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吉志
  門司区  [2012/01/28]
 

 
吉志(きし)は海に接する場所、岸から付けられたと思われます。門司区の南東部に位置し、西は企救半島の山地で、北は畑(はた)、南東は恒見(つねみ)、南西は小倉南区の吉田に接し、かって東は響灘でした。吉志の東側は1962(昭和37)年から埋立てられ、新門司と町名が付けられた臨海工業地帯が1972(昭和47)年に完工し、新港が築港されました。その後も新門司は埋立てが続けられ、フェリーターミナル、完成車の物流センター、肉用子牛の輸入基地として利用されています。
鎌倉時代、下総親房(しもふさちかふさ)が門司関に下向して来て、門司城を居城とします。鎌倉末期頃より下総氏は門司氏と称し、一族は門司関六ヶ郷に分立します。門司六郷は、片野(現在の小倉北区三萩野付近)・柳(現在の門司区大里付近)・楠原(現在の門司港付近)・吉志・伊川・大積郷でした。
江戸時代から明治22年まで吉志村でした。下吉志には石灰石が埋蔵され、幕末には採掘が始まりました。1889(明治22)年猿喰・畑・今津・吉志・恒見・伊川の6ヶ村が合併して松ヶ江村ができ、旧村は大字になりました。1923(大正12)年、畑にあった松ヶ枝江役場が吉志に新築移転されました。1942(昭和17)年、松ヶ江村は門司市に併合されました。6つの大字は門司市に引き継がれました。吉志は、近年は新興住宅地に変貌しています。  
門司区は、中央を北東から南西にかけて山地が連なり、西の関門海峡側と東の周防灘側に分けることができます。東側を南北に貫通する幹線が県道25号門司・行橋線です。
小倉南区の国道10号線津田西交差点から県道25号門司・行橋線を進むと、しばらく上り坂ですが、下り坂になります。その途中が区境で、小倉南区から門司区へ入ります。右手に大杉谷ゴルフ場が見え、その先にこの吉志交差点があります。ここを右折して、旧道に入ります。
   
こちら県道の旧道は、農地の中を進み、先で町の中心地を通ります。
先程の県道の新道は、道幅も広く、人家の密集地を避け、山手側を通っています。
 
   
旧道を進むと、吉志1丁目交差点に出ます。新道から新門司とを結ぶ道路との交差点です。交差点の左向うの建物は、グリーンパル門司といい、JAとスーパー丸和が入っています。その斜め後に、門司区役所松ヶ江出張所がありましたが、2007(平成19)年4月移転しました。後程紹介します。
   
吉志1丁目交差点を右折して、新門司の方に進みます。道が左右に分かれますので、右手に行きます。すぐに松ヶ江大橋があります。そこから西側の山手を見ています。櫛毛川の河口部で、右手が吉志、左手が恒見です。少し上流で、吉志を流れる櫛毛川と相割川が合流します。一番高い山は標高597.8mの足立山です。
同じく松ヶ江大橋から南側の眺めです。豊前海北部漁協恒見支所前の岸壁です。前身の恒見漁協は、1983(昭和58)年豊前海で牡蠣の養殖を始めました。周防灘の福岡県側は豊前海と呼ばれますが、遠浅の豊前海一帯に牡蠣の養殖が広がり、近年は「豊前海一粒かき」としてブランド化されています。
ここは恒見の北側ですが、南側の鳶ヶ巣山(とびがすやま)は石灰岩の山で、砕石所が点在します。東側は海が埋立てられて、新門司臨海工業地帯になっています。
吉志1丁目交差点に戻り、右折して旧道を進みますと、左手に松ヶ江中学校があります。そこからは畑になります。その手前、グリーンパル門司の先に吉志1丁目北の信号があります。そこを左折した突き当りに門司区役所松ヶ江出張所がありましたが、現在は移転して空地になっています。吉志は新町名が付けられていますが、この付近は、かっては小字で下吉志と呼ばれた所です。
明治中期、吉志・恒見と曽根間を人力車が走り、大正末期から昭和初期には乗合馬車が運行されました。乗合自動車が1926(大正15)年には曽根・大里との間に、1927(昭和2)年には門司港との間で運行されました。また下吉志には劇場の松ヶ江座がありました。
 
   
吉志1丁目交差点まで戻り、右折して進みますと、新道と交差します。新門司港入口南交差点です。その角に新門司地区複合公共施設が新築されました。その1階に門司区役所松ヶ江出張所が移転しました。ほかに図書館・体育館・市民センターなどがあります。
複合公共施設と連絡する歩道橋から、新道の県道25号門司・行橋線の南側、新門司港入口南交差点を見ています。
道路の右手は現在は、シンプルライフ吉志という住宅団地になっています。かっては山地でしたので、県道の上り線はトンネルになっています。
歩道橋から新道の北側を見ています。先方の道路右側の建物は松ヶ江中学校です。右端のビルの左手前空地が旧松ヶ江出張所跡地です。道路の左側は住宅団地のシンプルライフ吉志です。
新道の新門司港入口南交差点から西に進み、複合公共施設の横を通り、住宅団地のシンプルライフ吉志に入って行き、左折して坂を上って行きます。住宅団地の高台から西方向を見ています。
この辺りは、かっての小字上吉志です。中央左に九州道の吉志パーキングエリアの給水塔が見えます。木立の中が吉志パーキングエリアです。この付近は、かって下総親房が門司城の端城として築いた寒竹城(かんちくじょう、別名吉志城)跡がありましたが、現在はありません。
シンプルライフ吉志の高台から南西方向を見ています。
高い山は足立山です。その下付近に、高速道路の九州道の橋梁が見えます。その下を櫛毛川が流れています。家並の左側の先端付近に、真言宗不動院があります。後程訪ねます。その付近が小字の大原です。
新門司港入口南交差点に戻り、右折して新道の県道25号門司・行橋線を南方向に行きます。左手に松ヶ江南小学校が見え、その前に松ヶ江南小学校前交差点があります。そこを右折して進むと、すぐ右手に吉志天疫神社の鳥居が見えます。右の山の先は、先ほどの団地になります。
この神社には、「ろくや」と呼ばれる、吉志の二十六夜という祭りが伝わっています。毎年4月26日に行われ、御神幸に花傘鉾(はながさほこ)という飾り物がお供するのが特徴です。旱魃の時に雨を乞いをしたところ、雨が降ったので、そのお礼に始められたと伝えられています。
   
吉志天疫神社の鳥居の手前を左、西方向に行く通りがあります。一直線に伸びていて、その先に九州道の橋梁が見えます。  
   
住宅地を一直線に伸びた通りの突き当りを左折すると、小川が流れています。櫛毛川の上流です。1979(昭和54)年九州道のための土地調査をしている最中、この付近で縄文土器の破片が発見されました。発見はこの付近だけだったといわれています。そのため、縄文人の居住期間は長くなかったと推測されます。
   
櫛毛川の大原橋を渡って進むと、突き当りになりますので、そこを左折します。右手に不動院がありますので、右折して入って行きます。手前に鐘楼があって、真言宗不動院があります。本堂の前が広場になっていて、左手奥に弁財天を祀ったお堂があります。  
   
弁財天を祀ったお堂の先は池です。池に鴨が飛来しています。
池の先は門司ゴルフ倶楽部のゴルフ場になります。門司ゴルフ倶楽部の東側は門司区吉志で、西側は小倉南区吉田に位置します。門司ゴルフ倶楽部は1935(昭和10)年に開設されました。
それ以前にも大原には、松ヶ江村外の者の遊び場として、松ヶ江ゴルフ場があったといわれています。
不動院の前の通りに戻って、来た時の反対方向に右折して進むと、鳥巣病院の前を通って、新道の県道25号門司・行橋線吉志3丁目交差点に出ます。


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