北九州の催事

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わっしょい百万夏まつり   
 小倉北区  [2015/08/15]
 

 
わっしょい百万夏まつりは、1988(昭和63)年北九州市制25周年を記念して始められました。1963(昭和38)年、門司・小倉・戸畑・八幡・若松の五市が合併して北九州市が誕生しました。わっしょい百万夏まつりは、北九州市民の祭りとして年々規模が大きくなっており、観客も増えています。8月第1土曜から2日間開催され、小倉北区の小倉城周辺、小文字通り、勝山公園を中心に行われます。

わっしょい百万夏まつりの内容、スケジュール、交通規制等についての詳細は、下記のわっしょい百万夏まつりの公式サイトをご覧ください。
http://wasshoi.info/
8月第1土曜日、国道199号線の勝山橋からリバーウォークの横を通って紫川沿いを南に行きます。紫川沿いや北九州市役所の北側には露店が並んでいます。右側に小倉城の天守閣が見えます。
   
北九州市役所の東側は物販協賛ブースになっています。  
   
市役所の横の紫川沿いを進むと、小文字通りに出ます。小文字通りを挟んだ北九州市役所の南側に勝山公園があります。勝山公園の小文字通り寄りに企業等PRブースがあります。
   
勝山公園芝生広場にはステージを囲んで、ご当地グルメ・ビアガーデンと協賛物販ブースになっています。
 
小文字通りの北九州市役所の東側前は有料観覧席になり、通りを挟んだその向かい側はメインステージになっています。車両は進入禁止になって、わっしょい交流式典が始まりました。左側が福岡・熊本・大分・佐賀・鹿児島・別府・長崎・宮崎の観光大使やミスの方々です。右側は北九州市を広く紹介する観光親善大使の北九州看板娘と看板息子達です。  
1日目の土曜日、勝山公園芝生広場のステージ前では「わっしょいYOSAKOI北九州」決勝演舞が行われました。決勝には6チームが残りました。チームはかごしま新世界です。  
   
浮流流の皆さんです。
1954(昭和29)年から8月に高知市ではよさこい祭りが開かれます。鳴子(なるこ)を持った踊り子たちが「土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うを見た ヨサコイ ヨサコイ」の歌詞のよさこい節に合わせて踊ります。昔はこの様な正調よさこい鳴子踊りが主流でしたが、最近ではロック調、サンバ調、クラブ調あるいは演歌調など、各チームがアレンジしたさまざまな楽曲と振り付けが披露されているようです。
   
小倉南看護専門学校「侍」の皆さんです。
よさこい祭りのこの自由さ、柔軟さが各地に広がっていきます。1992(平成4)年によさこい祭りとソーラン節がミックスされて生まれた、YOSAKOIソーラン祭りが札幌で始まりました。その踊りとリズムは若者を魅了しました。この様な動きが全国に広がりました。
 
   
騒乱武士の皆さんです。「わっしょいYOSAKOI北九州2015」の感動大賞受賞チームです。
   
井筒屋「井和会」の皆さんです。  
   
肥後真狗舞の皆さんです。
   
小文字通りのメインステージでわっしょい交流式典が行われていて、日韓交流50周年を記念して、釜山国際交流財団の演舞がありました。  
   
この後、メインステージでまつり式典がありました。そして夏まつり大集合が始まります。まず長浜貴布禰(きふね)神社神輿が小文字通りをメインステージ前に進んで来ました。細川忠興は小倉城を築城し、城下町を整備する中で、紫川河口の漁民は東の長浜と西の平松に移住させました。藩主が小笠原氏に代わり、長浜と平松に神輿が授けられました。
   
市内の夏まつりが大集合しました。戸畑祇園東大山笠です。東小若山笠も参加しています。
江戸時代の1802(享和2)年、戸畑村で疫病が蔓延したため、祭神の須賀大神に祈願したところ終息しました。翌1803(享和3)年7月、村人が山笠をつくり神社に寄進しました。このことが戸畑祇園の始まりといわれています。祭りは7月の第4土曜の前後3日間行われます。戸畑祇園には四つの大山笠とそれぞれに小若山笠四つがあります。
 
   
戸畑祇園中原大山笠です。中原小若山笠も参加しています。
この大山笠を幟山笠といい昼間の姿です。左右6本ずつの幟が12本立っています。
戸畑祇園については、「北九州の催事」の「戸畑祇園」をご覧ください。
   
黒崎祇園藤田東山笠です。
1600(慶長5)年筑前国に入った黒田長政は、1604(慶長9)年東の守りとして、黒崎城を井上周防之房(すおうゆきふさ)に築かせ、春日・岡田神社に須賀大神を奉納させます。この祭礼に山笠をつくったのが黒崎祇園の始まりといわれています。現在は、春日神社・岡田神社・一宮神社の三社の祇園祭りになっています。
 
   
黒崎祇園山寺山笠です。
黒崎祇園は7月20日が前夜祭で、21・22日に御神幸があり、23日が解散式になります。
黒崎祇園については、「北九州の催事」の「黒崎祇園」をご覧ください。
   
若松五平太ばやしです。
7月下旬の金・土・日曜に行われる若松みなと祭りで、五平太船の山車を引いて、祭り衣装で、樽太鼓を打って歌うのが五平太ばやしです。江戸時代石炭を発見したのが五平太という人だったので、石炭を五平太と呼びました。それを運ぶ川船を五平太船と呼ぶようになったといわれています。筑豊の石炭を遠賀川と堀川・江川を通って若松に運びました。五平太船は川艜(かわひらた)とも呼ばれ、底が浅く、幅の広い川船です。五平太船のもう一つの説は、江戸時代、福岡藩は船庄屋を置いて直接管理していたので、「御ひらた」が転じて五平太になったともいわれています。
若松みなと祭りについては、「北九州の催事」の「若松みなと祭り」をご覧ください。
 
   
八幡東ねぶたです。
八幡東区の平成に入ってからの新しい祭りがねぶた祭りです。ねぶたは全て手作りです。11月上旬のまつり起業祭八幡で見ることができます。
まつり起業祭八幡は「北九州の催事」の「起業祭」をご覧ください。
   
小倉祇園太鼓です。
1602(慶長7)年に小倉城を築いた細川忠興は、領内の総鎮守として祇園社を創建し、京都の祇園祭を取り入れました。この祇園社が現在の八坂神社です。小倉祇園は7月の第3土曜日を中心に、前後3日間行われます。小倉祇園は太鼓祇園で有名です。
小倉祇園については、「北九州の催事」の「小倉祇園」をご覧ください。
 
   
大里電照山笠です。
大里電照山笠の後には、戸上神社の奉納太鼓の大里太鼓が載せられています。戸上神社春期・秋季大祭や門司みなと祭に出場していたこともあります。現在はわっしょい百万夏まつりで見られます。
   
戸畑祇園大山笠は、昼間の幟山笠から夜の提灯山笠へ変身します。台上から祠が置かれた台座以外すべてが取り外されます。  
   
山笠台の四隅に、提灯がついた木枠を取り付ける柱が立てられます。山笠台は釘は使われず、藤葛(ふじかずら)で締められています。提灯山笠の頂上部の五段が横に用意されています。
   
五段を若い衆が担ぎ、下から長い竿で支えられて、一気に頂上に担ぎ上げます。これが五段上げで、6段目から12段目までが瞬く間に組み上げられます。12段、309個、重さ2.5トンの提灯大山笠が完成します。  
   
2基の黒崎祇園山笠がメインステージの前で、「回し練り」という回転を始めました。
戸畑祇園大山笠が「ヨイトサ、ヨイトサ」の掛け声で、歩調を合わせて進んで来ました。
   
メインステージで若松五平太ばやしが演じます。
五平太船の船頭達が、仕事の合間、風や潮待ち、唐戸(からと、水門のこと)通過の順番待ちの時、船縁を叩き、はやしながら流行り唄や民謡を唄いました。これが五平太ばやしのもとです。競争も激しく、収入も多いが危険も多く、気風の良さと喧嘩早いが情にもろい、五平太船の船頭達の性格を川筋気質(かわすじかたぎ)といいました。鉄道が開通すると、運ばれた石炭は人力によって貨車から船に積替えられました。この作業に従事していた沖仲仕はごんぞうと呼ばれました。ごんぞう達に川筋気質は引き継がれていきました。若松は、昭和30年代頃まで日本一の石炭積出港でした。
八幡東ねぶたです。
2基のねぶたは前が風神と雷神で、後ろがスペースワールドのキャラクターのヴィッキーとラッキーです。笛と太鼓のお囃子に、跳人(はねと)が跳ねて踊ります。
 
   
メインステージで小倉祇園太鼓が据え太鼓で演じられます。ジャンガラと呼ばれる擦り鉦で調子を取り、太鼓の両面をカンとドロの打ち方の違いが渾然一体となり、豪快に太鼓を打ち鳴らします。
2日目の日曜日、小文字通りではわっしょいパレードが始まりました。福岡県警北九州警察部機動警察隊の白バイが先導します。
   
次は北九州市消防音楽隊が進んで来ました。  
   
主催者、市長、市議会議長等の人力車に続いて、今年選出された北九州看板娘2人が乗ったオープンカーが来ました。そして次は看板娘と看板息子が乗ったオープンカーです。
   
福岡銀行パレード隊です。「わっしょいパレード2015」の「わっしょい賞」を受賞しました。  
   
にしてつの花自動車2台が来ました。
   
パレードには26団体が参加しました。タカコバトン&Unityです。「わっしょいパレード2015」の「百万賞」を受賞しました。  
   
北九州に本社がある航空会社スターフライヤーです。「わっしょいパレード2015」の「夏まつり賞」を受賞しました。
   
2日目日曜日の17:00を過ぎました。百万踊りが始まりました。
百万踊り第1部とこどもの部がありました。2015年の第1部のグランプリは、メインステージ側の仕立て屋甚五郎わっしょい隊でした。他にも色々賞がありますが、省略します。  
   
ステージの司会者は中央が中島浩二さん、右が今村敦子さん、左が第4代の看板娘の真部せいらさんの3人です。第1部の参加は38団体、こどもの部は6団体でした。
   
その後、独自の振り付けした創作の部がありました。創作の部のグランプリは日本舞踊裕志朗の会でした。参加は8団体でした。  
   
しばらくの休憩時間を挟んで、19:00頃から第2部が始まりました。百万踊りの曲は日野美歌が歌う「燃えろみんなの北九州」だけでしたが、2013年から「いいっちゃええっちゃ北九州」が加わりました。この曲は大内義昭の作曲です。大内は北九州市八幡西区出身でしたが、2015年5月病死しました。55歳でした。「愛が生まれた日」を女優の藤谷美和子とデュエットしてヒットしたことで有名ですが、その後帰郷しました。故郷で、音楽活動を続けました。地元サッカーチーム、ギラヴァンツ北九州の公式応援歌「燃えろギラヴァンツ〜太陽に向かって〜」は大内義昭の作品で、歌唱もしています。
   
第2部のグランプリは暖心RHKでした。他にも色々賞がありますが、省略します。  
   
小文字通りの東側です。紫川に架かっている中の橋(太陽の橋)を渡って、路上にモノレールが通っている平和通りまでが百万踊りの会場です。向こうの建物の前の下を紫川が流れています。
小文字通りの北九州市役所の東側前の、通りを挟んだ向かい側にメインステージがあります。
小文字通りの西側は市役所前になり、その先に松本清張記念館があり、その前の清張通りまでが百万踊りの会場です。
百万踊り第2部は50団体が参加しました。
   
日曜日20:15に勝山公園から花火が打ち上げられました。  
   
21:00までに6,000発の花火が打ち上げられました。


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