北九州点描

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馬島
  小倉北区  [2016/10/01]
 

 
馬島(うましま)は関門海峡の西口の響灘に位置し、小倉駅の北北西9km余り、若松区の響灘埋立地先端からは北東3km足らずしか離れていません。周囲約5.4km、面積は約0.26km²、最高地点は34mの小さな島です。島の名前は、馬の牧場があったとか、近くで馬を乗せた舟が難破したためともいわれています。

関門海峡は本州側の下関と九州側の門司との間にある海峡で、東の瀬戸内海の周防灘と西の日本海の響灘をつなぎます。航路は、東口の門司の部埼(へさき)沖から西口の下関の六連島(むつれじま)沖まで、海峡の長さ約28kmです。

馬島の北東約300mに六連島(むつれじま、山口県下関市)があります。北西約4kmにある藍島(あいのしま、福岡県北九州市小倉北区)とは渡船で行き来できます。島の南に和合良(わごら)島、南西に片島という小さな無人島があります。島の東側は最高地点24mの金崎島という島でした。100年程前から砂が吹き上がって馬島と金崎島は地続きになったといわれ、砂州が発達して陸続きになっています。

江戸時代の記録は残されてないみたいですが、1889(明治22)年には12戸63人の記録があります。島の人に尋ねたところ、「現在戸数は11軒で、2人の家が2軒、3人が主で、4人の家もあって、30数人かな」との返事でした。半農半漁の島でしたので、生活を守るため分家をしないようにしていたとの話を聞きました。このため昔は家も人の数も余り変わりないようです。しかし、この島も例外なく高齢化し、少子化で人口は減少しているようです。馬島は1889(明治22)年企救郡板櫃村に属し、1922(大正11)年板櫃町になり、1925(大正14)年板櫃町は小倉市に編入されました。

馬島へは、JR小倉駅北東の国道199号線沿いの北九州市営渡船小倉発着所(小倉北区浅野3丁目9-1)から「こくら丸」が出ています。これは北九州市営渡船小倉航路で、藍島・馬島・小倉間を一日3往復します。馬島へは大人片道280円で、藍島へは400円です。

藍島・馬島・小倉の渡船運航は、1923(大正12)年旧小倉市が旅客船を建造して、運航を契約者に一任したのが始まりです。旧小倉市営渡船になったのは、戦後の1946(昭和21)年からです。渡船の小倉発着所は若干の移動はありましたが、紫川河口にありました。1979(昭和54)年、西日本総合展示場の北側の紫川泊地に小倉発着所は移動します。1992(平成4)年現在の「こくら丸」が就航し、小倉発着所は1998(平成10)年現在地の北九州国際会議場の南側、砂津泊地に移動しました。

「こくら丸」は馬島漁港に入ります。馬島漁港は馬島の南側の中央部にあります。「こくら丸」は港入口近くの浮き桟橋に接岸にするか、天候が悪い場合はその奥の岸壁に接岸します。岸壁の奥が漁船の船溜まりになっています。馬島の人家は、馬島漁港から半径200m以内にあります。店舗はありません。漁港の小さな「こくら丸」の待合所にトイレはあります。

馬島漁港の北側の高台に大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)があります。漁港から北西に行った所に馬島診療所が1968(昭和43)年に開設されています。漁港からこれらの前や人家の間には、舗装された軽自動車1台分程度の細い道が通っています。島内では生活用水の確保が困難でしたが、2004(平成16)年北九州市と下関市の協定により、六連島から海底送水管が敷設され、下関市から馬島に給水が行われています。
JR小倉駅北東の国道199号線沿いに北九州市営渡船小倉発着所はあります。砂津川の河口の砂津泊地のここから「こくら丸」は1日3便出ています。 馬島経由の藍島(あいのしま)行きです。馬島へは20分で着きます。
「こくら丸」の時刻表は、「北九州市役所」で北九州市の公式サイトを検索し、その中で「小倉航路」を検索してご覧ください。
   
小倉発着所の先に北九州国際会議場があり、その先にサッカーのギラヴァンツ北九州のホームスタジアム、北九州スタジアムの建設工事が行われています。1万5千人収容の北九州スタジアムは、2017(平成29)年3月完成予定です。  
   
「こくら丸」の船上の左舷からは、北九州の臨海工業地帯を眺めることができます。砂津泊地を出ると、間近に新日鐵住金八幡製鐵所小倉地区を見ることができます。下関市彦島と北九州市小倉北区間の関門海峡の航路を西口に向かいます。
   
海に面した北九州市中央卸売市場の水産棟が見えます。背後の煙突とプラントは九州電力の新小倉発電所です。その左手は日明臨海工業団地になります。  
   
左舷側は小倉北区から戸畑区に入って来ました。新日鐵住金八幡製鐵所八幡地区戸畑構内の高炉が見えます。八幡製鐵所八幡地区には、他に八幡東区の洞海湾岸の八幡構内があります。
   
「こくら丸」の右舷からは彦島を過ぎて、馬島(北九州市小倉北区)が見えてきました。右端に六連島(下関市)に重なって馬島の東側の金崎島の部分が見えます。中央の手前に馬島の南にある和合良島が見えます。左端は島に見えますが、馬島と陸続きです。  
   
和合良島の横を通って「こくら丸」は馬島漁港に入って行きます。
   
馬島漁港です。「こくら丸」は中央の街灯の所の岸壁に、波が穏やかな時は、その右先の浮き桟橋に着きます。漁港の入口はその先になります。街灯の先の左手に和合良島が見えます。
漁港に倉庫があり、そこから右に行きますと、道が直進と左折に分かれています。そこを直進し、坂道を登って行きます。すぐ切り通しになり、そこから下り坂です。先方に小山が見えます。実はそこはかっては金崎島という島だったのですが、馬島と陸続きになっています。金崎島は馬島の東部になります。陸続きになった所は草地になっています。  
   
陸続きになった所の右手の南側に砂浜の入江があります。砂浜の南側に和合良島があり、その先に北九州の臨海工業地帯が見えます。
陸続きになった草地の先を行くと坂になり、そこを登ると畑があります。その金崎島の畑の縁を通って行くと、金崎島の南側の岩場に出ます。左手は砂浜になっています。海の先は、手前の低い山は彦島、先の高い山は門司区の山々です。その間に関門海峡があります。
陸続きになった草地まで戻り、砂浜とは反対側の茂みの中を進み北側に行きます。南側と同じように砂浜の入江になっています。右端の先方は六連島です。
   
漁港の倉庫の手前まで戻り、右手北側の高台に向かいます。その下に大山祇神社の鳥居が立っています。石段を昇って行くと社殿があります。拝殿に掲げられている由緒の額には、寛永6年(1629)再興の文字があります。  
   
馬島の西側に向かいます。漁港の倉庫の左側を神社の方向へ北に向かい、アンテナが立っている広場の先を左折します。馬島診療所があって、その先は墓地になっています。舗装道はそこまでで、更にその先、畑の横の道を進みます。畑の先に馬島最高地点の山があります。その麓を右折して行くと、海岸に着きます。北側の海岸は砂浜の入江になっていて、その先は岩場になります。そこから先方に見えるのは六連島です。最高地点は103.7mあります。ここから馬島の西部を岩場を通って巡って行きます。干潮時でなければ行けません。
馬島西部の北端から北西方向の眺めです。中央は藍島(小倉北区)で、右は蓋井島(ふたおいじま、下関市)です。藍島の左は国家石油備蓄基地がある白島の男島、左端に白島の女島が見えます。ともに若松区に属します。
隣島の藍島(小倉北区)がよく見えます。藍島は馬島の北西4km程先になります。藍島と馬島が北九州市の島の中で、人が住んでいる島です。
藍島については、「北九州点描」の「藍島」をご覧ください。
馬島の西側にある無人島の片島が見えてきました。中央の小山が片島です。そのすぐ手前から左端の小山が馬島の西端になります。そこは干潮だから陸続きになっていますが、満潮だったらどうだろうと思われる所です。
干潮だから陸続きになっていますが、満潮だったらどうだろうと思われる所の両側は崖になっています。そこを通り過ぎて南側の海岸に出てきました。そこは砂浜の入江になっています。その先の岩場からの眺めです。左側は片島です。右端の崖の間を通って来ました。
馬島西部の南側の岩場から南西方向眺めです。一番高い山は皿倉山(八幡東区)です。その右下が洞海湾の入口です。そこから右側は響灘臨海工業団地(若松区)で、左側は新日鐵住金八幡製鐵所八幡地区戸畑構内(戸畑区)です。
馬島西部の南側の岩場の先に砂浜の入江があり、そこから道がありますので先に進みます。アンテナが立っている広場の手前に出ますので、そこを右折すると魚港に戻れます。魚港の手前に猫達が集まっているお家があります。馬島の猫には、2014(平成26)年にNPOの支援で、不妊手術が行われています。


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