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吉祥寺藤まつり     八幡西区吉祥寺町  [2015/05/09]

 
4月下旬から5月上旬にかけて、香月の吉祥寺(きっしょうじ)本堂前の大藤棚いっぱいに薄紫の藤の花が咲きます。吉祥寺の裏の岡と隣の岡は吉祥寺公園として整備され、藤棚が設けられ、藤の花が咲きます。毎年4月27~29日の3日間吉祥寺藤まつりが行われ、香月の町は多くの見物客で賑わいます。本堂前の樹齢160年の紫野田藤3本は、北九州市の保存樹に指定されています。1904(明治37)年に樹齢50年の藤を植えました。

吉祥寺は、聖光上人(しょうこうしょうにん、鎮西上人)弁阿弁長(べんなべんちょう、1162-1238)が開山の寺で、弁長を出産後、難産のため亡くなられた母の菩提を弔うため、産屋の跡に建てられた庵がそのもとだといわれています。1217(建保5)年、誕生山吉祥寺は弁長により開山され、香月城主香月則宗により開基されました。

源平合戦の際、山鹿秀遠は平家方について亡くなりました。その叔父の香月秀則の所領勝木荘は、その子の香月則宗の時没収されそうになりますが、梶原景時のはからいで免れます。しかし、景時の謀反の際没収され、後、返還されます。承久の乱(1221年、承久3年)では則宗は京方につき、没収されますが、舞の名手の則宗の息子が将軍の目に止まり、後返還されます。

弁長は、平安時代末期の1162(応保2)年、筑前国遠賀郡香月の領主香月則宗の弟古川則茂の子として生まれました。1168(仁安3)年出家し、1175(安元元)年観世音寺の戒壇で受戒し、天台宗の僧になりました。香月の白岩寺や明星寺(みょうじょうじ、飯塚市)で修行します。その後、1183(寿永2)年比叡山に登り修行し、1190(建久元)年筑前に戻りました。弁長は明星寺の五重塔の再建の勧進を依頼され、建立します。

木屋瀬は香月の南の遠賀川右岸にあります。弁長が豊後臼杵氏からの寄付の木材を河口の芦屋より上流域の明星寺に運ぶのに、途中に木屋をかけて保管したといわれ、これが木屋瀬の由来と伝えられています。また明星寺の地元では、五重塔ではなく三重塔で、近くの大日寺山に入り、柱を切りとって建てたとも伝えられています。

明星寺の五重塔の本尊の制作を注文するために、1197(建久8)年弁長は京に上ります。その際に法然を訪ね、その日のうちに弟子入りします。1175(承安5)年、法然は唐の浄土教家善導の書いた「観無量寿経」の注釈書「観経疏」を読んで悟るところがあり、阿弥陀如来は仏の名号を唱える「称名」だけで浄土への往生を保証することを確信しました。法然は比叡山を下り、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後往生を遂げると専修念仏の教えを京都の町に広めていました。

法然は、1133(長承2)年美作(岡山県)の在庁官人の子に生まれますが、荘官との間の争いで父は深い傷を負います。立場の違いで、地方の武士の相互間でこのような抗争はたくさん起こっていました。死の間際、9歳の法然に父は、自分が死んでも敵を恨んではならない、復讐を思えば何時までも争いは絶えないと言い残しました。1145(天養2)年法然は比叡山に登りました。法然は30年の修学の期間を経て、比叡山を下りました。

浄土宗を開いた法然と出会った弁長は、その門に入った後、九州に戻り、多くの寺を創建します。その中で大本山といわれるのが筑後の善導寺です。当時この地を治め、筑後から肥前にかけて勢力を伸ばしていたのが草野氏でした。1208(承元2)年弁長が開山し、草野永平が開基して井上山光明院善導寺は建立されました。現在、善導寺は九州の浄土宗の教化の拠点、念仏の根本道場になっています。

1212(建暦2)年法然は亡くなります。その跡は長老の信空が継ぎますが、証空・弁長・幸西・隆寛・親鸞の弟子の間で法然の教義の解釈に差異が生じてきました。信空死後、5つの流れに分かれていきました。親鸞の教団は、彼の死後、浄土真宗として独立しました。浄土宗の4つの流れは、証空の西山派と弁長の鎮西派が残りました。長い歴史の中で合従連衡がありますが、鎮西派が浄土宗の一番大きな流れになっています。鎮西派の総本山は知恩院(京都)、大本山は増上寺(東京)、善導寺を含めて七山を数えます。弁長は、法然の法灯を引継ぎ、浄土宗の第二祖といわれ、浄土宗鎮西派の祖です。1238(嘉禎4)年弁長は亡くなります。1827(文政10)年仁孝(にんこう)天皇より大紹正宗国師(だいじょうしょうじゅうこくし)の号が贈られました。

江戸時代から明治22(1889)年まで、吉祥寺がある香月は香月村でした。1889(明治22)年、香月・楠橋・馬場山・畑村が合併して、遠賀郡香月村になりました。1931(昭和6)年香月町になり、1955(昭和30)年八幡市に編入されました。明治時代、筑豊御三家のひとつ、貝島太助の貝島炭鉱の大辻炭鉱が香月にあり、その輸送の鉄道、香月線も開通しました。1968(昭和43)年大辻炭鉱は閉山となり、1985(昭和60)年香月線は廃線になりました。
藤まつりの期間、吉祥寺の門前には多くの露店が出ます。佐々木病院の前の様子です。
日本武尊が熊襲征伐の際に、この地に泊まり、花香り月清き里と呼んだので香月の名が付いたと伝えられています。香月は勝木、加月とも記されました。
   
通りを北側に曲がると、吉祥寺の参道になります。先方、岡の中腹に吉祥寺はあります。吉祥寺の石段は左右に分かれていて、左が上り、右が下りになっています。
石段を上って左に行きます。この銅像は、弁長14歳の折の修行に旅立つ姿をあらわしています。  
   
左に行くと、左右に仁王像が立っています。この石段を上ると山門です。
   
山門に着きました。本堂前は藤の花でいっぱいです。
樹齢160年の紫野田藤は、この2本と反対側にある1本で、北九州市の保存樹に指定されています。
薄紫の花から甘い香りが漂います。蜜や花粉を求めてクマバチがやって来てます。  
   
本堂から左手に行くと、裏の岡に上る階段になります。本堂から山門までの大藤棚が藤の花で埋まっている様子を、裏山に上る階段の上から見ることができます。
階段を上った一段高い所に、香月牛山翁寿塔が立っています。香月牛山(通称啓益、本名則真、1656-1740)は、香月氏の子孫で、江戸中期の名医です。隣国豊前中津藩小笠原候の侍医になり、後、京都に出て医家の門を掲げました。61歳の時、小倉藩小笠原候の招聘に応じ小倉に住みました。75歳で任を辞してこの寿塔を建て、85歳で亡くなりました。分骨の墓が上の墓地にあります。寿塔の裏には、次の歌が記されています。
所から花の香月も清ければ かげをならびの岡にたぐえん
   
吉祥寺の本堂前から裏の岡に上る階段を上ると、途中通路のすぐ上に弁長の父母の墓があります。右端の母と左端の父の墓石です。その上に墓地が続いています。吉祥寺の本堂前から裏の岡に上る階段が吉祥寺公園入口の一つになります。吉祥寺の裏手の岡とその東の岡は吉祥寺公園になっています。  
   
吉祥寺の本堂の前に戻ります。本堂は1834(天保5)年に建築されたものです。吉祥寺本尊の木造阿弥陀如来坐像は、弁長が亡くなった母の菩提を弔うために彫ったものと伝えられ、安産子育てに霊験あらたかといわれ、信仰をあつめています。まつりの間開帳される秘仏になっています。
   
弁長が開山し、その墓所がある久留米市善道寺町の大本山善導寺を訪ねてみます。善導寺は戦国時代に兵火で焼失しました。江戸時代になって、柳河藩主田中氏、その後は久留米藩主の有馬氏の庇護を受けて復興しました。最初の門の大門(だいもん)です。惣門に当たる門です。 国の重要文化財で、1651(慶安4)年の建立です。善導寺で最古の建物です。  
   
大門から石畳を進みますと、より大きな三門があります。山門に当たる門です。1859(安政6)年に再建されました。
   
右手に聖光上人像が立っていて、その先の左に鐘楼、右に県の天然記念物の大樟(おおくす)が2本立っています。正面に釈迦堂があります。大樟と釈迦堂の間を右手に進むと、僧侶の居住用の建物群の大庫裏(おおくり)があります。大庫裏は国の重要文化財で、宝暦年間(1751-64)に再建されたものです。  
   
大庫裏の奥の隣に本堂(右)があり、隣に三祖堂(左)があります。本堂は国の重要文化財で、1786(天明6)年に建立されました。九州に残る木造仏堂としては最大級のものです。本尊は阿弥陀如来で、鎌倉時代に作られました。三祖堂には中央に高祖の善導大師坐像、右に元祖の法然上人坐像、左に二祖の聖光上人(弁長)坐像の三祖が祀られています。善導大師坐像、聖光上人坐像は国の重要文化財に指定されています。三祖堂の左手前に聖光上人(弁長)の墓所の御廟があります。
   
吉祥寺に戻って来ました。
本堂の東側に白藤の藤棚があります。
 
   
白藤の藤棚の先に、池に岩が配置された庭園になっていて、仏像が2体安置されています。
   
上って来た石段の右側が下り専用になります。その石段を下り切る直前の左手に、井戸があります。聖光上人(弁長)の誕生水といわれています。  
   
石段を下りて、左手に岡の麓を沿うように、車一台が通る程度の道を進みますと、道も広くなり、この石段の前に着きます。東の吉祥寺公園入口です。左右に駐車場があります。
公園入口の石段を上って行きますと、三重塔を模した展望台があります。その前に大藤棚があります。
展望台の前の大藤棚です。大藤棚の前に芝生広場が広がっています。こちらは、吉祥寺の裏の岡の東隣の岡です。
藤の花に蜂が寄って来ます。
   
展望台を2階、3階に上ると眼下に眺望が広がります。展望台から北東の眺めです。香月から小嶺にかけての住宅地が望めます。緑の屋根と隣のコンクリートの建物は千代小学校です。先方の左端が皿倉山です。手前は公園の芝生広場です。
展望台から南東の眺めで、前は香月の市街地です。右側遠くの山は福智山です。
展望台から下り、藤棚の下の通路を西に進みます。こちらの岡と吉祥寺の裏の岡との間の谷に、木の歩道橋が架かっています。  
   
歩道橋を渡ると上り坂になり、吉祥寺の裏の岡になります。坂を上り切って、左に行くと、この吉祥寺の裏の岡の最高部に出ます。この先を行くと、吉祥寺の本堂の方に下りて行けます。
   
先ほどの坂を上り切った所を直進して、坂を下って行くと、西側の紅葉の森になります。春は若葉とつつじがきれいです。林の中を西に下って行きます。  
   
この石段は西側の吉祥寺公園の入口になります。


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