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起業祭  八幡東区  [2015/11/14]
   
1901(明治34)年11月18日官営八幡製鐵所の作業開始式が行われました。以来この日を記念して、起業祭が開催されました。しかし、1985(昭和60)年からは、起業祭が製鐵所から市民のまつりに変わりました。それまで11月18日とその前後あわせて3日間でしたが、翌年からは開催時期も早くなり、11月上旬の金土日曜の3日間、八幡東区最大の祭り「まつり起業祭八幡」として開催されています。

石炭と鉄は明治の近代産業発展の両輪でした。議会で官営製鉄所設立が決まり、1896(明治29)年10月製鐵所建設が福岡県遠賀郡八幡村に内定し、11月用地買収が始まりました。1900(明治33)年ドイツ人設計の高炉(溶鉱炉)が東田に築かれ、翌1901(明治34)年2月5日ドイツ人技師の指揮の下に高炉の火入れが行われました。高炉に続き、平炉・転炉の製鋼、コークス炉、分塊、薄板・中形圧延・小形圧延・軌条の圧延工場が完成し、近代的銑鋼一貫製鉄所が建設されました。1901(明治34)年11月18日伏見宮・農商務相・国会議員や多くの来賓を迎えての作業開始式が行われました。この前年の1900(明治33)年2月八幡村は八幡町になっていました。

少し操業の経過を見ますと、火入れの直後より高炉の故障が頻発し、作業開始式の翌年には操業中止になりました。ドイツの知識に盲従したことや技術的問題点が指摘され、1904(明治37)年2月再度東田第一高炉に火が入れられ、操業以来の最大の危機を乗り越えることができました。同年日露戦争がおこり、鉄鋼需要は増大しましたが、その要求に応えることができませんでした。軍需に応えるため、製鐵所は拡張され、日本の技術水準にマッチした自主技術が確立されました。この後、民間資本が製鉄業に進出するようになります。また、製鐵所も拡張されました。官営製鉄所は単に製鐵所でしたが、民間にも製鉄所ができると、八幡製鐵所と呼ばれるようになりました。

1914(大正3)年7月第一次世界大戦が勃発し、軍需を契機に輸出は活況を呈し、日本国内の多くの産業は発展します。八幡製鐵所は更に拡張されました。1917(大正6)年3月市制を敷いて八幡町は八幡市になりました。1918(大正8)年7月第一次世界大戦が終結すると景気は一転し、不況は慢性化します。鉄鋼業も零細は倒産し、民間鉄鋼企業は財閥の系列下に整理されていきました。昭和に入ると世界恐慌が起こり、日本は昭和恐慌となります。大不況に直面し、先進国のブロック経済に阻まれる日本は、中国大陸進出を積極化します。

大正時代より鉱滓で洞岡(くきおか)地区は埋め立てられていました。ここに洞岡第一高炉が建設され、1930(昭和5)年に火入れされ、次々と高炉群が建設されました。昭和恐慌の中で、挙国一致の風潮が強くなり、製鉄の官民合同が強く叫ばれるようになりました。種々の賛否の中、1934(昭和9)年1月日本製鐵株式会社が創立されました。対中戦争が始まり、太平洋戦争になり、戦局が悪化してくると、原料の輸送は滞り、八幡製鐵所自体も空襲にあいました。1945(昭和20)年8月15日終戦になります。

戦後の苦しい経済状況の中で、生産は再開されました。占領軍の対日経済政策の集中排除政策で、日本製鐵株式会社は分割されることになり、1950(昭和25)年4月八幡製鐵株式会社が誕生しました。同年6月朝鮮動乱が勃発します。これにより世界的鉄鋼需要を呼び、合理化を進めることができるようになりました。昭和30年代に入ると、高度成長の時代を迎えます。増大する鉄鋼需要対応するために戸畑地区に新鋭銑鋼一貫製鉄所を建設しました。

高度成長の時代に入ると、日本は予想以上の経済成長を続けました。鉄鋼各社は原料を海外に依存するため太平洋側の臨海、市場に近い場所に新鋭一貫製鉄所を着工しました。八幡製鐵は堺・君津に新製鉄所を建設し、八幡製鐵所はその兵站基地の役割を果たしました。それは要員・技術・資金・管理システムに渡っていました。

貿易の自由化時代を迎えると、各国は国際競争力強化を進めました。こうした状況に鉄鋼業は再編を迫られました。八幡製鐵と富士製鉄は合併を進め、1970(昭和45)年3月31日新日本製鐵株式会社が発足しました。翌年大分製鐵所が操業を開始しました。これまでに八幡製鐵所から堺・君津・大分に多くの従業員が転出し、民族の大移動と呼ばれました。新製鉄所の建設に伴い八幡製鐵所の地位は相対的に低下していきました。

1973(昭和48)・1979(昭和54)年、世界的に原油価格が高騰し、国内消費が低迷しました。いわゆるオイルショックの衝撃が日本を襲いました。鉄鋼業の生産は低下し、鉄冷えと呼ばれました。八幡製鐵所では戸畑地区に鉄源を集約し、八幡地区から高炉は消えていきました。その結果、東田地区は遊休地になっていました。現在、東田地区は総合開発事業が進められています。

近年の新興国の経済発展は目覚ましく、鉄鋼業界もその例にもれず、世界的な競争の中にいます。2012(平成24)年10月新日本製鐵と住友金属が合併して新日鐵住金になりました。2014(平成26)年4月小倉製鐵所(合併前は住友金属)は八幡製鐵所に統合されました。八幡製鐵所は、室蘭・鹿島・君津・名古屋・和歌山・大分製鐵所と共に新日鐵住金の7製鐵所の1つになっています。

「まつり起業祭八幡」の日程や催事の内容は下の公式サイトをご覧ください。
   http://www.kigyosai.jp/
起業祭の期間中、市道山手線の中央町交差点から八幡東消防署前交差点までは車両が通行止めになり、道路の両側に露店が出ます。中央町交差点の西の中央区商店街の入口と八幡東警察署前交差点の南北の通り、更にもう一つ西側の南北の通りも露店が出ます。市道山手線から大谷球場の東側を南に入って行き、大谷会館の前を通って行くと、普段は駐車場になっている大谷広場が起業祭の会場になります。その広場を通り、大谷体育館の前の坂を昇って行くのが会場内の道路で、そこも車両は通行止めになり、道路の両側に露店が出ます。

大谷会館の南側にメインステージは設置されています。金曜日のメインステージでの起業祭の開会式を控えて、カラーガード隊の演技が行われています。
   
演奏は北九州市消防音楽隊です。  
   
メインステージの開会式で、3日間の起業祭が始まります。
   
メインステージの前の道路を横断して西側に入って行くと、スピナ物産展のテントになります。山は皿倉山で、螺旋の高架橋は都市高速で、大谷出入口になります。
スピナ物産展の手前左手に、ちゃんこを提供するテントがあります。  
   
道路に戻り、南側の坂を昇って行きます。大谷体育館の前を過ぎた左手に石段がありますので、昇って行くと殉職弔魂碑が建っています。白仁武官営製鐵所長官の書で、1921(大正10)年に建てられています。
   
殉職弔魂碑は大谷広場の南側の高台に建てられています。そこからの眺めです。正面のコンクリート造り2階建ての建物が大谷会館です。八幡製鐵所の厚生施設の会館として、1927(昭和2)年に完成したアールデコ調の建物です。今は市民を対象に、結婚式場や会合に幅広く利用されています。その左にフェンスが見えますが、大谷球場です。その南側が大谷広場で、起業祭の会場です。
前の西側の眺めです。大谷球場が見え、左側に大谷体育館が見えます。大谷体育館は大谷広場の南側の一段高い所にあります。その前の駐車場も起業祭の会場になっています。
大谷体育館です。  
   
大谷体育館では、製鐵所及び関連会社の殉職者の慰霊祭が行われます。
   
大谷体育館の前の一角で、安川電機のロボットやすかわくんがソフトクリームを売っていました。  
   
大谷体育館の前にふれあいステージが設置されています。
大谷体育館の前の一角は八幡スウィーツマルシェやキッチンカーフェスティバルの会場になっています。またふれあいステージの周りを、飲食を提供するテントが囲んでいます。
   
大谷広場を出て、大谷会館の前を通って戻ります。  
   
左手が大谷球場です。
   
先方は市道山手線との交差点です。  
   
市道山手線に入って来ました。西方向、春の町方面です。
   
逆方向、東方向に向かい、左手の階段を下ります。正面は中央区商店街のアーケードの入口です。その手前は旧電車通りで、県道50号八幡・戸畑線です。西鉄バスの中央2丁目バス停があり、上り小倉方面、下り黒崎方面ともに数分間隔で発着します。  
   
中央区商店街のアーケード内です。起業祭の期間は人出が一段と増えます。アーケードは南北2本、東西1本が通っています。
商店街や起業祭の会場の普段の様子は、「八幡のまちかど」の「中央・春の町」をご覧ください。
   
日が暮れました。夜の中央区商店街のアーケード内です。  
   
県道50号八幡・戸畑線から起業祭会場に向かいます。
   
市道山手線から起業祭会場に入って行きます。  
   
大谷会館はライトアップされています。
   
起業祭はやはり夜です。一層賑やかになります。  
   
スピナ物産展のテントです。
スピナ物産展の先はファミリーゾーンになっていて、お子様も楽しめるようになっています。
   
ファミリーゾーンの奥から、一段高い大谷体育館前の会場に昇ることができます。その一角の八幡スウィーツマルシェとキッチンカーフェスティバル会場です。  
   
大谷体育館前のふれあいステージです。
   
大谷体育館前の会場から道路を下って来て、大谷会館の隣にあるメインステージです。  
   
起業祭会場近くの道路や県道50号八幡・戸畑線を八幡東ねぶたが巡行していました。八幡東区の平成に入ってからの新しい祭りが八幡東ねぶたです。ねぶたは全て手作りです。
   
2015(平成27)年7月、「明治日本の産業革命遺産」がユネスコの世界文化遺産に決まりました。23件で構成されますが、その一つが官営八幡製鐵所で、起業祭のイベントの一つとして、2015(平成27)年11月7日(土)その資産の一つの旧本事務所の見学会があり、間近に見ることができました。通常は、ずっと東側に離れた展望所からの見学しかできません。
旧本事務所のの裏手です。内部は非公開で見学はできません。作業開始式の2年前の1899(明治32)年に竣工した初代本事務所で、2階建て赤煉瓦造りです。長官室、技監室、外国人顧問技師室がありました。
他の構成資産の修繕工場、旧鍛冶工場の外観をじかに見ることはできましたが、撮影は許可されませんでした。
土曜、JRスペースワールド駅前の東田大通りで、八幡東田ウルトラ25時間駅伝大会が行われました。2005年から始まっています。
いのちのたび博物館の前を周回するコースは832mで、25時間タスキをつないでいき、周回数で優勝が決まります。周回路の内側にチーム毎にテントが張られて、長丁場に備えます。
ここ東田は製鐵所発祥の地で、かっては製鐵所構内で、立ち入ることさえできませんでした。テーマパークのスペースワールド、いのちのたび博物館、環境ミュージアム、北九州イノベーションギャラリー、モニュメントとして高炉が残されている東田第一高炉史跡広場があります。詳しくは「北九州のみどころ」の「東田」をご覧ください。


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