北九州点描

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ます渕ダム
  小倉南区頂吉(かぐめよし)  [2014/03/29]
 

   
ます渕ダムは、1973(昭和48)年、紫川上流の頂吉(かぐめよし)の鱒渕と呼ばれた谷間に完成した、重力式コンクリートダムです。福岡県によって建設された上水道用水、灌漑用水の利用と治水目的の多目的ダムです。このダム(堰堤)の完成で、上流にあった福智ダムと頂吉ダムは、ます渕ダムによる貯水池に水没しました。

1777(安永6)年、犬甘兵庫知寛(いぬかいひょうごともひろ)は小倉藩の家老に就任し、藩政改革を行いました。犬甘の在任中に、藩財政はしだいに改善されました。犬甘は、年貢米の増収を図って、新田開発を計画しました。日明新地、紫川西岸新地や紫川の中島新地を完成させました。また、犬甘は、曽根浜の干拓を大里村庄屋石原宗祐に命じました。8年の歳月を要して曽根新田は開発されました。1803(享和3)年、小倉城下に2千人の農民が集まり、年貢減免を嘆願し、騒擾寸前でした。藩の守旧派は犬甘を糾弾しました。このため、犬甘は頂吉の石牢に幽閉され、ここで死去しました。入牢中、犬甘は村民に学問を教えるなどのために、村民から慕われていました。

江戸時代から1889(明治22)年まで頂吉村でした。明治22年高津尾・山本・春吉・道原・頂吉村の5村が合併し、企救郡中谷村になりました。1900(明治33)年小倉町は小倉市になります。1941(昭和16)年中谷村は小倉市に編入されました。明治後期には、門司港は九州一の貿易港となります。そして、港を中心にした近代都市が形成されてゆきます。しかし、発展が急激であったため、飲料水不足は深刻でした。そこで、1912(明治45)年、旧門司市は企救郡中谷村大字頂吉字福智にアースダム(台形に盛土を築くダム)の福智ダムを建設します。そして約22km離れた小森江浄水場に送水し、給水しました。小森江浄水場は北九州で初めての浄水設備でした。

福智ダムの東の渓谷に、1939(昭和14)年頂吉ダムが竣工します。頂吉ダムは旧門司市が建設した水道用の重力式コンクリートダム(ダムの自重と重力を利用して水圧を支えるダム)でした。そして小森江浄水場に送水されました。1968(昭和43)年、福岡県は紫川総合開発基本計画に基づき、ます渕ダム建設に着工し、1973(昭和48)年竣工しました。1972(昭和47)年に竣工していた井手浦浄水場に送水されています。1973(昭和48)年小森江浄水場は廃止になりました。

堰堤の下は公園になっています。貯水池の周囲にはサイクリング道路が整備されて、公園が他に2個所あります。貯水池は、堰堤から南と西に広がっています。南側の上流にかぐめよし少年自然の家があり、西の上流の山中に入ると七重の滝があります。  
県道258号呼野・道原・徳吉線を、2008(平成20)年3月31日閉校した道原(どうばる)小学校の前を通り、道原サイクリングセンターの横を過ぎて行くと、ダムに上って行く坂道にさしかかる手前に、右に入って行く道があります。そこを入って行きますと、ます渕ダムの下の鱒渕公園に着きます。ます渕ダムは高さ60m、堤頂長205.5mです。
   
鱒渕公園の西側山手に納骨堂があります。その横の広場に「犬飼兵庫亮碑」が立っています。犬飼兵庫亮は犬甘兵庫知寛(いぬかいひょうごともひろ)のことです。1919(大正8)年福智ダム下にこの碑は建立されました。ます渕ダムが築造されると、この地に移されました。
犬甘が開発推進した曽根新田については、「北九州点描」の「曽根干潟」をご覧ください。
 
   
鱒渕公園の東側に自転車や歩行者用の螺旋橋がつくられています。車道もその横に上に伸びています。いずれも県道につながっています。
   
県道258号呼野・道原・徳吉線はダム(堰堤)の横を通って、貯水池の東側を南に伸びています。堰堤及び対岸の西側は、車両は進入できず、歩行者と自転車の道路になっています。赤い吊橋も歩行者と自転車用です。東側は後程訪ねます。
堰堤からは歩行者と自転車の道路になります。これから西側を一周します。赤い吊橋は鱒渕橋といいます。  
   
鱒渕橋を過ぎると、貯水池越しに山々が見えます。一番高い山が標高901mの福智山です。福智山は、北九州市と直方市と田川郡福智町の境にあります。この道は小倉南区からの福智山の登山道です。貯水池の手前の方に狭くなっている個所があります。福智ダムの跡です。
貯水池の奥にやって来ました。ます渕ダムの堰堤から2q、30分の行程です。貯水池に流れ込む川沿いの山道に入って行きます。七重の滝への登山道です。しばらく登ると、小さな橋を渡ります。その先は崖から流れ出た石で歩き難く、所々道が崩れ落ち、狭くなっている所があります。しかし、その道が通る谷の水の流れは、岩の間を激しく流れ落ち、目を奪われます。
   
七重の滝の一の滝の近くまで来ましたが、橋がなくなっています。流れ落ちたのか、危険なので取り除いたのか分かりませんが、この先は危険なので引き返します。七重の滝は、7つほどある滝の総称です。七重の滝を越えて行くルートは、福智山への登山ルートのひとつです。  
   
ます渕ダムを一周する道に戻ります。坂を上ると、九州自然歩道の福智山登山の入口があります。その付近が鱒渕貯水池の西側の最奥部です。更に進むと、先程の福智ダムの跡を見ることができます。その高さ29.49m、堤頂長123mのアースダムでした。貯水池側は石張りになっていました。福智ダムが完成すると、犬甘兵庫の獄屋は水没したといわれています。ます渕ダムの完成後は、福智ダムの中央部が切り取られ、水没しています。かって福智ダムから小森江浄水場に送水し、給水しました。
小森江浄水場については、「北九州点描」の「矢筈山」をご覧ください。
   
赤い吊橋の鱒渕橋が見えてきました。橋を渡り、ます渕ダムまで戻って来ました。ダム(堰堤)の上から貯水池の東側の眺めです。左側の県道を南下し、貯水池の東側を上流の南に進みます。
県道258号呼野・道原・徳吉線を進むと、高い崖の下に駐車場がある鱒渕東公園です。そこから貯水池を眺めます。貯水池の中に堰堤が見えます。これは1939(昭和14)年に完成した頂吉ダムです。  
   
頂吉ダムの横の来ました。その高さ36.5m、堤頂長135mでした。ます渕ダムが完成すると、頂吉ダムは水没していますが、ダム(堰堤)はそのまま残されています。ダムの下流の右も、上流の左も貯水されています。
県道を更に南下し、貯水池の東側の南の一番奥で、紫川が貯水池に流れ込みます。
   
貯水池に流れ込む紫川のすぐ先に、かぐめよし少年自然の家があります。少年自然の家は、自然に親しみながら、自然の中での集団宿泊生活を通じて、心身ともにたくましい少年の育成を目指す北九州市の施設です。  
   
かぐめよし少年自然の家の先の県道を進むと、県道は左手に大きく曲がります。その地点は四つ角になっています。右は、上頂吉林道の入口で、その標識の陰になって紫川起点の標識が立っています。その先は橋で、流れはかぐめよし少年自然の家の横を通って、貯水池に流れ込みます。紫川は全長16km余で、ます渕ダムを経て、小倉南区・小倉北区を貫流し、関門海峡に注ぎ込みます。
この先、県道258号呼野・道原・徳吉線は頂吉を越えて、国道322号線金辺トンネルの手前に出ます。


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