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合馬の竹林・三岳梅林    小倉南区合馬・辻三  [2016/04/02]
 

 
合馬(おうま)は紫川の支流、合馬川流域に位置します。辻三(つじみつ)は合馬の北側の山手に位置します。合馬は古く駅址があり、駅馬が落合うことから名付けられた地名といわれています。合馬には、1400ヘクタールの竹林があります。その手入れされた赤土の土壌から、美味しい筍が生まれてきます。やわらくてえぐみのない「合馬のたけのこ」は、全国的な有名ブランドです。辻三には小高い山が連なっています。東が辻蔵(つじのくら)地区で、西が三岳(みつたけ)地区です。辻蔵には語源となった辻岩神社があります。三岳の山上の城跡には、戦国時代の落城悲話が残されています。その山麓には三岳梅林や護聖寺(ごしょうじ)があります。

辻岩神社にはご神体のつび岩様が祀られています。その形は女陰に似ていて、腰下の病の男女がここで祈ると平癒しました。村人は男根形をつくって奉納しました。景行天皇の熊襲征伐に従った女官や、安徳天皇に仕えた女官が腰下の病でこの地で亡くなったため、この岩に宿ってその病の人々を救おうとしたと伝えられています。この一帯は、この奇石の女陰(つび)石があるために女陰(ついのくら)と呼ばれ、辻蔵(つじのくら)が当てられたと伝えられています。

平安時代後期、平氏の一族が長野(小倉南区長野)に築城して長野氏を名乗り、平氏滅亡後、その子は赦免を得て規矩(企救)郡地頭職を安堵されたと伝えられています。また、平安時代末期、宇佐八幡宮は地頭に任じられた中原氏の長野荘の知行を認め、中原氏は長野荘の開発を進めました。南北朝時代には、平姓長野氏と中原姓長野氏とが現れますが、その関連ははっきりしません。室町時代、長野氏は長野から東谷・中谷・西谷、さらに蒲生、徳力まで勢力を伸ばし、長野城を本城に、大三岳(おおみつがたけ)城(辻三)、小三岳(こみつがたけ)城(辻三)、稗畑山城(高津尾)等に長野氏一族は割拠しました。

中世を生き抜いてきた北九州の国人領主達は、豊後の守護大名大友氏と周防・長門の守護大名大内氏、その後を支配した戦国大名毛利氏との勢力争いに翻弄されます。長野氏もその例外ではありませんでした。1568(永禄11)年、毛利元就は、小早川隆景・吉川元春に命じ、長野氏の籠もる大三岳城・小三岳城を攻めさせました。長野氏の多数の軍勢は大友宗麟の豊後にいたため、留守居役の城兵は防戦しますが、大三岳城は落ちました。生き残った大三岳城の兵達は峰伝いに小三岳城に逃げ込みますが、これも落ち、二つの城とも落城しました。

1587(天正15)年、豊臣秀吉は大軍を率いて出陣し、九州を平定しました。長野氏を含めた筑前・豊前の諸氏が豊臣軍に参陣し、秀吉に謁見しました。この後、長野氏は筑後に国替えになり、長野城を始めとして、大三岳城・小三岳城など長野氏の諸城は廃城になりました。

江戸時代から1889(明治22)年まで合馬は合馬村でした。辻三は、江戸時代から1887(明治20)年までの辻蔵村と三岳村が合併して、1887(明治20)年辻三村が成立します。1889(明治22)年長行・辻三・合馬・田代・徳吉村が合併して西谷村になりました。1941(昭和16)年西谷村は小倉市に編入されました。

森鷗外は、1899(明治32年)6月から1902(明治35)年3月まで、第12師団軍医部長として小倉に赴任します。森鷗外が小倉に赴任していた間のことを題材にした作品のひとつ、「二人の友」に「安国寺さん」として登場するのが玉水俊虠(たまみずしゅんこ)です。当時玉水は安国寺(小倉北区竪町1丁目2-13)住職でした。また、門司区畑の玉泉寺は玉水の出身寺といわれています。安国寺さんから鷗外は唯識論の講義を受け、鷗外から安国寺さんはドイツ語の哲学の講義を受けました。「二人の友」によりますと、鷗外が東京に転任すると、安国寺さんは人に寺を譲り、東京に出て来ます。鷗外と同じ石見国出身のF君(福間博)も東京に出て来ます。二人の友は、鷗外の近くに下宿します。後、安国寺さんは小倉に戻って、三岳の護聖寺の住職になりました。

三岳にある曹洞宗の護聖寺は、室町時代の1416(応永23)年、三岳城主長野氏の菩提寺として創建されました。森鷗外の小倉時代の「小倉日記」は、行方不明になっていました。松本清張の1952(昭和27)年下半期第28回芥川賞受賞作「或る『小倉日記』伝」は、鷗外の小倉時代の資料を集めて日記に代えようとした人をモデルにしています。鷗外と親交のあった玉水俊虠の遺族が三岳にいるというので、主人公田上耕作は尋ねます。耕作は身体に障害があり、言語も不明瞭でした。このため、用件を聞いてもらえません。翌日、母親は小倉から人力車2台を仕立てて、三岳に二人はやって来ます。その甲斐があって、耕作は未亡人から話を聞くことができました。1952(昭和27)年「小倉日記」は公開され、現在は読むことができます。
国道322号線の徳光交差点から西に入り、県道61号小倉・中間線を進みます。すぐに両谷出張所交差点になります。直進しますと、県道258号呼野・道原・徳吉線をます渕ダム方向に行きます。交差点を右折して西に行くのが県道61号小倉・中間線です。右折して合馬に向かいます。間もなく合馬川沿いに出て、右の方に合馬竹林公園の建物が見えてきます。合馬竹林公園への道の合馬川に架かった橋の上からの西方向の眺めです。手前の低い丘陵地は合馬の竹林です。その先の山の麓が辻三です。合馬川は、両谷出張所前交差点から258号呼野・道原・徳吉線を少し南に行った菅生(すがお)中学校の南西で、紫川に合流します。
合馬竹林公園は昭和60年度~平成8年度(1985~96)にかけて建設されました。合馬竹林公園には展示館とその背後に竹・笹類見本園があります。
展示館に入ると、年間種々の展示会場になります。外から見ると尖塔の部分が二つあり、外光を採り入れています。そこを中心に展示会場になっています。
   
奥の展示室では竹製品などを展示しています。  
   
展示館のすぐ後は芝生広場になっていて、池がある日本庭園になっています。
日本庭園に続いて、竹・笹類見本園があります。1.2ヘクタールの面積に、約150種類の竹・笹類が植えられています。少し紹介します。
マダケ属のオウゴンモウソウ(黄金孟宗)です。
   
メダケ属のタイミンチクです。葉はやや柔らかく、先端が垂れ下がります。  
   
マダケ属のキッコウチクです。稈(かん、中空になっている茎)のもとが亀甲状に奇形しています。
   
ササ属のクマザサです。冬に葉の縁が白く隈どられます。  
   
ヤダケ属のラッキョウヤダケです。節の間がラッキョウのように膨らみます。
   
ホウライチク属のホウライチク(蓬莱竹)です。  
   
合馬竹林公園を出て県道61号小倉・中間線に戻り、少し先に行くと、県道沿いの左手に合馬農産物直売所があります。週に水・土・日曜の3日、地元の農産物を販売しています。春分の日の振替休日でしたが、月曜でしたので休業日でした。営業日は8:30~15:00の営業ですが、お昼にはほとんど売り切れている状態です。
   
県道61号小倉・中間線が右にカーブし、合馬川にかかった砂入橋を渡ります。砂入橋の上から上流方向の左側の山手を見ると、鳥居が見えます。鳥居に向かって歩いて行きます。砂入橋の下流側に戻り、川沿いの小道に入って行きます。砂入橋の下を通り、上流にある堰の横を通ります。  
   
堰の横を通り、農地の中を進むと天疫神社の鳥居の前に着きます。竹林の中の参道を昇ります。
   
竹林の先の木立の中に、天疫神社の本殿があります。秋祭りの9月15日の夜、合馬神楽が奉納されます。享保年間(1716-36)、村は飢饉、悪疫に見舞われました。村人は神楽を招き、神社に奉納して平癒を祈願しました。以来村人は神楽を習得し、毎年奉納しました。明治になって一時途絶えますが、明治末に村人によって復活されました。  
   
天疫神社の前から北側の県道61号小倉・中間線方向を眺めています。県道沿いに右端に合馬公民館、左側に合馬小学校が見えます。
1868(明治初)年、合馬に山本雲平の私塾がありました。1873(明治9)年、そこを仮校舎として合馬小学校は創立されました。その後、新築や移転があり、1937(昭和12)年現在地に移転され、現校舎は1977(昭和52)年に新築されたものです。
   
県道61号小倉・中間線に戻ります。砂入橋を渡り、先に進みます。県道沿いの右手に合馬公民館があります。公民館の前に、北九州市の無形民俗文化財に指定されている合馬神楽の説明板が立てられています。
合馬公民館の横を右折すると、山越えで長行に到ります。その途中が辻三の辻蔵地区です。
 
   
合馬公民館の横を右折して、県道269号合馬・長行線を山手の北に向かいます。県道といっても、車が離合できない区間が続きます。木立の中の暗い峠を越えると、視界の開けた辻三の辻蔵地区です。県道の左手に集落があります。県道を先に進むと長行に到ります。
長行については「北九州点描」の「長行」をご覧ください。
 県道から集落に向かいます。左側の道沿いに辻岩神社参道の案内があります。これから先は車では行けません。道沿いの最初の家の先を左折して、人家の間の小道を進みます。人家の間を抜けて細い道を小川沿いに進みますと、斜面に墓が立っていますので、その横を林に向かって進みます。林の中で道が二手に分かれます。右は竹林に進みます。左は山道の上り坂になっています。左を進むと少し広い道に合流します。
   
そこを少し進むと右手に入る道がありますので、そちらに進むとプレハブの平屋が見えてきます。その横に小さな木の鳥居が立っています。辻岩神社です。  
   
ご神体のつび岩様が祀られています。その形は女陰に似ていて、腰下の病の男女がここで祈ると平癒しました。
   
二つのつび岩様の後に、男根形の石が置かれています。  
   
横に祠がありますが、その中にも男根形の石が祀られています。
   
県道269号合馬・長行線の来た道を戻り、合馬公民館の前の県道61号小倉・中間線に戻ります。合馬小学校の先を行くと、右手に入って行く道があります。辻三の三岳地区への入口です。右折して進むと農地の向こうに三岳地区の集落が見えます。
三岳地区の集落に入って行くと、三岳梅林の案内が出ています。三岳梅林へは一方通行になります。案内に従って上って行きます。坂道を上って行きますと、山の麓に三岳梅林はあります。3月上旬の様子です。  
   
梅の木が植えられたのは、1924(大正13)年の昭和天皇の御成婚を記念してといわれています。1979(昭和54)年からは、三岳梅林公園として整備されています。
   
三岳梅林は山手にありますので、開花は平地より遅くなります。冬の寒さにより梅の開花は毎年違います。  
   
三岳梅林の先、東側に曹洞宗の護聖寺(ごしょうじ)があります。室町時代の1416(応永23)年、三岳城主長野氏の菩提寺として創建されました。
   
手前右は鐘楼で、左は開山堂です。開山堂の向こう隣に本堂があります。  
   
境内に住職の墓があり、森鷗外や松本清張の作品に出てくる玉水俊虠(たまみずしゅんこ)和尚の墓もあります。
鷗外の小倉時代については、「北九州点描」の「森鷗外旧居」をご覧ください。
   
護聖寺の山門下に、6体の地蔵尊が安置されています。バチ笠地蔵です。菅笠でもなく、托鉢笠でもない、バチ笠がどういう笠か残念ながら分かりません。笠地蔵は日本の伽話の類型の一つです。心の優しい老夫婦が、雪を被ったお地蔵さんに笠を被せてやり、その恩返しを受けるというものです。このバチ笠地蔵には次のような話が残されています。
昔々、三岳の里に、作造じいさま夫婦が住んでいました。貧しかったですが、作造じいさまは正直で、働き者でした。ある年の暮れ、作造じいさまは、手間暇に作っていた6枚のバチ笠を、城下に売りに行くことにしました。この日は朝から小雪が降っていました。護聖寺山門下に来た時、信心深い作造じいさまは、お地蔵さまにお参りしょうと立ち寄りました。
 
六地蔵は、頭や肩に雪がかかり、北風に吹かれて、いかにも寒そうでした。作造じいさまは、六地蔵の雪を払い、売りに行くはずだった6枚のバチ笠を被せてやりました。作造じいさまは、うれしそうに帰って来ました。話を聞いたばあさまも、一緒になって喜んでくれました。大晦日の夜、作造じいさま夫婦は、囲炉裏の側でうとうとと寝入ってしまいました。すると、裏口の戸が開き、バチ笠を被った6人の地蔵さまが、米俵・塩魚・煮〆箱・重ね餅・酒樽などを運び込み、何も言わずに消えてしまいました。眠い目で見ていた作造じいさま夫婦は、びっくりしてしばらく動けませんでした。夢でないことが分かった二人は、戸口に座って手を合わせました。作造じいさま夫婦は、地蔵さまが運んでくれたごちそうで、何十年ぶりかで、良い正月を迎えました。
護聖寺から坂を下りて来た所から振り返っています。右の山上に大三岳城、左の山上に小三岳城がありました。右下に護聖寺の鐘楼が見え、右端に本堂があります。三岳城は、南北朝時代に築かれた山城の大三岳城(おおみつがたけじょう)と小三岳城(こみつがたけじょう)の二城からなり、長野城主長野氏の一族が守りました。
長野城については「北九州点描」の「長野」をご覧ください。
県道61号小倉・中間線に戻り、右折して西に向かいます。上り坂になります。右手に合馬たけのこ観光園があります。
背後が合馬川を挟んで竹林で、3月下旬頃からは筍掘りが体験出来ます。また、筍の地方発送も行われています。
合馬たけのこ観光園の公式ホームページは次の通りです。
  http://www.ohma.jp/
   
2016年3月21日の「合馬のたけのこ」です。筍のシーズンの始まりで、3週間程続くと言ってました。  
   
隣の合馬茶屋では、早い時期から筍料理がいただけます。
県道61号小倉・中間線を先に進みますと、小倉南区田代のつづら折の坂道を上って、八幡東区田代町に到ります。田代町で県道62号北九州・小竹線と合流します。右に行くと八幡東区河内に、左に行くと八幡西区畑に到ります。河内と畑には貯水池があります。
河内貯水池については「北九州のみどころ」の「河内貯水池」を、畑貯水池については「北九州点描」の「畑貯水池」をご覧ください。


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