北九州点描

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竹馬川
  小倉南区  [2014/09/27]
 

 
竹馬川(ちくまがわ)は、小倉南区の足立山麓や蜷田・石田・長野の流れを集めて、葛原・曽根・沼・吉田を流れ、周防灘の曽根干潟の北端に注ぎます。和気清麻呂の足立山伝説に関わる川です。長さ10.4kmの短い河川で、河口と上流の標高差が余りありません。

奈良時代称徳女帝の世、769(神護景雲3)年法王道鏡を皇位に就ければ天下泰平になるとの宇佐八幡宮の神託がありますが、これを確かめに和気清麻呂が遣わされます。清麻呂は、神は道鏡が皇位に就くことを許していないと奏上します。これを聞いた道鏡は怒り、清麻呂は大隅国に流されます。和気清麻呂は、道鏡の命により足の筋を切られて流されました。途中宇佐の海岸に着きました。そこに猪が現れ、その背に乗った清麻呂は宇佐八幡宮に詣でました。宇佐八幡宮で清麻呂は神のお告げを受けます。清麻呂は神馬を借りて規矩(企救)郡竹和山の麓の石川村に着き、湯川の霊泉を浴びます。たちどころに足の傷は治ります。このことにより、竹和山は足立山と呼ばれるようになりました。

神馬が着いた所が着場といわれ、着場は築波とも書かれ、竹馬になったと伝えられています。現在の竹馬川の上流です。当時は海辺でした。この付近は、蜷田(になた)と呼ばれました。蜷田は湊が転じたといわれています。古代には船着場であったということができます。菅原道真もここから大宰府に向かったと伝えられています。1157(保元2)年、豊前国司となって下って来て、長野城を築いた平康盛は、蜷田に石橋の竹馬橋を架けたと伝えられています。

竹馬川河口の曽根干潟は、小倉南区の北・西・南を陸地に囲まれた、曽根の海岸の沖合概ね1.7kmの間島(まじま)を含む約517haの周防灘の海面域で、満干差3mを超える干潮時に現れる干潟です。曽根干潟には北から竹馬川、大野川、貫川、朽網川が流れ込み、水と土砂を干潟に運んで来ます。この様に遠浅の海岸でしたので、古くから大規模な干拓が行われてきました。その総面積は、現在の干潟面積を超える規模になっています。1615(元和元)年、細川忠興により曽根浜に千間土手が完成し、土手内は新田が開発されました。千間土手は中津街道として使われました。竹馬川を上る潮を防ぐため唐戸(水門のこと)が設けられ、その近くに唐戸橋が架けられると、その東たもとに置かれた下曽根宿は、交通・経済の要所として、塩の集荷所として繁栄しました。

下曽根宿の東側は、大浜と呼ばれていました。藩主の命を受けて、ここで大野正矩が大野新地を開発しました。詳細な記録がなく、その時期は天明期(1781-89)でなかったかといわれています。千間土手の海側も大規模な干拓が行われました。小倉藩家老に就任した犬甘兵庫知寛(いぬかいひょうごともひろ)は、藩政改革のため新田開発を計画しました。1795(寛政6)年、犬甘は曽根浜の干拓を元大里村庄屋石原宗祐(いしはらそうゆう)に命じ、1803(享和3)年曽根新田は完成しました。竹馬川を挟んで1838(天保9)年から下曽根側で、翌年からは対岸の沼側で堤が築かれ新田が開発されました。竹馬川の下流側、沼の東側の吉田で、1869(明治2年)小倉の酒造業の岡野権三郎が堤を完成させましたが、度々高潮で堤が崩れました。全私財を岡野は投入しましたが足りず、小倉の広島屋の援助で、1877(明治10)年新田は開作されました。

昭和に入ると、沼の新開やその東の吉田の新開の南側で竹馬川の対岸、曽根側の大浜の北側が干拓されました。1937(昭和12)年、下吉田に東京第二陸軍造兵廠曽根製造所が開所しました。火薬の製造が表向きでしたが、広島県の大久野島で製造した毒ガスを、現在の小倉北区大手町を中心にした小倉陸軍造兵廠で製造された砲弾に、ここで秘かに充填して毒ガス弾を製造していました。現在は陸上自衛隊小倉駐屯地曽根訓練所となり、都市型戦闘訓練場として使われています。戦況が厳しくなると、1944(昭和19)年、曽根側の干拓された新地に陸軍曽根飛行場が建設されました。戦後は民間空港として利用されますが、一方は海で、三方が山に囲まれた地形で1600mと滑走路が短く、間近に山が迫り、霧が発生しやすい地形のため、離着陸の難しい欠航もある空港でした。1994(平成6)年、曽根の海岸からは6km以上離れた周防灘沖の人工島に、海上空港の北九州空港が開港しました。

蜷田・葛原・曽根・沼・吉田の竹馬川沿岸は農業地帯でしたが、戦後都市化が進みました。竹馬川の勾配は緩やかで、上流まで潮汐の影響を受けやすく、大雨による氾濫がありました。1970(昭和45)年、都市化に対応して改修事業を行い、川幅を広げ、川底を掘り下げました。竹馬川河口の曽根側には工場団地ができ、その南には空港があり、高度成長期に沿岸各地区に住宅団地ができました。国道のバイパス、都市高速、九州自動車道が通り、宅地化が進み、空港は移転し、近年は下流域を除いて、農地をほとんど見なくなっています。
国道10号線津田西交差点から県道25号門司・行橋線を進みます。県道25号門司・行橋線沼緑町1丁目交差点から県道の旧道に入って行きます。旧道の中吉田1丁目交差点を右折し、右手に竹馬川のコンクリートの堤防が見える農地の中の道を進みますと、左手に陸上自衛隊小倉駐屯地曽根訓練所があります。フェンスの間から鉄筋コンクリートの建物が見えます。かっての東京第2陸軍造兵廠曽根製造所です。表向きは火薬を製造していたことになっていましたが、秘かに毒ガス弾が製造されていました。残された建物は外枠だけ残され、現在、都市型戦闘訓練場として使われています。
   
先を進みますと、道路脇に新田碑と刻まれた石碑が立っています。
1888(明治元)年、小倉の岡野権三郎が吉田新開に着工し、翌年潮止めをして完成しました。しかし、度々高潮で堤が崩れました。苦難の末、1877(明治10)年新田は開作されました。新田開作の功績を讃えて、石碑は建てられました。竹馬川の河口の吉田側の堤防内に水田が広がっています。
石碑が立っている道に入って、細い道を堤防まで進みます。
 
   
竹馬川の河口の堤防から上流を見ています。右に見える山は標高598mの足立山です。川の右側は吉田、そして沼になります。左側は曽根で、曽根工業団地があります。その南隣には2006(平成18)年3月まで旧北九州空港がありました。この空港は、戦中の1944(昭和19)年、陸軍曽根飛行場として建設されました。
竹馬川河口から南に接する海岸は大浜海岸です。海上に点々と立っているのは、旧北九州空港の誘導灯です。その先の陸上に旧空港はありました。その跡地は再開発され、病院や工場が誘致されています。中央の山は、標高711.6mの貫山です。
大浜海岸の南は新田海岸、その南は新田朽網海岸です。これらの曽根の海岸の東側は曽根干潟と呼ばれます。この海岸から1.7km離れた間島まで、干潮時には干潟が現れます。左端に見えるのは、海上空港の北九州空港との連絡橋です。
曽根干潟については「北九州点描」の「曽根干潟」を、北九州空港については「北九州空港」をご覧ください。
来た道を戻りますが、旧道の中吉田1丁目交差点に出る前に、左手にある吉田太陽の丘公園に寄ります。
   
公園の南側を竹馬川が流れています。対岸の堤防沿いに1963(昭和38)年曽根工業団地ができました。この中のゴルフ練習場の手前に北九州自動車検査登録事務所があります。  
   
県道25号門司・行橋線の新道に戻り、国道10号線に向かいます。中央のJR日豊本線の跨線橋を渡らずに、左端を進みますと、跨線橋下に二つの交差点があります。手前の寺迫口北交差点を右折します。すぐに竹馬川に架かった唐戸大橋に着きます。
唐戸大橋から下流を見ています。左手は葛原で、右手の先は再開発されている旧北九州空港跡地になります。この道は北九州空港跡地の前を通って、曽根新田の手前で県道25号門司・行橋線に合流します。
   
唐戸大橋から上流の眺めです。かってこの近くに、竹馬川を上る潮を防ぐため唐戸(水門のこと)が設けられました。
すぐ上流に唐戸橋があります。唐戸橋を通る道は旧中津街道です。この橋の左手に、かっては下曽根宿がありました。
唐戸橋に重なって見えますが、上流に栄橋があり、県道25号門司・行橋線が通り、下曽根駅前を経由して南下します。その上流にJR日豊本線が通っています。
曽根については、「北九州点描」の「曽根」をご覧ください。
 
   
唐戸橋です。背後にかっては下曽根宿があり、橋を渡ると葛原で、その先湯川を通って、小倉城下に到りました。
現在は、跨線橋下の寺迫口北交差点と寺迫口交差点の間に出ますので、左折して進みますと、跨線橋の先の新竹馬橋に出ます。その手前の新竹馬橋北交差点を右折して竹馬川の左岸(下流を向いて左側の岸)を上流に進みます。
   
竹馬川の左岸を上流に進み、高架の九州自動車道の下に来ました。右岸の先に小倉東インターがあります。高架道の右側で、長野川が合流します。  
   
上流に行きますと、右手に商業施設のサンリブシティ小倉があります。その前に架かっている新上葛原橋から上流を見ています。川の左手に高架の都市高速が通り、その下は国道10号線になっています。
   
新上葛原橋の上流が竹馬橋です。竹馬川左岸沿いに遊歩道がありますので、歩いて行きます。竹馬橋からの眺めです。左から石田を流れてきた稗田川が合流します。  
   
新上葛原橋に戻り、橋の先を右折して国道10号線を進みます。国道10号線の横代交差点を右折します。国道10号線も右に曲り、安部山方向に進みます。国道が高架橋になる所から側道がありまので、そこから左折して細い道に入ります。右手に湯川中央公園があります。その先二つ目の道を左折して、突き当りを左折して着いた所の川岸に、竹馬川起点の石碑が立っています。その横に竹馬川由来の案内板が立っています。川はこの付近で若園・湯川新町・安部山公園方面に分かれます。
   
竹馬川起点の石碑から北側の眺めです。右の山が標高598mの足立山です。この付近は湯川新町で、日豊本線の向こうが湯川で、和気清麻呂の霊泉があった所です。この付近も住宅が建て込んできました。
和気清麻呂の足立山伝説については、「北九州のみどころ」の「足立公園」や「北九州点描」の「安部山公園」もご覧ください。
 


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