北九州の催事

ホーム

 
黒崎祇園    八幡西区  [2012/08/11]
 

1600(慶長5)年、筑前国に入った黒田長政は、1604(慶長9)年、東の守りとして、黒崎城を井上周防之房(すおうゆきふさ)に築かせ、春日・岡田神社に須賀大神を奉納させます。この祭礼に山笠をつくったのが黒崎祇園の始まりといわれています。現在は、春日神社・岡田神社・一宮神社の三社の祇園祭になっています。日程は7月20日が前夜祭で、21・22日に御神幸があり、23日が解散式となります。

黒崎の町の形成と三社との関係及び黒崎祇園について見てみます。黒崎城が築かれた城山は黒崎山と呼ばれていました。ここから黒崎の地名になったと思われます。城を築きましたが、城下は藤田村と熊手村にまたがる人家がない所でした。当時の藤田村と熊手村は現在よりずっと広い範囲になります。東隣は前田村、西隣は穴生村、南隣は鳴水村です。藤田村の上ノ名(かみのみょう、現在の桃園競技場から清納1丁目付近)や隈崎(現在の清納2丁目付近)から城下の藤田へ、熊手村の山寺や菊竹名(現在の熊西1丁目付近)から城下の熊手へ民家を移しました。藤田村の本村は上ノ名でしたが、城下の藤田が本村になりました。熊手村の本村は山寺でしたが、城下の熊手が本村になりました。

春日神社はその当時上ノ名にありましたが、中世後半花尾城に麻生氏が居城していた頃は、鳥野原にありました。現在その地は東川頭町の鳥野神社があります。麻生氏は藤原氏を祖とするため、春日四神を祀る春日神社が氏神でした。鳥野神社から東に行った祇園原に八束髪(やっかひげ)神社の鳥居があります。室町時代初め、麻生氏は花尾城下の祇園原に、京都から祇園神を勧請して祇園社を建立し、疫病退散・五穀豊穣を願って祇園会を行いました。この祇園社が八束髪神社です。長い髭の祭神の素盞鳴命(すさのうのみこと)の顔の様相から付けられた神社名です。
豊臣秀吉により麻生氏が筑後に移され、花尾城が廃城になると、春日神社は廃れ、一時上ノ名に移されていました。1608(慶長13)年、春日神社は上ノ名から城下の藤田へ移されました。春日神社は、藤原氏の流れの藩主黒田氏に崇敬されました。黒崎城主の井上周防之房は藩祖を祀ることを進言し、黒田孝高(如水)・長政が祀られ、後功臣の黒田二十四騎が祀られました。また、祇園原の祇園社から須賀大神を勧請しました。このため、黒崎祇園の発祥は祇園原だといわれています。

岡田神社の由緒は古く、古代豪族の熊族の祖神から始まったといわれています。かっては洞海湾の菊竹ノ浜にありました。神武天皇や神功皇后の神事が伝わるお宮で、その地は熊手(現在の熊西1丁目付近)と称されていました。黒崎城築城の翌年の1605(慶長10)年、岡田神社は城下の熊手へ移されました。
黒崎城築城前は山寺の集落が熊手村の本村でした。その西にある王子神社が熊手村の氏神でした。1950(昭和25)年、王子神社、大歳神社、諏訪神社が合祀されて、一宮神社になりました。境内に古代祭場跡(磐境、いわさか)が残されていて、古くから伝わる社であることが分かります。

1615(元和元)年、一国一城令により、黒崎城は廃城となります。廃城の後、黒崎は長崎街道筑前六宿の東端の宿駅として栄えました。
黒崎宿の東構口は田町にありました。街道は田町から南に下り、春日神社の北西の藤田を南西に下り、岡田神社の北の熊手を通り、現在の熊手のふれあい通りに西構口がありました。
江戸時代から1889(明治22)年まで藤田村と熊手村でしたが、1889(明治22)年鳴水村と前田村を加えて遠賀郡黒崎村になりました。1897(明治30)年黒崎村は黒崎町になりました。1916(大正5)年黒崎町のうちの前田が八幡町に編入され、翌年八幡市が成立しました。1926(大正15)年黒崎町は八幡市に編入されました。

井上周防之房は春日・岡田神社に須賀大神を奉納させ、その祭礼に山笠を建てました。その山笠は笹山笠でした。之房は関ヶ原の経験から囃子に陣太鼓の調子を取り入れ、鉦や法螺貝を加えました。1905(明治38)年日露戦争が終わります。それまで山笠は笹山笠でした。翌1906(明治39)年竹に紙を貼って色を塗り、家より高い岩に見せかけた岩山が出現しました。これが飾り山笠の最初といわれています。1911(明治44)年、後の西鉄になる九州電気軌道により門司・黒崎間の電車が開通し、その架線のために山笠の高さが制限されるようになりました。人形が載った山笠の台の四方を大きさを見せて左右に広げたり、狭い所を通る時は閉じたりする工夫がなされました。

戦時体制に入ると山笠は縮小され、戦局が切迫すると中止されました。戦後の1947(昭和22)年山笠は復活しました。笹山笠は1968(昭和43)年福岡県無形文化財、1976(昭和51)年黒崎祇園山笠行事は県無形民俗文化財に指定されました。飾り山笠は電飾が施され豪華絢爛になり、その勇壮で激しい動きは人々を興奮させます。
祭りの無事を祈願して、浄めるのがお汐井取りです。お汐井取りの当日のみ、笹山笠を見ることができます。
これは藤田西の笹山笠です。笹山笠はかき棒をかずらで縛り、山笠の中央に2本の笹を立て、注連縄でつなぎ、須賀神社又は須賀大神の御札の前に鏡を取り付けます。その周囲を杉の葉で勾欄にしています。これは神社の欄干と同じです。神域を表すために四隅に布で作った梵天が吊るされています。台の周りは幕で飾ります。黒崎祇園の山笠は台に木製の車輪が付いています。曲がったり、回転したり激しい動きをする場合は、前二輪を使って前の人はかき棒を引き下げ、後の人は持ち上げて動かします。
   
7月20日黒崎祇園前夜祭は夕方からですが、その前に黒崎祇園太鼓競演会がひびしんホールで開催されました。
移転新築された厚生年金病院の跡地に、2012(平成24)年7月1日ひびしんホールと右奥に八幡西図書館がオープンしました。
太鼓競演会では、次代を担う子供達が大太鼓・小太鼓・鉦(かね)の勇壮な祇園囃子(はやし)の技を競い合います。
7月20日18時から黒崎駅前、南北に通るふれあい通りは車両は通行止め、歩行者も通りを横断できません。黒崎祇園山笠競演会会場となります。黒崎祇園の前夜祭が始まります。各飾り山笠が会場に入って来ます。
山寺山笠
 
   
藤田東山笠
   
 東町山笠  
   
熊西山笠
   
熊手一番山笠  
   
熊手二番山笠
   
 熊手参番山笠  
   
ふれあい通りいっぱいに7基の飾り山笠が揃いました。
陸上自衛隊音楽隊が先導して、ふれあい通りと黒崎駅前ペデストリアンデッキのリニューアルの横断幕を掲げて、来賓者が入場して来ました。
   
子供神輿も元気な掛け声を挙げて入って来ました。  
   
各山笠の代表を前に、黒崎祇園山笠競演会開始が告げられます。
   
前方を傾けて左右に揺さぶる粗練り、全力疾走、蛇行といった激しい山笠の運行が見られます。
山寺山笠
 
   
東町山笠
   
熊手一番山笠  
   
熊手参番山笠
   
熊手二番山笠  
   
熊西山笠
   
 藤田東山笠  
   
辺りが暗くなると、熱気は一段と高まり、山笠は「回し練り」という回転を始めます。
東町山笠
   
 熊手一番山笠  
   
熊手参番山笠
   
熊手二番山笠  
   
熊西山笠
   
藤田東山笠  
   
山寺山笠
   
ふれあい通りは、豪華絢爛な山笠の激しい動きに歓声が挙がりました。
藤田1-10-44にある春日神社です。
祇園祭の間、鳥居の下は藤田西山笠の小屋になっています。
 
   
春日神社には、麻生氏の氏神だった頃の鳥野春日大明神、移って来た時にこの地に祀られていた大比叡神社、藩祖を祀った国祖黒田大明神、祇園野から勧請した須賀神社など、歴史を重ねる度に多くの神々が祀られるようになりました。
   
社殿横には御神木のクスノキが立っています。市の保存樹に指定されています。  
   
岡田町1-46にある岡田神社です。
   
岡田神社は、菊竹ノ浜で熊族の祖神を祀ったことが始まりで、岡田宮といいました。「古事記」で神武天皇が日向から東征の途で、筑紫の岡田宮に1年にいたと記載されています。岡田神社社伝によれば、岡田宮に詣で、八所神を祀ったといわれて、その地を熊手と号したといわれています。  
   
7月21日黒崎祇園祭の神事が行われていました。午後から御神幸があります。
岡田神社の中殿は岡田宮と呼ばれ、神武天皇が祀られています。右殿は熊手宮と呼ばれ、国作りを行ったといわれる大国主命、少名彦命(すくなひこのみこと)と崗県主熊鰐(おかのあがたぬしくまわに)が祀られています。熊鰐については、仲哀天皇と神功皇后が周芳(すわ、周防のこと)沙麼(さば)の浦から九州に向かった際、崗(遠賀のこと)県主の先祖、熊鰐(くまわに)が出迎えにやって来ます。熊鰐は船の舳先に賢木(さかき)を立てて、その枝に鏡・剣・玉を下げていました。左殿は八所宮と呼ばれ、神武天皇が祀った八神が祀られています。
   
山寺町12-30にある一宮神社です。  
   
参道の左手に、古代祭場跡の磐境(いわさか)が残されています。磐境は神を祀るために磐石で築いた場所です。神武天皇が日向から東征の途この地に滞在し、磐境を築いて天神地祇を祀ったと伝えられています。
   
元来この地に王子神社がありました。東征の途で、筑紫の岡田宮に1年にいた神武天皇の宮居の地であったといわれています。諏訪神社は花尾城主の麻生氏が、信州の諏訪神社を現在の御手洗公園の場所に分祀していました。1940(昭和15)年、土地区画整理のために王子神社に合祀されました。大歳神社は、洞海湾岸の干拓地に五穀の神として祀られていました。工場用地になるため他の土地に遷座されていました。1950(昭和25)年、王子神社と大歳神社が合祀することになり、一宮神社と称することになりました。三社の祭神が祀られています。  
   
7月21・22日に祇園祭の神事と御神幸があります。21日は岡田神社・一宮神社で、22日は春日神社で行われます。
22日の春日神社の御神幸が始まりました。神輿が町内を巡行します。
   
御神幸では、山笠が随伴して巡行します。
黒崎については「八幡のまちかど」の「黒崎」をご覧ください。
 
   
厳しい坂道もあります。太鼓・鉦が激しくたたかれ、勢いをつけて昇って行きます。
   
7月23日はふれあい通りでの解散式です。最後の演技になります。
熊手参番山笠
 
   
東町山笠
   
熊西山笠  
   
藤田東山笠
   
 山寺山笠  
   
 熊手一番山笠
熊手二番山笠
   
 各山笠が並んで解散式が行われます。


You Tube でこのページの動画がご覧になれます
この先をクリックしてください → 黒崎祇園


トップへ

北九州の催事へ

ホームへ