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若松みなと祭り
  若松区  〔2013/08/03〕
 

若松は、日本一の石炭積出港として、昭和30年代まで隆盛を極めました。江戸時代から昭和の初めまで、筑豊の石炭は川船の五平太船(川ひらた)で運ばれました。その船頭達が、船縁を叩き、はやしながら流行り唄や民謡を唄ったのが五平太ばやしです。祭りの間、若松商店街周辺は、五平太船を模した山車(だし)が練り歩き、木樽の樽太鼓を打ち鳴らす音と五平太ばやしの唄声でいっぱいになります。若松みなと祭りは7月下旬の金・土・日曜に行われます。

昔5月に行われていたみなと祭と、7月に行われていた夏祭りが一緒になって、現在の若松みなと祭りは行われます。市内の門司みなと祭は、現在も5月に行われています。5月のみなと祭りは、現在は廃止されましたが、戦前の5月27日の海軍記念日に由来します。これは、1905(明治38)年5月27日、日露戦争時の日本海海戦を記念して制定されたものでした。7月の夏祭りは、祇園祭り、白山神社や厳島神社などの夏祭りがありました。

一説によりますと、江戸時代石炭を発見したのが五平太という人だったので、石炭を五平太と呼びました。それを運ぶ川船を五平太船と呼ぶようになったといわれています。五平太船は川ひらた(ひらたは舟に帯の一字です)とも呼ばれ、底が浅く、幅の広い川船です。五平太船のもう一つの説は、江戸時代、福岡藩は船庄屋を置いて直接管理していたので、「御ひらた」が転じて五平太になったともいわれています。

石炭を積んだ五平太船は、遠賀川そして江川や江戸時代に開削された堀川を通って洞海湾に入り、洞海湾を渡って若松まで運びました。五平太船の最盛期は明治20~30年代(1887~1906)でした。船頭達が、仕事の合間、風や潮待ち、唐戸(からと、水門のこと)通過の順番待ちの時、船縁を叩き、はやしながら流行り唄や民謡を唄いました。これが五平太ばやしです。競争も激しく、収入も多いが危険も多く、気風の良さと喧嘩早いが情にもろい、五平太船の船頭達の性格を川筋気質(かわすじかたぎ)といいました。

1891(明治24)年8月、直方-若松間の鉄道が開通しました。しだいに石炭輸送は五平太船から鉄道貨車に代わっていきました。運ばれた石炭は人力によって貨車から船に積替えられました。この作業に従事していた沖仲仕はごんぞうと呼ばれました。ごんぞう達に川筋気質は引き継がれていきました。ごんぞうは、昔布で編んだ草履「ごんず」を履いていたからや、「ごんぞう」という力の強い人がいたことからなどの説があります。

若松は石炭を中心にして、その輸送に携わる沖仲仕(ごんぞう)、鉄道や船の輸送機関、商社、問屋、鉄工所、商店、その他サービス業で繁栄します。しかし、ごんぞう達の仕事はしだいに機械にとって代わられます。石炭の積出量は1940(昭和15)年がピークで、戦後、復興期には石炭がエネルギーの基礎を支えましたが、昭和30年代後半、石炭から石油へのエネルギー革命が始まると、筑豊の炭鉱も閉山となり、1982(昭和57)年石炭の貨物取扱は廃止されました。
昭和50年代には若松の北側の響灘で埋立工事が行われ、現在はエコタウン事業が推進され、コンテナターミナルが建設されました。高度成長期には死の海といわれた洞海湾も、きれいな海がよみがえってウォーターフロントの開発が進められました。

若松みなと祭りで唄われる「若松五平太ばやし」は、郷土の作家、火野葦平よって作詞されたものです。
「ハァー わたしゃ若松 みなとの育ち 黒いダイヤに 命を賭ける わたしゃ若松 五平太育ち」
「ハァー 蛭子めでたや 若松小松 池にゃ 鶴亀 お庭にゃ桜 わたしゃ若松 五平太育ち」
「ハァー 雄島雌島は 玄界灘で 末をちぎった 仲よい夫妻 わたしゃ若松 五平太育ち」
「ハァー 高塔山から 石峯山にゃ 河童うようよ 踊りをおどる わたしゃ若松 五平太育ち」
「ハァー 出船入船 入船出船 ドラの音聞きゃ 心もそぞろ わたしゃ若松 五平太育ち」
「ハァー 若松みなとの 五平太仲仕 粋な手さばき 日本一よ わたしゃ若松 五平太育ち」

火野葦平は河童をこよなく愛しました。自宅を河童の棲家といった意味の河伯洞と名付けたほどです。若松みなと祭りの最終日の夕方、かっぱ祭りが行われ、火野葦平の発案で始まった火まつり行事があります。高塔山山頂の河童地蔵尊のお堂を目指して、たいまつ行列が出発します。
若松みなと祭りは金曜の夕方から始まります。海岸ではカッターレースがありますが、陸上では中川通りのベイサイトプラザ若松の2棟の間、サンリブ若松店前で、五平太ばやし通り競演会があります。町内、商店街、子供会、学校、企業や団体のチームが五平太船の山車を引いて、祭り衣装で、樽太鼓を打って、五平太ばやしを唄います。

若松青年商業会
   
 花龍愛鼓会  
   
浜っ子流舞連
   
 高稜高校  
   
15区星陵会
   
シャボン玉石けん

五平太船や堀川、舟運については、「八幡のまちかど」の「堀川」をご覧ください。
 
   
若松みなと祭りの第1日目の金曜の夜8時から、洞海湾でくきのうみ花火の祭典が始まります。若松側の会場は若松南海岸通りです。若松が日本一の石炭積出港として隆盛を誇っていた時代のメインストリートです。
この通りを中心に、その時代と現在についての詳細は、「北九州のみどころ」の「若松南海岸」をご覧下さい。
   
くきのうみ花火の祭典は若戸大橋を挟んだ、若松と戸畑の両方から花火を楽しむことができます。
若松と戸畑双方とも会場付近の道路は通行止めになります。若松会場へのJR筑豊本線の折尾・若松間の若松線は、臨時列車が運行されます。
くきのうみ花火の祭典でのクライマックスには、若戸大橋からのナイヤガラで、会場から一段の歓声が挙がります。
2日目土曜日、中川通りのホテルルートイン北九州若松駅東前の特設ステージで、北九州市消防音楽隊の演奏とカラーガード隊の演技が行われていました。  
   
カラーガード隊を先頭に、北九州市消防音楽隊の演奏でパレードが始まりました。中川通りを北に行き、商店街を通って一周して戻って来ます。
   
バトントワラーのチーム、PLMBAです。  
   
洞海海洋少年団
   
 若松海上保安部  
   
五平太ばやしのチームの花龍愛鼓会以下10チームがパレードに参加していました。祭りの衣装はごんぞうの姿を模した法被、地下足袋、豆絞りの格好です。
2日目土曜日の午後、ホテルルートイン前の特設ステージで、五平太ばやし競演会があります。皮を張った太鼓でなく、木樽の樽太鼓を打ち鳴らし、「若松五平太ばやし」を唄います。チーム毎に趣向を凝らした演技があります。

中学校で唯一の石峯中学校
   
 以下子供の部です。
12区子供会
 
   
若松がんばろう会若組
   
15区子供会  
   
若松青年商業会若組
   
花龍愛鼓会  
   
 浜っ子五平太
以下大人のチームです。
日揮触媒化成
   
高稜高校  
   
浜っ子流舞連
   
若松がんばろう会  
   
15区星陵会
   
 花龍愛鼓会  
   
北九州市役所職員五平太ばやし愛好会響
   
シャボン玉石けん  
   
若松青年商業会
   
福岡ひびき信用金庫
2日目土曜日の夕方、五平太ばやしのチームが中川通りに集まって来ました。
日が落ちると、1日目の五平太ばやし通り競演会や2日目の五平太ばやし競演会の表彰式があります。
 
   
五平太ばやし競演会の優勝チームの演技があります。
 参加全チームによる五平太ばやし総打ちがあります。
3日目日曜夕方、若松駅横の久岐の浜広場でかっぱ祭りが行われます。河童の像に好物のきゅうりが供えられ、頭の皿に水が注がれます。この後、火野葦平の発案で始まった火まつり行事が始まります。
太鼓に送られて、たいまつ行列が出発しました。
高塔山の登山道口です。ここが一番急な坂道です。
   
登山道途中にヘアピンカーブがあります。その手前です。  
   
ヘアピンカーブです。
   
高塔山の芝生広場に着きました。その上が山頂広場です。山頂広場の一角には、河童地蔵尊のお堂があります。お堂には、河童封じの地蔵尊が安置されています。
河童地蔵尊や高塔山については、「北九州のみどころ」の「高塔山公園」をご覧ください。
 
   
山頂広場の東側には展望台があります。そこからの夜景です。手前が若松で、洞海湾の向こうが戸畑です。左側に若松と戸畑を結ぶ若戸大橋があります。中央付近屋上のグリーンのネオンがホテルルートインです。


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この先をクリックしてください → 若松みなと祭り
You Tube でくきのうみ花火の祭典の動画がご覧になれます
この先をクリックしてください → くきのうみ花火の祭典2016 


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