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夜宮公園    戸畑区夜宮1丁目・一枝1丁目  [2015/06/20]
 

 
夜宮公園の周辺には九州工業大学、明治学園、北九州中央高等学園、ひびき高校、天籟寺小学校、戸畑高校、一枝小学校があり、夜宮公園は文教地区の中にある、緩やかな丘陵地を利用した都市公園です。隣接して国の重要文化財に指定されている旧松本家住宅があります。

地名の夜宮(よみや)は宵宮(よいみや)の意で、祭礼の前夜祭を意味します。この地にかってオオヤマツミ(大山都見神、大山祇神と表される山の神)の小堂があり、宵宮の行事が行われていたといわれています。五市合併前の戸畑市時代の1957(昭和32)年に夜宮公園は開設され、この間数回拡張されてきました。自然林が残され、実のなる樹木も多いため、野鳥が多くいます。

隣接地の旧松本家住宅は、1908(明治41)年から1912(明治45)年にかけて辰野金吾設計で、松本健次郎の住宅として建築されました。松本健次郎(1870~1963)は、安川敬一郎の二男として生まれ、伯父の松本家の養子となります。父の炭坑経営を助け、明治鉱業を設立します。この会社をベースに父敬一郎とともにその後、紡績、窯業、重電機等の種々の会社を設立します。更に、工業教育の重要性を感じ、明治専門学校(現在の九州工業大学)をつくります。

旧松本家住宅は洋館と日本館からなります。洋館は、辰野金吾設計の木造2階建てです。柱、梁など木造骨組をそのまま外部に出すハーフ・ティンバー風の外壁に、この時代のデザインの主流であった曲線を組み合わせたアール・ヌーヴォーの軽快感が取り入れられています。その北側にある日本館は久保田小三郎設計で、木造2階建ての書院造りの和風建築です。1972(昭和47)年、旧松本家住宅は国の重要文化財に指定されました。現在、西日本工業倶楽部が所有し、管理されています。

夜宮公園には桜やつつじが植栽され、花の季節には市民で賑わいますが、更に有名になったのは花菖蒲です。夜宮公園の菖蒲園は整備され、北九州市制25周年を記念して、1989(平成元)年から「とばた菖蒲まつり」が6月上旬土曜・日曜に開催されます。

花菖蒲はアヤメやカキツバタと見分けが難しいといわれています。花菖蒲はユリ目アヤメ科アヤメ属ハナショウブ種の植物です。3つは目から属まで同じで、種の部分がハナショウブ種、アヤメ種、カキツバタ種になります。アヤメは乾いた土地に育ち、花は網目模様になり、葉の主脈は不明瞭で、5月上旬から中旬に咲きます。カキツバタは水中や湿った土地に育ち、花に網目はなく、葉の主脈は細く小さく、5月中旬から下旬に咲きます。花菖蒲は湿った土地に育ち、花に網目はなく、葉の主脈は太く、6月上旬から下旬に咲きます。

花菖蒲は江戸時代の初めには栽培されるようになりました。東北から江戸に持ち込まれて、栽培が盛んになりました。江戸時代中期には葛飾堀切に花菖蒲園が開かれ、花菖蒲の栽培が盛んになりました。こうして発展した花菖蒲を江戸系といい、田園や庭園に植えて、群れて咲いた花を楽しみます。江戸系の花菖蒲が幕末肥後熊本に持ち出され、門外不出の約束で鉢に植えて育てられました。熊本の人の好みに育てられ、花は大きく座敷に飾られて楽しまれました。この花菖蒲を肥後系といいます。門外不出が続き、昭和になって肥後系花菖蒲は広く知られるようになりました。江戸時代末、伊勢松坂で独自に品種改良された花菖蒲がありました。この花菖蒲を伊勢系といいます。戦後、三重県の天然記念物になり、一般に知られるようになりました。大輪でなく、上品で繊細な品種が多く、松坂では垂れた花びらが好まれるため、垂れ咲きの花菖蒲が多くあります。このように花菖蒲は主に三系統に分かれます。
夜宮公園の北側を通る県道271号下到津・戸畑線の沢見交差点から、夜宮公園の西側を通り夜宮交差点に到る通りを、沿道になんじゃもんじゃの木(ヒトツバタゴ)が植えられていることから「なんじゃもんじゃ通り」と呼びます。その通りを沢見交差点から坂を上り、下り坂になった所に夜宮公園の正門があります。夜宮公園には8ヶ所程出入口があります。
   
夜宮公園の正門から「なんじゃもんじゃ通り」を下って行くと、夜宮公園の菖蒲園、夜宮池が広がっています。
たくさんの種類の花菖蒲が栽培されていますが、ここでは一部だけを紹介します。
新旭丸
 
   
錦川
   
 千姫  
   
愛知の輝
   
紫溟の秋(しめいのあき)  
   
晴間の響
   
眠獅子  
   
玉洞
   
玄海   
   
秋の曲
   
児化粧(ちごけしょう)   
   
夜叉姫
   
百夜車(ももよぐるま)  
   
不知火
   
夜宮池を奥に進むと、池に石橋が架かっています。その上から池の奥を眺めています。夜宮池は公園の谷間にあります。池の水源はポンプアップされた地下水が使われています。  
   
夜宮池の奥の階段を上ると噴水があり、噴水の水が中央に小さな滝が連なったカスケードを流れ落ちます。噴水の先に三角屋根の休憩所があり、その前は噴水広場になっています。
   
噴水広場を横切って進むと、南側の出入口に出ます。その手前の右手の一段高い所に、夜宮弓道場があります。  
   
弓道場の反対側の左手の一段高い所に夜宮青少年センターがあります。戦前の1943(昭和18)年、安川寛(安川敬一郎の孫)及び松本健次郎から夜宮の土地1000坪の寄付を受け、市民修養道場が完成しました。戦後1946(昭和21)年には戸畑市民会館と改称されました。その後、夜宮青少年の家として運営されていました。1973(昭和48)年、青少年の自主的な学習やレクレーション活動の場として改築され、夜宮青少年センターと改称されました。
   
南側の出入口から弓道場の南側を通り、夜宮公園の外周の車が通行できる道路を進みます。左手下は戸畑高校の敷地になります。先に行くと公園の西側に到ります。弓道場のすぐ先に梅林がありますので、梅林の中に入って行きます。  
   
梅林の先で、林に入って行きます。
   
林の先で、夜宮池の南の公園内を巡る道に出ます。そこに臼田亞浪(うすだあろう、1879-1951、長野県出身の俳人)の句碑が立っています。
葉櫻に 筑紫の山の 風もなや
1929(昭和4)年、当時八幡市にあった荒生田遊園(現在の八幡東区)を吟行した際の句といわれています。荒生田遊園に立っていましたが、荒生田遊園の廃園後、戸畑の俳人宅に移され、その後夜宮公園に移されました。
 
   
句碑から左手に進みますと、左手に三角屋根の休憩所が見えてきました。「とばた菖蒲まつり」の期間、休憩所前の噴水広場はフリーマーケットの会場になっています。
   
三角屋根の休憩所の前を北に進みます。木製の階段を上りますと、園内を巡る道があります。左方向に行きますと、スタートの正門に到ります。  
   
右方向に行きますと、夜宮弓道場、夜宮青少年センターがあります。この道沿いは桜並木になっています。
花の様子は、「北九州の催事」の「北九州の花見」をご覧ください。
   
園内を巡る道の先がこの石段です。石段の先は夜宮公園の一番高い所で、一番広いのびのび広場があります。広場の北側に戦没者慰霊塔が立っています。1959(昭和34)年、当時の戸畑市民の寄付で建てられました。1877(明治10)年の西南戦争から1945(昭和20)年の第二次世界大戦までの戸畑市の戦没者が祀られています。  
   
「とばた菖蒲まつり」の期間中、のびのび広場の東側に特設ステージが設けられてイベントが行われます。北九州市消防音楽隊の演奏とカラーガード隊の演技から始まりました。広場の西側には、グルメ、飲食、菓子などの出店のテントが並んでいます。
   
のびのび広場の西側を北に広場から降りて行った公園を巡る道の側に万葉歌碑が立っています。
ほととぎす 飛幡(とばた)の浦に しく波の しばしば君を 見むよしもかも
読み人知らずで、尾上柴舟(おのえさいしゅう、1876-1957)の書です。1936(昭和11)年、当時戸畑市役所(現在の戸畑図書館)の北隣にあった戸畑公会堂の敷地内に建てられました。1991(平成3)年ここに移されました。
 
   
のびのび広場の東側から森に入って行きます。クスノキ・マツ・シイ・ヤブツバキなどの自然林です。森の中は木が高いので、ずっと先まで見渡せます。遊歩道が完備され、ゆるやかな下り坂になっています。森の中の坂を下りると、車が通る余り広くない道路が1本南北に通っています。そこの左手に夜宮公園の駐車場があります。「とばた菖蒲まつり」の期間中は駐車できません。
   
道路を通り過ぎて行くと、右手に明専会館があります。明専は明治専門学校の略称です。明専会館は明治専門学校及び九州工業大学の同窓会の会館です。
安川敬一郎、息子の松本健次郎によって、1909(明治42)年4月技術者養成のための明治専門学校が開校されました。しかし、第一次世界大戦後の経済不況により、経営維持が困難となり、1921(大正10)年学校は国に献納されました。1949(昭和24)年明治専門学校は九州工業大学になりました。明治専門学校の敷地は南北に広く、その南側の敷地内に、教職員と学生が交流しやすいように教職員の宿舎も建設されました。更に教職員の子供のために小学校も敷地内につくられました。この小学校が現在の明治学園になります。明専会館がある場所は、当時の教職員の宿舎用地の南端付近になります。
 
   
明専会館と先程の道路の間に、夜宮公園の出入口があります。入って行くと木立の中に、ポンプアップされた地下水が、流れ出る所があります。
   
必要に応じてポンプアップされた地下水は、道路沿いの林の中のごろごろした岩の間を少しずつ流れて行きます。この先に
日本庭園の菖蒲園があります。
 
   
夜宮公園には東西に2つの菖蒲園があります。西は夜宮池の菖蒲園で、東は日本庭園の菖蒲園です。
菖蒲園の先に日本庭園の池があります。現在は、池に水が入れられていません。
   
 日本庭園の南側の広場で、「とばた菖蒲まつり」の期間中、鉢植えの花菖蒲の展示会が催されます。
たくさんの種類の花菖蒲が展示されていますが、ここでは一部だけを紹介します。
宇宙
 
   
雪舟
   
晴間の響  
   
日本庭園の菖蒲園の西側を、夜宮公園の中を南北に道路が通っています。南に行くと、夜宮公園の南側に隣接して、旧松本家住宅があります。松本健次郎の居宅でしたが、現在は西日本工業倶楽部の会館として使用されています。「とばた菖蒲まつり」の限られた時間、旧松本家住宅の庭園が開放されます。
明治専門学校内の南にあった教職員宿舎敷地の南の夜宮に、創立者の安川敬一郎と松本健次郎の居宅が建てられました。松本健次郎の居宅は安川敬一郎の南に建てられ、明治時代に建てられた和洋併設住宅では、唯一現存する住宅です。また特に、明治の洋風住宅が到達した名建築といわれています。
   
旧松本家住宅の洋館の南側に広がる庭園です。
 庭園側からの旧松本家住宅の洋館です。辰野金吾の設計です。
洋館の北側にある日本館は久保田小三郎の設計です。木造2階建て、書院造りの和風建築です。
旧松本家住宅は、毎年春と秋の2回特別公開されます。その際は、内部も公開されます。
旧松本家住宅は住宅と同時に貴賓館の役割も果たしていました。玄関を入ると広い広間になっていて、次に貴賓室があります。これは貴賓室の暖炉です。
 
   
貴賓室の奥に食堂があります。
   
広間から2階に昇る階段があります。そこに飾られているステンドグラスです。
洋館の2階に昇ると階上広間があり、その南側に客室、東側に家族の寝室、西側に和室があります。
 
   
日本館の玄関から中に入りますと、この中央書院があり、その先に大座敷があります。
   
日本館には内庭があります。2階には続き間の座敷が2つあります。

旧松本家住宅の特別公開は申し込みが必要です。

6月の「とばた菖蒲まつり」や春・秋の旧松本家住宅の特別公開については、事前に案内されますので、北九州市の公式サイトで検索してみてください。
 


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