有数の乗降客数を誇る駅です。
手狭となった駅前広場の整備を目的に、1981〜87(昭和56〜62)年度市街地再開発事業が行われました。しかし、折尾駅周辺は、JR鹿児島本線、筑豊本線、短絡線の鉄道により市街地が分断され、踏切により交通渋滞が発生し、駅の南側は道路も狭く、密集しているなど、都市基盤の整備が遅れています。これらの解消のために、折尾地区総合整備事業が2004(平成16)年度に始まりました。平成31年度までに完了予定ですが、一部はそれ以降までかかるようです。
駅の周辺部で、工事が進められています。駅舎の撤去や駅構内、付近での線路工事も始められます。現在の時点での駅舎、駅構内、駅前の様子を残しておきます。  
折尾駅東口の駅舎は、現在の門司港駅より2年新しい1916(大正5)年の建築です。鹿児島本線と筑豊本線がこの駅で立体交差しています。
折尾駅は遠賀郡洞南(くきなみ)村に建てられました。1891(明治24)年現在の鹿児島本線と現在の筑豊本線が開通した時、九州鉄道と筑豊興業鉄道の折尾駅は別個でした。2階の九州鉄道と1階の筑豊鉄道(1894年筑豊興業鉄道から改称)の立体交差駅の共同駅が1895(明治28)年建てられました。1897(明治30)年九州鉄道は筑豊鉄道を合併しました。1907(明治40)年九州鉄道は国有化されました。
1986(昭和61)年再開発事業に伴って、駅舎の改修工事が行われ、コロニアル様式になっています。
駅舎は撤去されますが、折尾駅舎の保全・活用が要望され、複製保全されて、地域の人々によって活用できるようになるようです。
駅舎に入ると、二つの柱が目に入ります。左は、柱の周りが待合客用の座席になっています。駅舎内は随分変わったようですが、この二つの柱は駅舎の長い歴史を語りかけます。
   
改札口を入ると1番のりばになります。向かいは2番のりばです。手前の1番のりばからは、筑豊本線・若松線の発着になります。
2番のりばは、直方・飯塚方面からの筑豊本線・福北ゆたか線の折尾駅での折り返し列車が発着します。若松方面と違い電化されていますので、電車が停車しています。
 
   
2番のりばの線路側壁面に、1986(昭和61)年の改修前の駅舎が描かれています。縦の木材を露出させて強調した外装で、屋根窓に車輪の装飾もありません。
   
東口の改札口から鹿児島本線の下りの3番のりばへの階段と、鹿児島本線の上りの4・5番のりばへの通路です。
左端は1番のりばに入って来た筑豊本線・若松線のディーゼル車です。
 
   
3番のりばへの階段を昇って行きます。3番のりばの手前の左手に西口に降りて行く階段があります。
手前が3番のりばで、向うが4・5番のりばです。3〜5番のりばは鹿児島本線の上下列車が発着します。3番のりばは下り博多方面、4・5番のりばは上り小倉方面の列車が発着します。
   
3番のりばの手前から西口に降りて行く階段です。降りて行き、左に行くと2番のりば、西口になります。右に行くと4・5番のりばになります。  
   
2番のりばで、向かいは1番のりばです。2番のりばは、直方・飯塚方面からの筑豊本線・福北ゆたか線の折尾駅での折り返し列車が発着します。
1番のりばに停車しているのは筑豊本線・若松線の折り返しのディーゼル車です。若松方面は電化されていませんので、ディーゼル車が運行されます。
2番のりばからの線路は南に行くと、短絡線と合流します。
   
2番のりばの前に西口の改札口があります。  
   
西口の駅舎です。改札口が線路工事のために南側に移設された仮設の駅舎です。以前の西口の駅舎が向こうに見えます。
降りて来た階段まで戻ります。手前の階段が東口及び3番のりばへの階段です。赤レンガアーチの通路は4・5番のりばへの通路です。1911(明治44)年建設された赤レンガアーチの通路の上を鹿児島本線の線路が通っています。
赤レンガアーチの通路から4・5番のりばへの階段です。
   
4番のりばで、西方向です。右側が5番のりばです。4番のりばは、後続の列車をこの駅で先に行かせる退避列車や始発列車が発着します。5番のりばは、上り小倉方面の列車が発着します。線路を挟んで左側の向こうが3番のりばです。鹿児島本線の下り博多方面の列車が発着します。新駅が建設されると、3番のりばの南側に短絡線ののりばができます。
前と反対に東を向いて、右が4番のりばで、左側が5番のりばです。のりばの向こうに東口への東口階段があります。  
   
5番のりばの北方向です。新駅が建設されると、北口駅前広場になります。右端の筑豊本線・若松線は北口駅前広場を高架でカーブして4・5番のりばの北側に新設されるのりばに連結されます。
4・5番のりばの東端に、東口階段があります。3番のりばを含めて、東口から鹿児島本線ののりばに来ると、下りは列車の後尾の後方に、上りは先頭の手前に出ます。通路がのりばのはずれにあるためです。
   
東口階段降りて行くと、鹿児島本線の下は赤レンガアーチの通路になっています。西口とを結ぶアーチ通路に対し、東口とを結ぶこのアーチ通路は、1918(大正7)年建設されました。
この先は、右手は線路になり、左手は3番のりばへの階段があり、その先に1番のりばがあり、その左手が東口改札口になります。
 
   
東口に戻って来ました。6・7番のりばは、駅前広場の向こう側のオリオンプラザの前を通って、オリオンプラザの東側後方にある鷹見口に行く必要があります。
オリオンプラザの後方にある2階建ての建物の1階部分に、折尾駅鷹見口があります。
オリオンプラザの後方を短絡線が通っています。筑豊本線の建設は筑豊の石炭を若松に運ぶことが主目的でした。若松だけでなく、筑豊の石炭を門司にも運ぼうとして、筑豊本線を鹿児島本線に直接連絡しょうとしたのが短絡線で、1893(明治26)年7月に開業しました。現在の筑豊本線の東水巻駅(当時は開業していない)付近で短絡線は筑豊本線から分岐され、折尾駅の東側を経由して黒崎駅(途中の陣原駅は当時開業していない)に到りました。折尾駅にはのりばはありませんでした。
   
鷹見口に短絡線の6・7番のりばがあります。改札口を入って左手に行った所になります。
1973(昭和48)年筑豊から坑内採炭の炭鉱がなくなりました。1976(昭和51)年露天掘りもなくなり、筑豊から炭鉱がなくなりました。
短絡線にのりばはありませんでしたので、1988(昭和63)年ホームが新設されました。保線区の建物の1階部分に改札口が設けられました。
短絡線は北九州・筑豊・福岡を結ぶ福北ゆたか線の列車が通ります。黒崎・折尾・桂川・博多駅間を福北ゆたか線と呼びます。2001(平成13)年の電化で、鹿児島本線・筑豊本線・篠栗線を通り、北九州・筑豊・福岡を結ぶ路線なので、この愛称が付けられました。
 
   
東口の駅前広場は、1981〜87(昭和56〜62)年度市街地再開発事業で整備されました。再開発事業で建設された建物は、オリオンプラザと呼ばれています。現在ある建物の右手にも、道路を挟んでオリオンプラザ第2ビルがありました。その建物に、かって西鉄電車の折尾電停がありました。1階に公共連絡通路があり、3階には電停の駅舎部分がありました。道路の上空の3階部分の空中通路で、両方の建物がつながっていました。
黒崎駅前−折尾間の電車は、九州電気軌道(九軌)によって1914(大正3)年開通します。1942(昭和17)年同社は他社と合併し、西日本鉄道(西鉄)となりました。この線は他の北九州線が路面電車だったのに対し、郊外型の路線でした。そのため、1992(平成4)年砂津−黒崎駅前の西鉄電車は廃止になりましたが、2000年(平成12)年まで運行されました。
新駅ができると、この駅前広場は南口駅前広場になります。
折尾電停があった建物の跡地の横、駅前広場と東側を結ぶ道路に入って来ました。建物の跡地の右側に駅前のトイレが新築されています。
建物の1階に入って行くと、その先に公共連絡通路がありました。その部分がレンガ敷きの小道部分です。公共連絡通路は赤レンガアーチの高架橋の下でした。赤レンガの高架橋の上には、西鉄電車の折尾電停がありましたが、2000年(平成12)年11月廃止されました。赤レンガの高架橋は三連でした。しかし、その建物が建てられる以前は六連でしたが、ビル新設に伴い、折尾駅に近い三連が撤去されました。残された三連の赤レンガの高架橋も撤去されました。
   
駅前広場と東側を結ぶ道路の先に短絡線の踏切があります。踏切の向うに三連の赤レンガアーチの高架橋が見えます。電停を出た電車は短絡線を跨ぎ、この高架橋を通って建物の反対にある土手を下って行きました。駅構内の立体交差と同じように、ここでも電車と短絡線が立体交差になっていました。  
   
短絡線の踏切を渡ると十字路になります。右折した先に三連の赤レンガアーチの高架橋があります。九州電気軌道によって建設された、赤レンガアーチの折尾高架橋はこれだけになっています。左端の高架橋の下を道路が通っています。この通りは、折尾のかってのメインストリートの本町通りでした。
   
道路が通っている高架橋のアーチ部分は、「ねじりまんぼ」という特殊な技法で建設されています。これは上の線路と下の道路が直角に交差してなく、75度の傾斜で交わるため、斜めにアーチを造る必要がありました。通常通りに平行に積み上げていくと、迫(せり)持つ力を維持することができない部分が出てきます。斜めのアーチ橋の場合は,斜めの切口となった両端部で迫持つ力を維持するために,あえて斜めに積み上げる工法が採られています。
「まんぼ」は線路の下をくぐるトンネル状の通路を意味し、語源は坑道の間歩(まぶ)からといわれています。まんぼがねじられているので「ねじりまんぼ」なのでしょう。
 
   
十字路を逆に左折して北に線路沿いに進みますと、短絡線のプラットホームが見えます。折尾駅鷹見口の6・7番のりばです。黒崎方面と直方・飯塚方面を結ぶ列車は短絡線を通ります。
新駅が建設されると、短絡線ののりばは鹿児島本線ののりばと平行してその南側に設置されます。現状のように駅本体から離れた場所でののりばではなくなります。
   
折尾駅鷹見口の6・7番のりばの手前の右手に金光教教会があり、その敷地内に遠賀川疎水碑が建っています。侯爵黒田長成(くろだながしげ、最後の福岡藩主長知の子)の文と筆によるもので、堀川流域16ヶ村の住民により、1897(明治30)年建立されました。堀川開削工事の経過と、開削工事に最も大きな功績を残した一田久作の功績が刻まれています。
遠賀川の水害をなくし、灌漑をよくし、舟での輸送の利便のため、福岡初代藩主黒田長政は堀川の開削を計画しました。着工されますが中断されました。その後、長い歳月の末再開され、1762(宝暦12)年、開通しました。最大の難工事は、車返しの切り抜きでした。一田久作を監督役として、厚い岩盤の切り抜きという難工事が行われました。
 
   
遠賀川疎水碑の左背後に、岡山直道先生の頌徳碑があります。
岡山直道(1844−1907)は福岡藩の藩校の教師でしたが、1871(明治4)年廃藩置県で藩校が廃止され、遠賀郡香月村で学舎を開きました。1872(明治5)年の学制発布で香月小学で教師になり、1880(明治13)年芦屋中学で教授になりました。3年後の退職後、本城村の私塾岡洞校に招かれましたが、1883(明治16)年閉校になりました。翌年鞍手郡感田村に招かれました。1887(明治20)年折尾村に再度岡洞校を開きました。門人は千人を超えるほどになったということでした。頌徳碑は、先生の還暦を記念して、1905(明治38)年に建てられました。題字は黒田長成の筆です。
   
駅の南側から流れて来た堀川(河川の経路が変わってきたので、現在は新々堀川と呼ばれる)は、駅前広場の暗渠で方向を変えて、東方向に出て行きます。
1762(宝暦12)年、中間唐戸(からと、水門のこと)を築いて、堀川は開通しました。1804(文化元)年、遠賀川上流の楠橋村寿命(じめ)まで延長されます。この堀川の開通により、川ひらた(五平太船)による輸送は、遠賀川から堀川で折尾を経由して、洞海湾を渡って、若松に荷物が運ばれるようになりました。その中心は石炭でした。
 
   
堀川の上流からの眺めです。川沿いの折尾駅近くまで、間口の狭い飲食店が並んでいます。標高がありませんので、水位は潮の干満の影響を受けます。干潮の時でした。
鉄道が開通すると、川ひらたは主役の座を奪われ、1939(昭和14)年にはほとんど見られなくなりました。
   
折尾駅から上流の最初の橋が堀川橋です。堀川橋の上流に短絡線の踏切があります。
この先で、折尾駅鷹見口からの短絡線は折尾駅本体の筑豊本線と合流します。
 
   
駅前広場に戻って来ました。北側に、上をJR鹿児島本線が通っている折尾駅東口跨道があります。右端は地下歩道になっています。
   
折尾駅東口跨道の先を右折します。線路沿いに駐車場と駐輪場があります。その横の通りに新市場、寿マーケットがあります。駅の南側から流れて来た堀川は、駅前広場で暗渠となり、寿マーケットの前で暗渠から出ていました。鉄道の高架化のための連続立体交差事業に関連して、堀川の出口は東側に移設されました。そこから西側を見ています。歩道橋の先に、前の出口はあります。  
   
折尾駅東口跨道を北に行くと、折尾駅入口交差点になります。そこを東西に通る道路は国道199号線でしたが、折尾地区総合整備事業により都市計画道路の日吉台光明線になります。総合整備事業が進むと、現在の道幅が北側に拡張されます。
折尾駅入口交差点から南側の折尾駅東口跨道方向を見ています。
   
折尾駅入口交差点から西側の筑豊本線・若松線の踏切を見ています。踏切の遮断機が下りています。
新駅ができると、この一帯は北口駅前広場になり、筑豊本線・若松線は高架になります。
 
   
都市計画道路の日吉台光明線の筑豊本線・若松線の踏切から南側の折尾駅のプラットホームを見ています。
下の筑豊本線の2番のりばに列車が停車し、上の鹿児島本線の5番のりばに特急が停車しています。折尾駅が立体交差であることがよく分かります。
新駅ができると、北側からの筑豊本線は高架で北口駅前広場をカーブしながら通り、5番のりばの北側、手前に新設されたのりばに連結されます。
   
筑豊本線・若松線の踏切を西に行くと、折尾4丁目交差点になります。そこを折尾駅の西側を南北に通る通りがあります。折尾4丁目交差点の北側の通りは学園大通りと呼ばれています。  
   
折尾4丁目交差点の南側の通りで、都市計画道路の折尾中間線です。道路は鹿児島本線のホームの下を通っています。ガードをくぐったすぐ先の左手に、折尾駅西口があります。
新駅ができると、短絡線ののりばは鹿児島本線の向こう南側に新設され、筑豊本線ののりばは鹿児島本線のこちら北側に新設されます。両線の下りの直方・飯塚方面は、駅の右側、西で左にカーブして鹿児島本線から離れて、トンネルを通ってしだいに南方面に向かい、両線は一緒になり、国道3号線の南で、現在の筑豊本線・福北ゆたか線とつながります。
   
折尾中間線の折尾駅西口の南側です。ここを南に行くと国道3号線に出ます。  
   
折尾駅の新駅が建設され、駅周辺の鉄道が立体化されると、左図の様になります。
各線ののりばが高架の同一面に集約されます。駅周辺の鉄道は盛土、高架橋、トンネルで立体化され、駅周辺の踏切が廃止されて交通渋滞が解消します。駅や南北の駅前広場が利用しやすくなります。



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