北九州点描

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菅生の滝
  小倉南区道原  [2011/05/07]
 

北九州市小倉南区道原(どうばる)にある菅生(すがお)の滝は、小倉北・南区を貫流する紫川の源流のうちの一支流、清滝川(滝口川)にかかる滝で、福智山系の尺岳の北東山腹に位置します。菅生の滝は三段の滝からなっていて、一の滝の落差は30mで、北九州市で最大の滝です。
小倉は城下町で、1891(明治24)年には鉄道が開通し、1897(明治30)年9月第12師団が創設され、1898(明治31)年小倉に第12師団司令部が設置されると、小倉兵器支廠が設置されました。小倉は商都・軍都として発展し、1900(明治33)年には市制が施行され、小倉市になりました。人口の増加に伴い、上水道の設置の要望が高くなり、吉村長策佐世保鎮守府建築科長に調査設計を委嘱しました。
清滝川と畑川合流地点に水源貯水池築造を決め、1910(明治43)年に起工し、1911(明治44)年に竣工しました。この道原貯水池はアースダムで、その堰堤下に道原浄水場が1912(明治45)年に竣工しました。1913(大正2)年に給水が開始さました。給水人口は6万人で、篠崎に配水池を設けて、市内や郊外の5万人分を給水しました。また蒲生に分水池を設けて北方の軍人1万人分を給水しました。この当時の市域は小倉城下と長浜・平松浦で、現在の小倉北区の一部にしかなりません。現在貯水池がある道原はその当時中谷村で、中谷村が小倉市に編入されたのは、1941(昭和16)年でした。道原浄水場からは現在も小倉南区の一部に給水されています。
小倉南区の国道322号線徳光交差点から県道61号小倉・中間線に入り、両谷出張所交差点を直進すると県道258号呼野・道原・徳吉線になります。高架の九州自動車道を過ぎ、山本・春吉を通って道原に着きます。この間については、「北九州点描」の「紫川上流」をご覧ください。
右手にかっての道原小学校の校舎が見え、左折のます淵ダムと直進の菅生の滝の案内があります。ここまで徳光交差点から約4.5kmになります。すぐ左に曲がった先の紫川に架かる橋のたもとに、道原サイクリングセンターがあります。ます淵ダムについては、「北九州点描」の「ます淵ダム」をご覧ください。
菅生の滝へは直進します。この道は県道28号直方・行橋線です。道原サイクリングセンターの上流で紫川に合流する畑川沿いを進みます。菅生の滝まで車が離合できない所もあります。道原浄水場が左手に見えます。その右手の坂道を上ります。浄水場を下に見る道路脇に駐車場があり、トイレもあります。道原貯水池の右手の高い位置を過ぎると、左右に駐車場があり、その先に菅生寺があります。その先200mも行くと、一番大きな駐車場があります。道原の交差点から約3kmです。
駐車場から100mの所に菅生橋が清滝川に架かっています。森林の中の川沿いの道を進みます。
菅生橋から菅生の滝まで約400mです。菅生橋からは清滝川の左側を進みます。緩やかの坂道を登ります。
途中に橋がありますので、その上から上流を望んでいます。
この辺りの森は国有林です。水量が豊富な時は岩を噛むような激しい流れなのですが、この冬から春にかけて少雨傾向が続いていますので、優しいせせらぎになっています。
更に進みますと橋があります。橋を渡ると、川は左手になります。橋の先に石仏、薬師如来、五輪塔、一字一石経塚などが並んでいます。菅生の滝は英彦山で修業する修験者が峰入りするルートの一つでした。
右手の奥にトイレがあります。先程の駐車場にもトイレはあります。
祠や石仏が並んでいます。流れの横に道が続き、その横に菅生寺奥之院があります。
道から石段を登れば菅生寺奥之院があります。菅生の滝はすぐ先です。滝に打たれるのは修験道の修行の一つです。菅生寺は帰りに寄ります。
菅生寺奥之院の奥の隣に須川神社があります。祭神は三龍神で、水や雨を司る神々です。福智山を中心にした雨乞い社の一つです。
須川神社の前に橋が架かっていて、橋に上に立つと菅生の滝が一望できます。
注連縄が懸けられています。そこまで登って行くと、滝壺が見えます。
昔、香月(八幡西区)に金持ちの娘の歌姫がおりました。美しく心優しい歌姫を貧乏な百姓の熊彦は思い、その思いを歌にして短冊に書いて梅の木につるしました。歌姫はこの歌を作った人が好きになりました。金持ちの息子は歌を作ったのは自分だと嘘をつきました。そして、歌姫と結婚してしまいました。熊彦は悲しみ滝に身を投げました。この後、歌姫は重い病気になりますが、山の中の滝に身を沈めると気分がよくなる夢を見ました。歌姫はこの滝に行く決心をしました。夫が心配しますと、古老が、これは滝の白蛇に見込まれたためなので、顔に墨を塗って行くと歌姫と気づかないだろうと教えてくれました。歌姫は墨を塗って出かけました。滝壷に近づくと、滝のしぶきで墨が落ち、素顔になってしまいました。大きな白蛇が現れ、あっという間に、歌姫を滝壷の中に連れ去ってしまいました。
女の人の化粧が激しい滝しぶきで落ち、素顔になるということが菅生の滝の名の語源の一つだといわれています。水量が豊富な時だと、滝壷の淵から滝を見上げると、女の人の化粧は落ちるかもしれません。
菅生の滝の名の語源には、朝鮮より菅王子が渡来し、この地に住んだという説があります。須川神社はかって菅王権現と称しました。3つ目は渓流に菅が生い茂る様からです。
戻りに菅生寺に寄ります。
寺伝によりますと、かっては48坊を擁していましたが、室町時代の天文年間(てんぶん、1532-55)に兵火にあい、焼失しました。江戸時代に入り、藩主細川忠興の時、その後の小笠原忠真の時、祈祷所になりました。
菅生寺の横の庭には不動明王像が立っています。
菅生寺から下って行くと、右下に行く分かれ道があります。そこに明治23年の年号が入った道標が立っています。坂の下側が正面で、右菅生の滝 頓野越、左赤松集落とあります。右折して行くと、道原貯水池の中を通る道になります。
この中央の奥で、菅生の滝からの清滝川は道原貯水池の北側に流れ込みます。
道原貯水池の中を通る道を更に先に進んだ道原貯水池の南側に畑川は流れ込みます。
分かれ道に戻り、坂道を下ると道原貯水池の東側に堰堤があります。アースダムで、堤高25.91m、堤頂長112.72mで、堰堤の向こうに歩いて行けます。貯水池内に円筒形の取水塔があり、高さが21.8m、内径2.42mのコンクリート製です。
歩いて行った先に幅18.2m余水吐が設けられ、そこから階段状の水路で容量を超えた水が流れ出ますが、そこに到る通路が危険ということで、今回はカスケードといわれる階段状の水路を見ることはできませんでした。
堰堤の下に道原浄水場はあります。緩速濾過池が4池見えます。
緩速濾過は沈殿池で水をゆっくり流すことで水の中の濁りを沈めます。澄んだ上水は次の沈殿池に進みます。時間と面積を必要とするため、現在はあまり使われていません。現在の主流の急速濾過池では、緩速濾過池が微生物の粘質膜で濁りや細菌、有機物や臭いまで除去したのに対し、それらはある程度漏れ出ます。そのため、前段階で薬品沈殿池を設け、凝集剤で沈降分離します。しかし、細菌は漏洩しますので、塩素による消毒は必須になります。


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