北九州点描

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安部山公園
  小倉南区安部山  [2010/04/10]
 

安部山公園は、足立山の南麓にある桜の名所です。公園の名称は、この地に果樹や桜を植えて公開した安部熊之輔に因んだものです。戦前、桜を中心に果樹を栽培した安部山は、延命寺や中原の皆好園と並ぶ三名所のひとつでした。戦後、北九州市になって安部山公園として整備されました。
また足立山をはじめ、和気清麻呂が足の傷が治ったことに感謝して、祠を建てたなど、この周辺は清麻呂に因む場所でもあります。
この地はかって湯川の地内でした。葛原八幡神社がある葛原は、湯川の東に位置します。湯川と葛原は江戸時代から明治22年まで湯川村と葛原村でした。1889(明治22)年、両村と沼・吉田村の四村が合併して霧岳村となりました。1907(明治40)年、霧岳・曽根・朽網・芝津村が合併して曽根村となり、1934(昭和9)年曽根村は曽根町となりました。1942(昭和17)年、曽根町は小倉市に編入されました。
JR日豊本線の安部山公園駅です。1987(昭和62)年に城野駅と下曽根駅の間に新設されました。
1895(明治28)年4月、九州鉄道は小倉から分岐させ、小倉‐行事間を開業しました。一方行橋町(現在行橋市)に本社を置く豊州鉄道は、同年8月行橋‐伊田間を開業しました。450mほど離れていた行事駅と行橋駅の間は線路が敷設され、行事駅は廃止され、行橋駅を共同駅としました。この後、豊州鉄道は行橋‐長洲(現在大分県柳ヶ浦)間を開業しましたが、1901(明治34)年同社は九州鉄道に吸収合併され、1907(明治40)年九州鉄道は国有化されました。現在小倉‐鹿児島間はJR日豊本線となり、行橋‐伊田間は第三セクターの平成筑豊鉄道田川線になっています。
安部山公園駅は、国道10号線の跨線橋の歩道部分の横にあり、階段でプラットホームに下りて行きます。
かって国道10号線は、日豊本線の城野駅と下曽根駅間はその北側を通っていました。その南側に国道10号線の曽根バイパスが開通すると、この跨線橋が架けられ、日豊本線の北側と南側が連結されました。そのため、国道のこの部分はクランク状になっています。
南側の曽根バイパス沿いには竹馬川が流れています。
国道10号線の安部山入口交差点に架かる歩道橋の上からです。この交差点で、左の西からの国道10号線は直角に曲がって手前の南に行き、横代交差点で直角に曲がって東に行きます。右の東側は国道の旧道です。
安部山公園へは、南に行く国道10号線とは反対に、北の足立山の方向に上って行きます。右が標高597.8mの足立山山頂です。
国道10号線の安部山入口交差点から安部山公園に向かいますが、信号のない最初の交差点を左折します。その狭い通りが旧中津街道筋です。左折して、400m程西方向に行きますと、右に入る路地があります。突き当りが水神社です。
奈良時代称徳女帝の世、769(神護景雲3)年、法王道鏡を皇位に就ければ天下泰平になるとの宇佐八幡宮の神託がありますが、これを確かめに和気清麻呂が遣わされます。清麻呂は、神は道鏡が皇位に就くことを許していないと奏上します。これを聞いた道鏡は怒り、清麻呂は大隅国に流されます。
清麻呂は、道鏡の命により足の筋を切られて流され、途中宇佐の海岸に着きました。そこに猪が現れ、その背に乗った清麻呂は宇佐八幡宮に詣でました。
宇佐八幡宮で清麻呂は神のお告げを受けます。清麻呂は神馬を借りて規矩(企救)郡竹和山の麓の石川村に着き、湯川の霊泉を浴びます。たちどころに足の傷は治ります。このことにより、竹和山は足立山と呼ばれるようになりました。
水神社の社殿の下、和気清麻呂像の後、樹の下にその霊泉といわれる小さな池があります。
安部山公園への道に戻ります。公園への途中は、両側が桜並木になっています。
1905(明治38)年、安部熊之輔はこの地湯川に果樹を植え、桜を植え公開しました。安部熊之輔は1861(文久元)年に生まれ、1925(大正14)年に死去しています。
上って行った突き当りが安部山公園になります。
安部熊之輔は小倉長浜の岩松家に生まれました。祖父は白洲灯台を建設した助左衛門でした。白洲灯台建設で岩松家は傾き、幼少で父を亡くしました。
白洲灯台については「北九州点描」の「藍島」をご覧ください。
陽光を浴びて桜の花が咲き、安部山公園には花見客がたくさん来ています。
安部熊之輔は1871(明治4)年上京し、園芸を志しました。1885(明治18)年帰郷し、西谷村の安部家を継ぎました。そして、中原に園芸場を開墾しましたが失敗しました。1905(明治38)年、湯川で原野10haを開墾し、果樹を植栽し、桜を植えて一般公開しました。安部山と呼ばれた農園が現在の安部山公園です。
この間、台湾・満州・米国を園芸調査で回り、「日本の蜜柑」を刊行して、その普及に努めました。
安部山公園は足立山の麓の南側斜面にあります。周辺には駐車場がありませんので、特に花見には公共交通機関を利用するのが一番です。
安部熊之輔は、農協の前身である農会の組織づくりに尽力し、他方、交通関係企業の設立の発起人となりました。小倉鉄道(東小倉〜添田、のち国有化される)、小倉電気軌道(のち合併して西日本鉄道になる)の役員に就きました。また県会議員、衆議院議員を務めました。
安部山公園の奥、安部山公園病院の前に和気清麻呂像が立っています。
ここが葛原八幡神社の起こりの地ということで、1922(大正11)年、安部熊之輔は和気清麻呂像を建立しました。2001(平成3)年10月、周防灘沖の地震で頭部が落下し、他も風化していたため、台座の横に埋められていましたが、2003(平成5)年再建されました。
和気清麻呂については、「北九州のみどころ」の「足立公園」と「北九州点描」の「竹馬川」をご覧ください。
この地で和気清麻呂は、足の傷を治ったことに、祠を建て、宇佐八幡宮の助けに朝夕拝謝しました。このことが葛原八幡神社の起こりといわれています。
和気清麻呂像の横に、二つに折れた葛原八幡宮旧跡の石碑が残されています。
和気清麻呂像から左に離れた所に石碑が大小二つ建っています。右は安部熊之輔夫妻が建立した明治天皇の御製の石碑で、左は安部熊之輔頌徳碑です。
これが大きい方の安部熊之輔頌徳碑です。1928(昭和3)年、福岡県の農会の人達が、安部熊之輔の業績を讃えて建立しました。
和気清麻呂像から桜並木を通らずに、真っ直ぐ南に下りて来ます。国道10号線の旧道手前で突き当たりになります。そこに左右に伸びている道は旧中津街道筋です。そこを左折して東に進みます。左手に葛原八幡神社の鳥居があります。
参道を進んで行きますと、本殿の見える所の手前の両側に猪が見えます。猪の背に乗って清麻呂は宇佐八幡宮に詣でたという故事にならい、狛犬の役を猪がしています。
817(弘仁8)年清麻呂の子真綱(まつな)が勅命で宇佐八幡宮を詣でた折、葛原八幡神社旧跡の地で亡父の霊を拝していた時神託があり、父の霊をこの地に合祀しました。
葛原八幡神社の祭神は神功皇后・応神天皇と和気清麻呂です。
葛原八幡神社の本殿の横に、2006(平成18)年和気清麻呂像が建立されました。


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