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都島展望公園
  戸畑区牧山  [2016/03/19]
 

 
都島展望公園は、牧山の洞海湾に面した北側斜面にあります。牧山の北の洞海湾にあった都島を埋め立ててできたのが牧山海岸です。島の名前が公園に残されています。
江戸時代まで、牧山には牧場がありました。平安時代末期、源義仲と頼朝に義仲追討を命じられた範頼・義経の間で、宇治川の合戦がありました。その合戦では、義経軍の佐々木高綱と梶原景季(かげすえ)の宇治川先陣争いが有名です。名馬生月(いけつき)に乗った高綱が摺墨(するすみ)に乗った景季を制して、先陣を切りました。生月はこの牧山の産と伝えられています。

江戸時代より、米とともに石炭が遠賀川から堀川や江川を利用して洞海湾の奥に入り、その出口に近い若松に運ばれました。底の浅い川艜(かわひらた)、別名五平太船で運ばれました。明治になっても川艜で石炭は運ばれました。1891(明治24)年若松‐直方間の筑豊興業鉄道(のち筑豊鉄道と改称されます)が開通しました。若松築港会社が設立され、防波堤が築かれ、浚渫工事が進められました。
 
若松築港により浚渫工事が進められ、浚渫土砂による埋立工事が進められました。国土地理院の5万分の1小倉の地形図の一部で、左は1900(明治33)年、右は1972(昭和47)年のほぼ同じ区域の地図です。

1895(明治28)年日清戦争が終わり、、若松築港により戸畑沿岸改修と葛島周辺埋立工事が出願され、3工区に分けて工事は行われました。第3工区の葛島周辺埋立は1897(明治30)年に竣工しました。天籟寺川河口の東が第1工区、西が第2工区でした。九州鉄道の戸畑停車場の造成と敷設工事を前に第1工区と第2工区の半分が1900(明治33)年竣工しました。

日清戦争後、我国は重工業の発達に力を入れ始めたため、その基礎資材の鉄の需要が高まり、1997(明治30)年洞海湾岸の遠賀郡八幡村に官営製鐵所が設立されました。同年筑豊鉄道は九州鉄道(現在の鹿児島本線の前身を開通させた)と合併し、九州鉄道になりました。1901(明治34)年官営製鐵所は操業を開始しました。当時の黒崎ー小倉間は、現在のJR鹿児島本線の海岸ルートと違い、内陸ルートでした。しかし、1902(明治35)年、海岸ルートが開通し、戸畑駅が開業しました。戸畑駅が開業すると、第2工区の半分に位置する牧山埠頭では石炭が船積みされました。

1905(明治38)年日露戦争は終わり、船舶・鉄道・工場の動力源である石炭の需要は急速に高まりました。1907(明治40)年九州鉄道は国有化されました。第2工区の残り半分と追加分を合わせて埋立し、1912(大正元)年竣工しました。埠頭には大型汽船が3隻接岸し、埋立地は新川貯炭場になりました。第2工区の埋立てにより、牧山の北にあった都島はなくなりました。

1966(昭和41)年鹿児島本線の小倉・折尾間が複々線化された際、戸畑・枝光間は、旅客専用線が山手側に牧山トンネルと高架で新設されました。そして、従来の線路は貨物専用線になりました。現在、戸畑・枝光間のJRは、旅客線は内陸のトンネル、貨物線は海岸沿いの別々の経路をたどります。都島展望公園は、JRの貨物線で二分されています。牧山側と海岸側で、行き来するには遠回りする必要があります。
県道50号八幡・戸畑線から見た牧山です。牧山郵便局前交差点から都島展望公園に向かいます。山手の斜面地に建つ住宅の間の、車一台しか通れない狭い道を上って行きます。
   
都島展望公園に着きました。一番高い所にある展望台の背後の牧山の最高部には、若松海上保安部牧山信号所があります。牧山信号所には電光表示板があって、洞海湾を航行する船舶の安全と円滑な海上交通のために航行管制を行っています。  
   
一番高い所の展望台から洞海湾を眺めています。手前が都島展望公園です。北東方向には若戸大橋が見えます。
若松側の左端の高い建物は、複合商業施設ベイサイトプラザ若松です。この付近から右にかけての海岸を若松南海岸といいます。ここには若松が石炭の積出港として栄えた時代の建物が残されています。詳しくは「北九州のみどころ」の「若松南海岸」をご覧ください。
   
若松側の洞海湾岸に集合住宅が並んでいます。そこは、若松が石炭積出港であった時代の若松駅の構内でした。貨車で運ばれた石炭は、機帆船や汽船に載せられ、全国に運ばれました。現在は久岐の浜ニュータウンに生まれ変わっています。山の右端は高塔山の展望台です。
高塔山については「北九州のみどころ」の「高塔山公園」をご覧ください。
 
   
若松の山は石峰山です。一番高い所が山頂です。その下の海岸沿いの建物は若松体育館です。
石峰山については「北九州点描」の「石峰山」をご覧ください。
   
手前洞海湾の緑の部分は葛島(かつらじま)です。葛島の向うに洞海湾は伸びています。左側の奥が洞海湾の深奥部になります。右側の水路との間は二島の埋立地です。葛島手前の水路を左に進むと泊地になります。
昔、葛島は島でしたが、1959(昭和34)年八幡製鐵所は埋め立てて、洞岡(くきおか)と陸続きになりました。海面は泊地で、山は皿倉山です。
皿倉山からの眺望は「北九州のみどころ」の「皿倉山」をご覧ください。
 
   
都島展望公園では野球場が建設中です。戸畑の中心地の浅生には浅生球場がありますが、浅生球場と浅生小学校、戸畑高等専修学校の跡地に、新スポーツ施設が建設中です。2001(平成13)年浅生小学校と戸畑小学校が統合されて、戸畑小学校で戸畑中央小学校が発足しました。戸畑高等専修学校は北九州中央高等学園の隣接地に移転しています。そして、浅生球場の機能は、都島展望公園に新設される球場に移されます。駐車場も完備され、都島展望公園はスポーツ系の地域拠点公園になります。
   
県道50号八幡・戸畑線に戻り、戸畑駅方向に向かいます。JRの旅客線の高架が県道50号八幡・戸畑線と交差している牧山交差点を北に入ります。JRのガードをくぐると、道は左右に分かれます。右に進みますと、パチンコ店の横を通って、突き当たりになります。そこを左折します。JRの貨物線の側を通って進みます。貨物線沿いの道は、先で二つに分かれます。左の坂を上って行く道が都島展望公園の入口の道になります。現在は野球場の工事中で、ここからは入れません。右側に貨物線が見えます。  
   
都島展望公園は、既に訪れた牧山の斜面地のある公園と海沿いにある公園に分かれます。海沿いの都島展望公園へは、間に線路があるため、直接の行き来はできません。先程の突き当たりの三叉路まで戻り、そこを直進します。戸畑警察署の横を北に行った、天籟寺川沿いの汐井町交差点に出ます。そこを川沿いに北に行き、JR鹿児島本線の踏切を越えて、次の牧山橋で、天籟寺川を渡って西に行きますと、牧山海岸の工場団地になります。工場団地を通り過ぎますと、その突き当りにグランドがあり、その横に駐車場があり、海岸沿いに遊歩道が完備されています。
   
海岸側の都島展望公園から若戸大橋を眺めています。昔は若戸大橋の先が洞海湾の入口でしたが、埋立が進み、現在の湾の入口は橋のずっと先になりました。橋の下には河と(白に斗の字)島と記され、「かばしま」とも「かわとじま」とも呼ばれた中ノ島がありましたが、1940(昭和15)に切り取られました。洞海湾は明治以来、日本の産業の近代化とともに変貌してきています。
若戸大橋の反対側、洞海湾の奥になります。左は葛島です。右の高台は、若松から洞海湾に突き出た岬の山(はなのやま)です。その背後が藤ノ木になります。右端の建物は若松体育館です。  
   
葛島です。陸続きになって新日鐵住金八幡製鐵所八幡洞岡地区の先端に当たりますが、緑地が残されています。
   
葛島の南側です。山は皿倉山で、海面の奥は泊地です。泊地沿いに八幡製鐵所八幡東田地区の工場が見えます。その先に東田第一高炉のモニュメントが見えます。
東田の詳細は、「北九州のみどころ」の「東田」をご覧ください。
 


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