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若松北海岸
    若松区  [2015/07/18
 

 
若松北海岸は、北九州市若松区脇田(わいた)から岩屋にかけての海岸で、波の浸食による奇観や、白砂が続く海岸です。玄海国定公園の東端に位置します。玄海国定公園は、隣の芦屋海岸、福岡県内の博多湾、更に佐賀県の唐津湾を経て、はるか西の伊万里湾に到る、福岡・佐賀・長崎三県の主に玄界灘沿岸の国定公園です。若松北海岸は響灘に面しています。響灘は東は山口県の西部から宗像市沖の地島(じのしま)、大島で玄界灘と接します。国定公園は玄海、灘は玄界と書きます。玄海は玄界灘の略名ともいわれています。実際は、玄海、玄界灘そして響灘も厳密に区別して使われていません。

脇田は安屋(あんや)の、岩屋は有毛(ありげ)の浦です。江戸時代から1889(明治22)年まで安屋と有毛は村でした。その年、安屋村は他の4村と共に洞北村に、有毛村は他の8村と共に江川村になりました。合併と共に、安屋村と有毛村は大字安屋と大字有毛になりました。この大字に対し、脇田と岩屋は小字の関係になります。この次に出てくる脇之浦は小竹村の浦で、小竹村は安屋村と共に洞北村になりました。

中世においては、脇田、岩屋や脇田の東にある脇之浦には、この地を領知していた麻生氏の海上支配の港がありました。江戸時代、禁教と貿易規制を目的に、日本人の海外渡航禁止と外国船来航規制の鎖国政策を行いました。幕府は、長崎での中国貿易の金額や船数を制限しました。輸入品の利益が大きいため、密貿易船が現れました。北九州の沖合いは西廻り・内海・長崎航路の交差点であり、大小の島が多く、小倉・福岡藩の境界に当たりました。沖合いの島々は密貿易船の隠れ場となりました。漂流する中国密貿易船に日本の密貿易船が近づき、海上で取引が行われました。

福岡藩は1640(寛永17)年に岩屋・脇ノ浦(若松区)に遠見番所を置きました。小倉藩は1715年、葛葉海岸(門司区)に、翌1716年に藍島・馬島(小倉北区)に遠見番所を置きました。1717(享保2)年には、中国密貿易船が増えたため、これを追い払うため福岡藩は家老が若松に常駐し、中原から若松に到る海岸に2千数百人が配置されました。同年、幕府は長州・小倉・福岡藩に共同で警備に当たるように命じました。小倉藩が指揮を執ることになりました。これにより共同で軍船を出し、度々密貿易船を追い払いました。

密貿易船は減ることはなく、増える一方でした。福岡藩では1720(享保5)年、宗像郡大島沖に停泊していた南京の船を焼き討ちにして沈め、皆殺しにしました。1721(享保6)年、藍島に、紺地に三階菱の小笠原家紋を染めた大旗を掲げる旗柱を建てました。これは長州・小倉・福岡三藩に密貿易船を知らせるものでした。焼き討ちしたり、拿捕したため密貿易船は次第に減っていきました。その後、幕末にかけて、異国船(ヨーロッパの船)が出没し、遠見番所はその監視をするようになりました。

1889(明治22)年に二島村のうち片山・畠田村、頓田村、小竹村、安屋村、竹並村が合併して洞北村となり、蜑住村、有毛村、乙丸村、大鳥居村、小敷村、高鷲村、浅川村、払川村、塩屋村が合併して江川村になりました。1908(明治41)年、洞北村と江川村が合併して島郷村になりました。1931(昭和6)年、島郷村は若松市に編入されました。

若松北海岸沿岸、特にその沖合にある白島周辺は好漁場です。新しい漁港・漁村づくりを行い、地域の活性化を図り、都市住民と漁民との交流の場をつくるという水産庁が策定したマリノベーション構想に基づいて、近年響灘沿岸の漁港の整備を進める北九州市のマリノベーション事業が行われました。脇田、岩屋の他、脇之浦、藍島、馬島の響灘沿岸の漁港の整備が進められました。特に拠点漁港として脇田漁港については、漁業活動の基本施設の整備はもちろん、市民が自然と親しめる海洋性レクリエーション施設の整備、飲食やショッピングなどが楽しめる複合商業施設の整備が進められました。
国道495号線と県道277号頓田・二島線との電源開発若松総合事業所の前の交差点から、海岸沿いの国道495号線を西に向かいます。次の国道495号線とグリーンパークからの道路との交差点を右折して橋を渡ると、右手に無料の駐車場があります。ここはひびき海の公園です。その全景をGoogle Earthの衛星写真で見ています。
脇田漁港周辺に、マリノベーション事業でフイッシャーマンズワーフ汐入の里、フィッシャリーナ、人工磯、サンセットロード、人工海浜、多目的広場、脇田海水浴場、脇田海釣り桟橋が建設、整備されました。これらを一括して、ひびき海の公園と呼び、響灘緑地のグリーンパークに対して、マリンパークの愛称が付けられています。
   
駐車場の前の施設は、2004(平成16)年に開設されたフイッシャーマンズワーフ 汐入の里 といいます。駐車場入口の西側に物産館があります。館内では、脇田漁港を中心に響灘で水揚げされた魚介類や、地元若松の農産物が販売されます。  
   
物産館の東隣にレストランがあります。ザ・テラス カシクランが営業しています。
   
その隣は結婚式場で、ザ・マティルタスイートが営業しています。  
   
駐車場から東に行くと、橋が架かっています。その先は、マリノベーション事業の一環として、プレジャーボートを係留する施設が建設されました。脇田漁港フィッシャリーナといいます。フィッシャリーナはフィッシュとアリーナの造語で、海洋レクリエーション拠点を目的にしています。2012(平成24)年11月に供用が開始されました。向こうの東側は電源開発若松総合事業所です。フィッシャリーナ内の駐車場は、バース利用以外の公園に来た人も利用できます。
フィッシャリーナの展望施設から西側を見ています。手前右に伸びているの防波堤の上は遊歩道のサンセットロードとなり、その海側は人工磯になっています。左側の屋根が見える所がフイッシャーマンズワーフ 汐入の里です。右側が脇田漁港です。。
   
フィッシャリーナから橋に戻り、北側の防波堤に向かいます。遊歩道のサンセットロードが東に伸びています。  
   
防波堤と汐入の里の北側の海岸は護岸整備され、人工磯になっています。人工磯沿いの遊歩道から人工磯に降りることができます。
   
遊歩道から結婚式場の北側にある三角屋根のチャペルが見えます。フイッシャーマンズワーフ 汐入の里の北側を西に行きます。  
   
物産館の西側は広場になっています。その先に芝生の多目的広場が隣接しています。右端の建物はトイレです。
物産館の前の広場まで戻って来ました。芝生の多目的広場の北側に人工海浜がつくられています。砂浜では小さなお子さんも安心して遊ばせることができます。左側の先に、赤い灯台がある脇田漁港の防波堤が見えます。
車で駐車場を出て、最初に渡って来た橋の手前を右折して、多目的広場に隣接した住宅地の横を進みますと、その北側に脇田漁港はあります。
ひびき海の公園は脇田漁港を境に北と南に分かれます。これから北に向かいます。脇田漁港の横に駐車場があります。こちらは有料で1回300円です。駐車場の北側の響灘の海上に、脇田海釣り桟橋が伸びています。これは、その手前にある案内図です。
   
手前に遊歩道があって、海釣り桟橋に入って行きます。脇田海釣り桟橋は2001年(平成13)年にオープンしました。
この建物は桟橋の途中にある休憩所で、トイレがあり、2階は展望室になっています。桟橋は全長500mで、北に200m行き、釣りができる所は休憩所の手前が150m、その先は北西に向けて150mの計300mです。釣りをする人は1日(午前6時~午後6時)1,000円で利用することが出来ます。見学だけの人は無料です。火曜日が定休日になっています。
海釣り桟橋の海側から若松北海岸の眺めです。脇田海岸の東側です。
脇田海岸の西側からともろ(艫艪)海岸です。左の丘の上に建物が小さく見える所が、玄海ともろビーチゴルフクラブです。
海釣り桟橋の先端を見ています。休憩所から150mの長さがあります。海岸から休憩所までは北方向に伸びていましたが、先端部は北西方向に伸びています。  
   
海釣り桟橋の休憩所から北方向に2つの島が見えます。左から白島女島(めしま)、男島(おしま)です。
白島の男島には、エネルギーの安全保障に対応するため、白島国家石油備蓄基地が、1996(平成8)年、10年以上を要して完成しました。防波堤に囲まれた泊地内の大型浮体式貯蔵船により、石油は備蓄されています。男島の右手に石油備蓄基地の施設が見えます。
この白島備蓄基地の白島展示館が若松区響町にあります。詳しくは「北九州点描」の「響町」をご覧ください。
海釣り桟橋の手前の西側は、脇田海水浴場です。
   
脇田海水浴場の遊歩道を先に進むと、山手側に遊歩道のボードウォークがあって、そこから砂浜に降りて行くようになっています。夏休み前には、海岸は清掃、整備され、海水客を迎える準備をします。
脇田海水浴場の西端は、波の侵食で小さな洞穴になっています。その先の海岸は、波の侵食でこのような景色になっています。  
   
脇田海釣り桟橋の駐車場から国道495号線に出て、西進します。2.5km程進むと、料亭の魚庵千畳敷の入口の先に、北九州市営バス停千畳敷海岸入口があります。そこを北に行き、魚庵千畳敷と同系列のレストランローヤル・ラウンドの横を通って海岸に出ると千畳敷です。満潮時には千畳敷を見ることはできません。
   
干潮になると千畳敷は姿を現します。  
   
千畳敷は海岸段丘が波によって浸食されてつくられた景観です。姿を現した板状の巨大な岩、千畳敷の先端まで歩いて行けます。
千畳敷の先端から陸地側の眺めです。右手から来ました。
 千畳敷の先端から陸地側の左手、東側の眺めです。
千畳敷の先端から陸地側の右手、西側の眺めです。
千畳敷の西に遠見ヶ鼻が海に突き出ています。右端に妙見埼灯台が小さく見え、その左の建物はかんぽの宿北九州です。遠見ヶ鼻にこの後行きます。
国道495号線に戻り、先に進みますと、すぐに遠見ヶ鼻の案内がある信号機がありますので、右折します。遠見ヶ鼻の東側、バス停岩屋入口から千畳敷を見ています。満潮時なので、レストランローヤル・ラウンドの横に千畳敷は見えません。
   
干潮時、バス停岩屋入口から千畳敷を見ています。  
   
バス停岩屋入口から満潮時の遠見ヶ鼻の東海岸を見ています。
   
干潮時の遠見ヶ鼻の東海岸です。海岸が波に浸食されています。  
   
市営バスの終点はかんぽの宿北九州です。かんぽの宿の前を右に行きます。
   
かんぽの宿の前を右に行くと、右手に鳥居があります。その先を下りて行きますと、崖にへばりつくように御嵜(みさき)神社があります。  
   
海岸近くの鳥居には「妙見社」と刻まれています。妙見信仰は、北極星を神格化した中国の思想に仏教の思想が入り、北辰妙見菩薩を信仰するものとなり、神道の天御中主神(あめのみなかぬし)と習合したといわれています。
   
最初の鳥居の所まで戻り、150mほど、防風のための保安林の中を進みます。木立を抜けると、妙見埼灯台が現れます。妙見埼は遠見ヶ鼻の別称で、社にちなんだ名称と思われます。  
   
遠見ヶ鼻の突端から北東方向の眺めです。白島の男島と女島が重なって見えます。1640(寛永17)年、福岡藩は外国船監視のため、岩屋に遠見番所を置きました。遠見ヶ鼻の名は遠見番所に由来します。後、各地の海岸に遠見番所が置かれました。監視体制を強化して岩屋の遠見番所は常置の遠見番所として、武士2人、足軽2人、船2艘が配備されました。
遠見ヶ鼻の突端から西方向の眺めです。遠くに見えるのは、隣は遠賀郡芦屋町で、その先の岡垣町の海岸です。
妙見埼灯台の前の様子です。灯台の前を右手に降りて行くことができます。
前の海岸からの妙見埼灯台の眺めです。右端はかんぽの宿北九州の建物です。
前の海岸から東側の眺めです。
   
遠見ヶ鼻は、夕日が海に没するのを眺めるのに絶好の場所です。ここには次のような話が伝わっています。
かって御嵜神社はこの遠見ヶ鼻の先端にあり、夫婦の神様が住んでいました。男の神様が美しい夕日に心を奪われました。女の神様がそれに嫉妬したため、沖で遭難事故が続発しました。そこで村人は、社を夕日が見えない現在の位置に移し、陸に向けて建てました。
 
   
かんぽの宿とバス停岩屋入口の間に右折の坂道があります。その坂道を下りて行きますと、遠見ヶ鼻の西側にある岩屋漁港に出ます。高台にかんぽの宿北九州が建っています。
   
 岩屋漁港の西には岩屋海岸が広がっています。砂浜の所は岩屋海水浴場です。
岩屋海水浴場の西側です。先の方に芦屋町の夏井ヶ浜の建物、その先に狩尾岬が見えます。
芦屋町については、「北九州の近隣」の「芦屋」をご覧ください。


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