北九州点描

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井手浦 
 小倉南区  [2015/01/17]
 

 
井手浦(いでうら)は、平尾台の北に位置する標高586mの塔ヶ峰の西の麓に当たります。井手浦を流れる井手浦川と立花川は合流して井手浦川になり、井手浦川は東谷川に合流し、東谷川は紫川に合流します。井手浦は紫川の源流地のひとつです。
井手浦の地名の由来は、素盞鳴命(すさのうのみこと)の八俣の大蛇退治に村人が射手として加わり、射手裏と称したことからと伝えられています。他に水の流れを堰き止める井手と、本村から離れた飛び地の出村が合わさって付けられたとの説もあります。

1911(明治44)年、現在井手浦浄水場がある場所にあった西光寺跡の土中から、南北朝時代の至徳2年(1385)の年号に「豊前州規矩郡大野庄井手浦西光寺」の鐘銘がある梵鐘が発見されました。古くから井手浦の地名が使われていたと思われます。大友宗麟軍の略奪を避けるために土中に埋めたと思われます。鐘銘に願主が沙弥祖西(しゃみそさい)、鋳工が安宗(あんそう)であることがしるされています。祖西の祖父は願阿(がんあ)であることが銘文で分かります。この梵鐘は県の文化財に指定され、現在はいのちのたび博物館に保管されています。

塔ヶ峰の北東に標高711.6mの貫山があります。その北側山腹の芝津神社に、梵鐘が残されています。鐘銘に日付は正平20(1365)年4月22日で、願主は沙弥願阿(しゃみがんあ)とあります。願阿は同一人物であると思われます。正平は南朝の年号で、至徳は北朝の年号です。この時代のこの地の南北朝の勢力関係がうかがえます。願主は貫氏の一員と思われます。鋳工は小倉鋳物師と推定されます。

安土・桃山時代の天正年間(1573-92)、長野筑前守が塔ヶ峰に城を築いていました。南の金辺峠から北上して攻め込んで来た大友宗麟の軍が、山上よりの音声に気付き、築城中の塔ヶ峰城を攻め落としたと伝えられています。

毎年1月8日の午後、井手浦公民館の前の広場で、約400年前から伝えられている珍しい祭りの尻ふり祭があります。平尾台に大蛇がいて悪さをしました。神様は大蛇に酒を飲ませ、酔ったところを弓と太刀で退治しました。尻尾が井手浦に落ちてピンピンと尻尾を振りました。その年は大豊作に恵まれました。そこで豊作を願って祭りが行われるようになりました。尻ふり祭は、素盞鳴命(すさのうのみこと)の八俣の大蛇退治の伝説に由来したものになっていますが、大友氏が長野氏の塔ヶ峰城を攻め落とした時の様子がもとになったのではないかとの説があります。

江戸時代より1889(明治22)年まで井手浦村で、1889(明治22)年、石原町・新道寺・母原・井手浦・木下・市丸・小森・呼野・矢山村が合併し東谷村になりました。1948(昭和23)年、東谷村は小倉市に編入されました。1972(昭和47)年に井手浦浄水場は完成しました。良質な水道水源をアピールするということで、ワサビ栽培やヤマメの養殖をおこなっていて、小学校の社会科見学の施設になっています。穴生・本城(八幡西区)と並ぶ北九州市の基幹浄水場です。油木貯水池(田川郡添田町)、ます渕貯水池(北九州市小倉南区)、山国川の平成大堰(福岡県築上郡上毛町、対岸は大分県中津市)から取水しています。
1月8日尻ふり祭があります。井手浦公民館の前の広場には男松(右側)と女松が立てられ、その間に藁で長さ5mの大蛇が作られています。男松側が頭で、、女松側が尾です。午後1時頃から公民館内で神事があります。午後2時頃から広場に設けられた祭壇で東大野八幡神社の神職・当番座元・翌年の座元の3人が座って祭事が始まります。
腰をかがめてお尻を振ります。大きく振るほど大豊作といわれています。当番座元は弓を肩に、矢を尻に当て尻を振ります。
かっては、祭は当番座元の家の庭先で行われていました。
   
神職・翌年の座元も「海・山・川」の掛け声に合わせて尻を振ります。大きく振るほど大豊作といわれています。振りが悪いと、「もっと振れ」の声が飛びます。大蛇の周りの3個所で、3回尻を振ります。  
   
最後に神職が大蛇を3本の矢で射とめます。その後、太刀で3ヶ所を斬ります。これで大蛇退治は終わりました。
参列者が斬られた藁の大蛇に群がります。藁の中から縁起物の干し柿を探し出します。この干し柿を食べると病気に罹らないといわれています。
   
九州自動車小倉南ICの先の国道322号線を南下します。前方に平尾台の石灰岩の採掘で変容している山が見えてきます。平尾台入口交差点の一つ手前、井手浦浄水場入口交差点を左折します。井手浦浄水場入口交差点付近からの眺めです。遠景の山の上は平尾台です。田圃の中に社のある木立があります。その左に三角形の山が見えます。塔ヶ峰で、その麓が井手浦です。
井手浦浄水場入口交差点を左折し、しばらく進むと真っ直ぐと、左折する三叉路になっています。その先に橋があり、井手浦川が流れています。その右手の下流で立花川が合流し、井手浦川は下流の新道寺で東谷川に合流し、東谷川は徳吉で紫川に合流します。橋の手前を左折して、井手浦川沿いの道を上って、井手浦浄水場に向かいます。井手浦浄水場の正面入口です。背後の鋭く尖がった山が塔ヶ峰です。  
   
井手浦浄水場正面の前を通り過ぎ、山手に向かいます。奥の浄水場敷地の北東端に来ています。更に山手に向かう道と、浄水場の東側の道に分かれる三叉路になります。三叉路から浄水場の眺めです。
浄水場の西光寺跡の土中から梵鐘が発見されましたが、この梵鐘と関連のある貫山の梵鐘については、「北九州点描」の「」をご覧ください。
   
井手浦川沿いに上って来ました。離合できる場所から眺めています。奥の集落が見えます。そこまでの斜面に棚田が連なっています。右の山が塔ヶ峰です。この先はやっと車が通れる程度の道ですが、集落の前を通って、一周して下って来ることができます。
集落を通り過ぎ、道路の最高地です。遠くの左の一番高い山は、標高901mの福智山で、北九州市、直方市、田川郡福智町の境にあります。眼下に井手浦浄水場が見えます。
井手浦浄水場の東側の道に下りて来ました。左折すると、井手浦公民館の前に出ます。ここで尻ふり祭があります。  
   
井手浦浄水場の東側の道を更に南に行くと、道は右にカーブします。カーブの所から左に坂を上って行くと、この浄土宗西円寺があります。
   
道に戻り、右カーブを曲がった先に、左折する道があります。そこに入って行きます。左手に石段が見えます。そこを登って行きます。その先は草に埋もれた小径になり、林に入って行きます。道は高住社の参道で、先に進むと鳥居があり、その右手に拝殿があります。そのまま登りますと、山上に高住社の本殿があります。  
   
高住社の参道から南東の眺めです。先の山は平尾台の山です。中央部の低い所が平尾台の入口に当たる吹上峠です。左の山の麓に次に行く浄泉寺があります。
   
道は車が1台通る程度で、少し広くなると日蓮宗浄泉寺があります。右手奥は平尾台の山になります。右手に立花川の源流の谷川が流れています。  
   
先ほど左折した、井手浦浄水場敷地の南側の通りまで戻ります。道は敷地を一周します。井手浦浄水場敷地の西側に来ました。そこから東の眺めです。平の所はほとんど浄水場の敷地です。手前は立花川で、左手に流れて井手浦川に合流します。中央にあるのが浄水場の建物で、その先に棚田はあります。右に鋭くそそり立っているのが塔ヶ峰です。
塔ヶ峰の平尾台からの眺めは、「北九州の景色」の「平尾台と貫山」をご覧ください。


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