八幡のまちかど

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水路跡
  八幡東区  [2016/12/24]
 

   
1901(明治34)年11月18日官営八幡製鐵所の作業開始式が行われました。高炉の出銑状況は良くなく、高炉作業は中止され、1904(明治37)年7月生産を再開しました。しかし日本の鋼材自給率は20%に満たなかったため、自給率を高めるため拡張工事が始まりました。第3期拡張計画が1917(大正6)年から始まり、6ヶ年の予定でしたが、第一次世界大戦の影響で工事が遅れ、1929(昭和4)年までかかりました。第1期拡張工事で用水を遠賀川に求めましたが、第3期拡張工事では養福寺・河内貯水池が建設されました。

1919(大正8)年河内(かわち)貯水池の建設工事が始まりました。土木部長沼田尚徳(ひさのり)の指揮の下、1927(昭和2)年完成しました。河内貯水池の河内堰堤(ダム)は、貯水能力720万立米、堤頂長189m、堤高43.1m、頂上幅3.5m、最大底幅35.1mでコンクリートの両面を石張りにした重力式コンクリートダムです。河内貯水池は八幡東区河内にあり、ここから流れ出た板櫃(いたびつ)川は、9.7km流れて小倉北区日明(ひあがり)で海に注ぎ込みます。

河内貯水池から八幡東区天神町の鬼ヶ原浄水場までは、水路と鉄管で導水していました。その水路は、1953(昭和28)年の水害で損壊し、応急工事で使用されていましたが、1965(昭和40)年トンネルによる送水管が完成し、導水路としての役目は終わりました。現在は、水路の上部は蓋をされ、舗装されてサイクリングロードになっています。勾配をほとんど感じない平坦なコースですが、景観の変化を堪能できます。
県道62号北九州・小竹線は八幡東区大蔵から板櫃川沿いに上流に進み、河内貯水池の西岸を通っています。河内堰堤から貯水池の西岸を見ています。右端が堰堤上の通路です。その横に半円形の割石張りの取水塔があります。
河内貯水池については、「北九州のみどころ」の「河内貯水池」をご覧ください。
堰堤下を眺めますと、左上に太鼓橋が見え、真下に弁室が見えます。
堰堤上の通路を反対側の東岸に行き、左手から堰堤下に降りて行きます。太鼓橋と同じ意匠で架けられている小橋が右手にありますが、そこを左手に行きます。
   
堰堤から見えた太鼓橋が架かっています。太鼓橋は鉄筋コンクリート・スラブ橋(床板が桁になった)です。貯水池完成時に架けられた橋です。その薄いスラブのアーチ橋の形に魅了されます。  
   
太鼓橋から見た河内堰堤です。コンクリートという近代的な素材に、石材という伝統的な素材が組み合わされています。まだ当時高価だったセメントを節約するという経済的な要因に、優れた石工の技術が加味されて独特の景観を創り上げています。
太鼓橋から堰堤の左下の木立の中に弁室はあります。弁室はダムからの取水量を調整します。割石張りのコンクリート造りです。
   
太鼓橋と同じ意匠で架けられている小橋まで戻ります。右の山手から左に流れがあります。  
   
小橋を渡った先に、板櫃川起点の石柱が立っています。左下に板櫃川の流れが始まります。
   
先に進むと河内貯水池から流れ出す板櫃川に架かった吊り橋があります。大蔵谷を流れる板櫃川の上流を大蔵川と通称します。渡って行くと堰堤の西岸に着きます。西岸の堰堤下は河内桜公園になっています。河内貯水池は昔から桜の名所でしたが、桜公園の桜は若い樹に植え替えられています。ここは標高がありますので、他の桜の名所より咲くのが若干遅くなります。  
   
吊り橋の先の右手に取水塔や弁室と同じ割石張りのコンクリート造りの建物があります。その前に亜字池があります。
   
亜の字の形をしているので、亜字池といいます。かっては、堰堤下からこの池まで導水されていました。池の中に、水を曝気して臭いを取っていた噴水があります。送水管が完成してからは、この施設は使われていません。  
   
水路はこの池が出発点になります。大蔵川に大河原橋が架かっています。池の横から大蔵川を渡って、水路は伸びています。ここを渡っては行けませんので、堰堤西岸の県道62号北九州・小竹線まで戻ります。
   
県道62号北九州・小竹線を下って行きます。歩道は広くサイクリングロードの一環にもなっています。河内貯水池の周囲もサイクリングロードで一周できます。下り坂の県道に河内橋が架かっています。河内橋からの眺めです。その下の南山の田橋に水路が通っています。現在はそこを通る送水管は橋の先からトンネルを通ります。  
   
更に県道62号北九州・小竹線を下った所から振り返っています。水路の南山の田橋が見えます。その上に県道の河内橋がみえます。右手前下に水が流れていない、蓋がされていない水路が見えます。
   
水路は道路に沿って、その下を通っています。下り坂の県道が左カーブする所から水路は道路の右から左に移動します。県道が左カーブした先の左の土手に水路跡はあります。  
   
県道62号北九州・小竹線の上重田バス停の先にある西鉄バスが転回する場所です。バスは上重田が終点です。JR八幡駅、イオン八幡東、中央三丁目行きのバスがここで転回して向かいます。その左手にあるのがサイクリングロードの入口です。河内貯水池から来て、県道を横断して、水路跡を利用したサイクリングロードに向かいます。
   
入口からすぐの水路の中山の田橋の上です。水路に水は流れてなく、上は蓋をされて、舗装されています。通っていると橋の上か分かりません。橋には両側に柵があります。  
   
県道側からの水路の中山の田橋です。
   
県道脇からの水路跡は、北の大蔵まで県道の皿倉山の麓寄りの高い場所に伸びています。橋でない所は右側に柵があります。  
   
重田の水路跡付近には竹林が広がっています。竹林を抜けると、右手の水路跡付近にも人家があります。この辺りは豊町です。水路跡のサイクリングロードの左横に車が通る道が並行しています。
   
水路跡から二つ目の右手の眺望が開けた場所です。豊町から大蔵谷を見ています。谷間に県道が通り、その下に大蔵川が流れています。  
   
ここも豊町からです。先の方に市街地が望めます。
水路の傾城ヶ谷橋を渡り、景勝町に入りました。橋を横から見ることができませんでした。その先で眺望が開けます。左下に都市高速の高架道が見えます。この前後はトンネルになります。遠くに見えるのは足立山です。
景勝町については、「八幡のまちかど」の「羽衣町・勝山・景勝町」をご覧ください。
水路の指場橋です。橋の下を降りて行くと、景勝町の県道62号北九州・小竹線に出ます。そこには景勝園バス停があります。ここからバス停までの間に、かって景勝園と呼ばれた桜の名所がありました。大正時代につくられた個人の園でしたが、現在はなく、住宅地になっています。
   
指場橋の先で視界が開けます。右下は八幡東区大蔵の市街地です。その左上は八幡東区高見付近です。そして上の市街地は小倉北区です。
景勝町の先の水路跡は大蔵になります。水路があった頃は、円形の池がありました。円形の池から大蔵貯水池に分水されていました。下に伸びている道路は大蔵貯水池に下っていた水路の跡です。水路に蓋はなく、テーマパークのウォーターシュート以上の迫力がありました。下って行った県道の先に大蔵貯水池はありました。その左下に大蔵浄水場がありました。貯水池の埋立てられた跡地には、現在は老人福祉施設が建てられています。
大蔵については、「八幡のまちかど」の「大蔵」をご覧ください。
 
   
円形の池跡の先は只越の切通しという切通しになっていて、上に只越歩道橋と呼ぶ鉄橋が架かっています。大蔵から皿倉山への登山道の橋です。国見岩を経由して山頂に到ります。
   
切通しの先に、洞海湾や若松の山が見えてきます。水路があった頃は、この先は階段状になって水が流れ、その先に桔梗池がありました。水路で目立って勾配があるのはここだけでした。車が通れるのもこの先までです。水路はこの先を下ると左に曲がります。  
   
水路は左に曲がり、北に向かっていた水路は西に向かいます。すぐに東只越橋になります。東只越橋を横から見ることはできません。東只越橋からの眺めです。中央の観覧車やスペースシャトルが見える所がテーマパークのスペースワールドがある東田です。その先の水面は洞海湾です。
東田については、「北九州のみどころ」の「東田」をご覧ください。
水路の東只越橋の先に西只越橋が架かっています。二つの橋とも西丸山町の山手になります。
   
西只越橋の上からの眺めです。橋の下を降りて行くと西丸山町になり、更に降りて行くと大谷球場や八幡東区役所がある八幡東区大谷や中央になります。
その辺りについては「八幡のまちかど」の「中央・春の町」をご覧ください。
 
   
大谷に入りました。水路跡の先に、皿倉山が望めます。
皿倉山については、「北九州のみどころ」の「皿倉山」をご覧ください。
   
水路の内ヶ畑橋に来ました。橋を横から見ることはできません。橋の上からの眺めです。手前左の木立は北九州市営山ノ神ポンプ場です。その横の高架橋は都市高速です。先の山は、洞海湾を隔てた若松区の石峰山です。左端の小山は黒崎城跡の道伯山(城山)です。
石峰山は「北九州点描」の「石峰山」を、黒崎城は「八幡のまちかど」の「黒崎」をご覧ください。
水路跡の先に太鼓橋が見えます。ここまで八幡東区大谷です。水路の内ヶ畑停塵池に架かった太鼓橋です。橋の横から大谷に降りて行けますので、下から見ています。橋の下は水路の水が溢れた時流れ出るようになっていました。溢水路は、北九州市営山ノ神ポンプ場の敷地内を通って、都市高速の大谷IC付近の螺旋状の高架道路の橋脚部に大谷池と呼ばれた貯水池がありましたが、その池に流れ込んでいました。  
   
太鼓橋の側に小さなコンクリートの標識が立っています。3500Mと刻まれています。水路の出発からの距離でしょう。
   
内ヶ畑停塵池に架かった太鼓橋からの眺めです。白い柵がある所は太鼓橋から大谷に降りて行く道です。その先の木立は北九州市営山ノ神ポンプ場です。  
   
太鼓橋の先にかっては水路に関わる施設があったと思いますが、それは今はありません。サイクリングロードもこの先までです。出口は八幡東区神山町(かみやままち)になります。サイクリングロードを出た所に山ノ神調整池があります。
   
調整池の横を下りて行きます。その付近まで道は狭いですが、車で来ることができます。降りて行くと、都市高速の大谷ICの出入口付近になります。都市高速の下をくぐって降りて行くと、神山町バス停に出ます。その先は天神町で、左手の住宅が建っている所に、かっては天神小学校がありました。現在は平原(ひらばる)小学校と統合されて皿倉小学校になり、平原小学校の跡にあります。緩やかな坂を下って行きますと、左手が一段高くなっています。そこが鬼ヶ原浄水場跡です。  


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