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隠蓑
  小倉南区  [2015/01/03]
 

 
隠蓑(かくれみの)は石田の東、横代の西に位置し、その南は堀越の山地になります。「企救郡誌」によりますと、平家の大将が安徳天皇を守って忍んでいたのを、里人が藁を敷いて隠したことから、この地名が付いたといわれています。江戸時代から1889(明治22)年まで隠蓑村で、1889(明治22)年城野村の大字になりました。1907(明治40)年企救村、1917(大正6)年企救町になり、1937(昭和12)小倉市に併合されました。

地元に伝わる口碑によりますと、1185(元暦2、げんりゃく)年3月24日、壇ノ浦の戦いで平家は滅亡しました。この折、二位の尼に抱かれて入水された幼帝安徳天皇は、実は生きていて、長野城主にかくまわれていたというのです。しかし、城主が急死したため、彦山(英彦山と表されるのは江戸時代以降)に向かってここまで来ました。丁度、庵寺の屋根を葺き替えていました。源氏の追手を知った里人達は、幼帝を上から藁を着せ掛けて隠し、気付かれないようにしてお助けしました。

その後、この地で幼帝は亡くなりました。火葬して埋葬しました。御陵といわれる古墓が残されています。また一説には、安徳天皇一行はこの地を逃れ、遂には対馬に落ちのびられたという話も伝わっています。御陵がある地に隠徳庵が建てられています。隠徳庵の縁起として、安徳天皇が亡くなられた後に、持仏の薬師如来、巻物、太刀、鏡が遺されたといわれています。里人は小堂を建てて薬師如来を祀り、その前に尊体を治めた塚をつくりました。安徳の安を憚って隠して隠徳と号しました。

安徳天皇を偲ぶ祭りと収穫儀式行事が合わされた祭り、しびきせ祭りが隠蓑に伝えられています。しびとは藁のはかまを指します。祭りの当番を堂元といいます。祭りの前日に堂元に集まり、藁で作られたものを作ります。中には餅でつくられた靴型、御箸・御楊子、新米でつくられた人形などが入っていて、安徳天皇の御姿だということです。これらは、祭が終わった後、氏子らが持って帰ります。

しびきせ祭りはかっては堂元の家で密かに行われる祭りでしたが、現在は公開され、毎年12月15日午後に行われます。神主を先頭に、母親に抱かれた幼児が続き、その後を氏子や藁を持った園児・学童の列が従います。その行列が安徳天皇御陵に登って来ます。安徳天皇御陵で神事が執り行われます。御陵に前日に藁で作られたものが供えられます。御陵の前の広場で、親に抱かれた安徳天皇と見立てた幼児に、神主が藁をかぶせます。祭りに参列した園児・学童にも藁がかぶせられます。
しびきせ祭りの日、安徳天皇陵には藁で作られたものが供えられています。この中には餅でつくられた人形が入っていて、安徳天皇の御姿だといわれています。
   
安徳天皇御陵で神事が始まりました。  
   
御陵の前の広場で、母親に抱かれた安徳天皇と見立てた幼児に、神主が藁をかぶせます。
   
他の母親に抱かれた幼児も参加し、神主が藁をかぶせます。  
   
祭りに参加した園児・学童にも藁をかぶせます。
モノレールの終点、企救丘の西の志井公園入口交差点です。この先は高架道の手前が堀越交差点で、その先は岳の観音トンネルを通って、長野を経由して国道10号線曽根バイパスに到ります。高架道は下が九州自動車道で、その上に湾曲した高架道が東九州自動車道です。東九州自動車道と九州道自動車道との接合点の北九州ジャンクションです。
志井公園入口交差点を左折して、北に向かいます。
道路の左手は志井公園で、その西側向うにモノレールの総合基地があり、公園と総合基地の間の一段低い所をJR日田彦山線が通っています。
反対側、道路の右手のフェンス内に溜池の岩崎池があります。右手の小山の反対側が隠蓑です。先に進み、岩崎池の先を右折します。遠くに足立山が見えます。
   
フェンスに囲まれた岩崎池の堤の先で、「隠蓑 安徳天皇御陵」の案内板が右方向を指しています。そこを右折します。道は左にカーブしますが、その曲がり角からこの小道が真っ直ぐ伸びています。そこに入って行きます。遠くの山の最高峰は、標高597.8mの足立山です。道の右側に、岩崎池から流れ出し、竹馬川に流れ込む稗田川が流れています。この道の左手が石田で、右手が隠蓑になります。  
   
稗田川の小さな流れに架かった最初の橋の手前に、「隠蓑 安徳天皇御陵」の案内板が右方向を指しています。案内に従わず、川沿いの道を直進します。二つ目の橋の側の塀に隠蓑の町名表示があります。ここを渡らずに、三つ目の橋まで進みます。三つ目の橋の手前から北東方向の眺めです。左の2階建ての建物は、こじか保育園です。その先に二つの小山が見えます。左手の小山の左手までが隠蓑です。
橋を渡って進みますと、先方に九州自動車道の高架道が見えます。高架道沿いの手前の道を右に進みますと、堀越交差点に到ります。三つ目の橋を渡りましたが、最初の橋を渡ると右端に出ます。高架道の下を山手に進みます。
   
高架道の下を過ぎると案内があり、左に曲がるように示されています。左に曲がって、すぐに右に曲がります。この坂を登ると、安徳天皇御陵です。  
   
正面の小さな祠が安徳天皇御陵で、中央に石灰石が墓石といわれています。
かって左手に神木の木斛(もっこく)がありましたが現在はなく、石碑の後に幹の部分が残されています。木斛はツツジ目モッコク科常緑樹で、通常は6m、時には15m程度になる中高木です。
   
御陵の右は山の神神社です。隠蓑の産土神です。  
   
御陵の左は隠徳庵薬師堂です。


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