北九州点描

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  門司区  [2010/03/13]
 

畑は、西は戸ノ上山の東麓から、東は周防灘に到る東西に細長い地形です。北は猿喰(さるはみ)、南は吉志(きし)、西は大里、東の海沿いは今津になります。
江戸時代から1889(明治22)年まで畑村でした。1889(明治22)年、畑・猿喰・今津・吉志・恒見・伊川村が合併して松ヶ枝村になりました。松ヶ枝村役場は当初畑に設置されましたが、1923(大正12)年吉志に移転されました。畑の北端にある鹿喰(かじき)峠は、江戸時代以前より、西の関門海峡と東の周防灘を結ぶ間道でした。大正15年頃、鹿喰峠経由の乗合自動車が大里・恒見間を運行しました。1942(昭和17)年、松ヶ枝村は門司市に編入されました。1932(昭和7)年、鹿喰峠の下に鹿喰隧道が開通しました。
北九州市には畑という地名がもう1箇所あります。八幡西区の畑です。そちらは「北九州点描」の「畑貯水池」をご覧ください。
県道71号新門司港・大里線を大里から都市高速の大里インターの入口を通って、西に向かいます。大久保貯水池の周りにある城山霊園を左下に見て坂を上りますと、先方に鹿喰トンネルが見えます。標高150mの鹿喰峠下に、1932(昭和7)年、左の鹿喰隧道が開通しました。1992(平成4)年、右の新鹿喰トンネルが開通し、県道新門司港・大里線は片側2車線に拡張されています。
トンネルの左側は、猿喰城跡の標高208mの通称城山です。大久保貯水池・城山霊園・城山については、「北九州点描」の「猿喰」をご覧ください。
鹿喰トンネルを抜けて、坂を下りて行き、最初の信号機がある交差点を左折します。左折した道は県道の旧道です。その交差点から振り返って眺めています。右から左に県道は下って行きます。右に曲がって下りて行くのが旧道です。崖の上に豊前坊上宮の鳥居が立っています。交差点の県道の下に地下道があり、県道の向こう側の鳥居の下に通じています。その地下道には、下の旧道の脇にある豊前坊下宮から梅園の中を通る小道が通じています。
豊前坊上宮にお参りします。鳥居から振り返っています。
手前の道は、県道を左折した旧道です。木立の先は九州自動車道の東側の畑です。その先の山の向こうが今津で、その先に埋立地の新門司があり、周防灘になります。
石段の参道を登って行きますと、豊前坊上宮のお堂があります。江戸時代、玉泉寺の境内に英彦山権現を勧請しました。それは、小笠原藩の江戸屋敷が1657(明暦3)年の明暦の大火の難を逃れたためとか、元文年間(1736〜41)の江戸屋敷の火事の際に英彦山豊前坊の僧が消火に活躍したことからと伝えられています。
旧道に戻り、坂を下って行きます。道は右にカーブして下って行きます。右手に鳥居が見えます。鳥居の先に豊前坊下宮があります。その左手に梅林が広がっています。ここは玉泉寺の裏手に当たります。
豊前坊下宮の鳥居の隣に友石タ堂(ともいしてきどう)の碑があります。
友石はこの地に生まれ、京都郡上稗田村の村上仏山(ぶつざん)の水哉(すいさい)園に学びました。維新後友石は、郷里で私塾を開いて、子弟の教育に当りました。
水哉園については「北九州の近隣」の「行橋市」をご覧ください。
旧道の横に玉泉寺はあります。手前に駐車場があり、その奥に本堂があります。
玉泉寺は室町後期の文明年間の創建といわれています。かっては広大な寺域を誇っていたようで、この下の県道筋に、山門や御堂などの玉泉寺に因む地名が残されています。
小倉時代の森鴎外(鴎外の鴎の正字は區に鳥)と親交があった玉水俊こ(たまみずしゅんこ、こは交に虎の字です)は、この寺の出身で、のちの安国寺の住職の時、鴎外と知り合いました。玉水俊こについては、「北九州点描」の「森鴎外旧居」をご覧ください。
玉泉寺本堂の前です。右の樹はクスノキ、左はイチョウで、ともに市の保存樹になっています。樹の下のお堂の左背後に阿南哲郎の民謡碑があります。
阿南哲郎は童謡作家、詩人として北九州の文化発展に貢献しました。石碑には1932(昭和7)年の作詞「小笠原音頭」の一節が刻まれています。
石碑は1971(昭和46)年に足立山麓に建てられましたが、1998(平成10)年ここに移されました。
玉泉寺の前の旧道を下りますと、県道新門司港・大里線と合流します。県道の前方に高架の九州自動車道が見えます。右手の新門司IC入口の先の高架道をくぐって、すぐに右折し、九州自動車道沿いの下の道を進みます。NTTの無線中継所の側を通り過ぎると、九州自動車道が盛土から高架になりますので、その下を右折して山手に上って行きます。正面に松ヶ江貯水池の水道施設の入口があります。その右手に道が奥に続いています。右手の崖に寺があります。その前で、道は車両通行止めになります。
歩いて登って行くと、程なく堰堤が見えます。松ヶ江貯水池は旧門司市によって建設され、1960(昭和35)年に完成しています。重力式中央溢流型コンクリートダムです。重力式コンクリートダムとは、コンクリートの質量を利用して、ダムの自重で水圧を支えるダムです。
松ヶ江貯水池のダムによって貯水された畑貯水池です。畑貯水池の上流に大正池があります。これらの貯水池は市水道局の管轄下にあります。これらの貯水池や一番手前の水道施設を含めて松ヶ江貯水池と呼ぶのでしょうか。
畑貯水池沿いの道を上流に進みます。畑貯水池の奥を少し進みますと、大正池があります。
畑貯水池と大正池を結ぶ線の中央が畑と吉志の境界になります。
松ヶ江貯水池に入って来た高架の九州自動車道の下まで戻ります。九州自動車道沿いの道でなく、十字路を直進し、農地の中の細い道を進みますと、左手に小高い木立があります。その中に、安永年間(1772〜81)創建の浄土宗の西迎寺があります。西迎寺の前を進みますと、県道新門司港・大里線の御堂交差点に出ます。県道の向こう側に門司松ヶ枝病院があります。
県道71号新門司港・大里線を東に進みますと、県道25号門司・行橋線と交差する畑交差点に出ます。畑交差点から来た道を振り返っています。
左の看板の横に見える九州自動車道の奥が松ヶ江貯水池です。右の高い山が標高517.8mの戸ノ上山です。
畑交差点を直進すると、すぐに県道門司・行橋線の旧道の今津入口交差点があり、そこも直進します。車が離合できる程の細い道を進むと、左手に松ヶ枝北小学校があります。小学校の先までが畑で、その先は今津になります。短いが車が1台がやっと通る路地を抜けると、今津漁港に着きます。
橋は、埋立地の新門司を縦断する臨港道路に架かる斜張橋の新門司大橋です。漁船は橋の下から、新門司港を通って周防灘に出ます。


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