北九州点描

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鞘ヶ谷 
 戸畑区  [[2012/06/16]
 

 
鞘ヶ谷(さやがたに)は北側に開いた、三方が丘陵地に囲まれた谷間です。丘陵地に囲まれた地形が刀の鞘に似ていたため、鞘ヶ谷と呼ばれれたようです。戦前から八幡製鐵所の社宅が建てられ、戦後も早い時期から木造の社宅が建てられ、長屋の社宅で地域の大半が占められました。現在、社宅はコンクリートの4階建てに建替えられ、一般の住宅やマンションも建てられ、ショッピングセンターもあります。西から北にかけて国道3号線戸畑バイパスが丘陵地を下って来て、東から南にかけては、金比羅山のある中央公園から市立美術館のある中央緑地にかけて丘陵地が連なります。中央を県道51号曽根・鞘ヶ谷線が通っていて、南の八幡東区七条から坂道を上り、峠を過ぎると鞘ヶ谷になります。坂道を下りて高架の戸畑バイパスを過ぎて進むと、天籟寺に到ります。
1901(明治34)年11月18日、遠賀郡八幡町の製鐵所(唯一の官営製鉄所のため、こう呼ばれた)で作業開始式が盛大に行われました。第一次世界大戦中の1917(大正6)年、鉄鋼一貫の一大製鉄所をつくる目的に、戸畑に東洋製鉄が設立されました。第一次世界大戦後、日本は戦後恐慌に見舞われ、1921(大正10)年東洋製鉄の経営は八幡製鐵所に委託され、八幡製鐵所戸畑作業所となりました。戸畑で生産された銑鉄が船で八幡に運ばれました。これを陸上輸送に切り替えることと、製鐵所の拡張により増大した廃滓を埋立処分のために戸畑に運ぶ必要から、1930(昭和5)年八幡・戸畑間に八幡製鐵所により鉄道が敷設されました。この鉄道は、製鐵所の動力源の蒸気発生の燃料に利用された石炭殻と、鉄鉱石の溶融から生じる鉱滓の輸送から炭滓線や鉱滓線とも呼ばれましたが、石炭殻や鉱滓の輸送がなくなり、1972(昭和47)年からくろがね線と呼ばれています。
製鐵所の創業で、八幡には人々が集まり、商人達も機会を窺って集まり、物価は騰貴しました。製鐵所は、従業員に生活物資を廉価に分配して生活の安定を図るため、1906(明治39)年購買会を発足させました。八幡製鐵所の厚生施設としての購買会の店は分配所と呼ばれ、社宅周辺に立地しました。製鐵所は1934(昭和9)年官民が合同して日本製鐵となりました。鞘ヶ谷分配所は1931(昭和16)年4月に開店しています。「八幡製鐵ビルディング株式会社史1」によりますと、鞘ヶ谷分配所には浴場と理髪所が併設され、施設能力は400世帯で、「鞘ヶ谷社宅地区は辺鄙な所で施設なきため、同地居住者の利用に充てる」と記されています。鞘ヶ谷社宅の北側数百mの所に炭滓線は通っていましたので、炭滓線は通勤にも使われたといわれています。
戦災従業員の収容や復興生産に伴う従業員の増加に対処するため、応急的な木造社宅が鞘ヶ谷には建設されました。1950(昭和25)年、日本製鐵は民営の八幡と富士など4社に分割されました。この後、八幡製鐵所の重点は八幡から戸畑に移されて行きます。八幡製鐵所は、1961(昭和36)年発足の堺製鐵所、1965(昭和40)年発足の君津製鐵所の兵站基地の役割を担います。1970(昭和45)年に八幡と富士は合併して新日本製鉄となりました。鉄鋼業界は大型化と新鋭化が進められ、八幡製鐵所の鉄源部門は戸畑地区に集約されていきました。
鞘ヶ谷社宅は老朽化し、昭和50年代には空室が目立つようになりました。昭和60年代にはコンクリートの4階建てに建替えられました。遊休地は一般の住宅地やマンション、ショッピングセンターになっています。  
国道3号線戸畑バイパスを小倉方面から八幡方面に進みます。戸畑バイパスは昭和40年代初めに完成しました。皿倉山を正面にバイパスの坂道を上って行きます。途中、歩道橋の先に左折の道がありますので、そちらに入って行きます。この先の道から鞘ヶ谷が一望できます。
   
バイパスから入って来た道からです。緑と赤の屋根は八幡製鐵所の社宅です。緑と赤の間を県道51号曽根・鞘ヶ谷線が通っています。戦後木造の社宅の後、1950(昭和25)年から八幡東区の桃園、平野、八幡西区の穴生と大規模な鉄筋コンクリート社宅が建設されました。同じ戸畑区の一枝にも建設されました。これらの鉄筋コンクリート社宅のほとんどが、現在撤去されています。  
   
南側の丘陵地の上に、北九州市立美術館があります。磯崎新の設計で、1974(昭和49)年に建てられました。美術館の南側は八幡東区高見で、この丘陵地を挟んだ南北に、八幡製鐵所の社宅用地がありました。
北九州市立美術館の詳細は、「北九州点描」の「北九州市立美術館」をご覧ください。
高見の詳細は、「八幡のまちかど」の「高見」をご覧ください。
   
バイパスから入って来た道を進みますと、坂道に突き当たります。下りは後に、まず右折して上って行きます。左手に鞘ヶ谷陸上競技場があります。
鞘ヶ谷陸上競技場は、1940(昭和15)年八幡製鐵所の鞘ヶ谷競技場として開設されています。メキシコオリンピックの銀メダリスト君原健二が所属した陸上部、全国制覇を果たしたサッカー部のホームスタジアムでした。北九州市は老朽化した競技場を新日本製鐵から譲り受け、2002(平成14)年改修し、北九州市立鞘ヶ谷陸上競技場になりました。
上って来た坂道を下りて行きます。右折した所を過ぎて、左にカーブする所から左に、この小道に入って行きます。先に見えるのが小川に架かった「ほたるばし」です。
中央高台に見えるのは、バイパスから入って来た道の一段下にある、チャペルとレストランの鞘ヶ谷ガーデンです。千草ホテルの経営です。
 
   
「ほたるばし」の手前の左手に見える「ほたるの里」の水路です。この水は1972(昭和47)年に開通した山陽新幹線のトンネルからの湧水です。この水路でゲンジボタルの幼虫が飼育されます。この水路は、見えませんが右手でもう一段折り返して、手前に戻って来ます。
   
「ほたるばし」を渡った先を左に行きます。ここが「ほたるの里」です。中央上の右、新幹線のトンネルの湧水が滝になって石垣の貯水槽に流れ落ちます。貯水槽の水が左の先程の水路に流れ出ます。もう一つ左の様に流れ落ちて、左の方に流れ出ます。
左の先では川床に水生植物が植えられ、ホタルの幼虫の餌であるカワニナ(川蜷、淡水産の巻き貝)が生育されています。
カワニナ飼育場の先で、ホタル飼育水路が合流して「ほたるばし」の下を流れます。
「ほたるばし」の下流から上流を見ています。先が「ほたるの里」です。この流れが天籟寺川として流れて行きます。天籟寺川は戸畑区内を流れ、洞海湾に注ぎます。
 
   
「ほたるの里」の下流に「鞘ヶ谷ほたる公園」があります。向こう側の「鞘ヶ谷ほたる公園」の表は、県道51号曽根・鞘ヶ谷線に面しています。こちら側の公園の裏側の天籟寺川に、「いこいばし」と「きずなばし」が架かっています。
この地区も長い間ホタルの姿が消えていました。「ホタルが舞う天籟寺川に蘇らせたい・自然を大切にする心を育てたい」の熱意で、1982(昭和57)年「鞘ヶ谷ほたるの里づくりの会」でホタル飼育の取り組みが始まりました。会を中心にした地域の活動と行政の後押しで、ホタルの自然生育の環境が整い、「ほたるの里」から「鞘ヶ谷ほたる公園」の下流までの天籟寺川で、毎年ホタルの飛翔を見ることができます。
毎年5月下旬から6月上旬の2日間、「鞘ヶ谷ほたる公園」で「鞘ヶ谷ホタルまつり」が行われます。
「きずなばし」から下流の天籟寺川のホタルが飛んだ光跡です。5月下旬から6月上旬の「ほたるの里」から「鞘ヶ谷ほたる公園」の下流で、たくさんではありませんが、確実にホタルが飛翔しているのを見ることができます。
「鞘ヶ谷ほたる公園」の南側に、鞘ヶ谷陸上競技場からの道が県道51号曽根・鞘ヶ谷線に接続する鞘ヶ谷交差点があります。
鞘ヶ谷交差点の東側、「鞘ヶ谷ほたる公園」の反対側に水が流れ出しています。新幹線のトンネルの湧水です。
県道51号曽根・鞘ヶ谷線公園を挟んだ「鞘ヶ谷ほたる公園」の反対側に、新幹線トンネルの湧水の水路がつくられています。鞘ヶ谷小学校の生徒さんにより、「さやっ子せせらぎ」と命名されています。
このせせらぎの東鞘ヶ谷交差点の下流で、県道の西側を流れていた天籟寺川が、県道の下の暗渠で東側に流れて合流します。
   
天籟寺川沿いを下流の北に行くと、「ショッピングパークさやがたに」があります。そこに「スピナマートさやがたに」があります。
戦前八幡製鐵所の購買会は共済組合でしたが、戦後八幡製鐵所の直営となり、厚生課が所管しました。1952(昭和27)年八幡製鐵ビルディング株式会社が設立され、厚生課が所管していた商品販売が移管されました。そしてその他、賃貸ビル、タクシー、ホテルを始めました。1971(昭和46)年からはテツビルストアとして、従業員だけでなく、一般顧客向けのスーパー事業を始めました。1986(昭和61)年社名が株式会社テツビルに変更されました。1993(平成5)年社名が株式会社スピナに変更されました。2006(平成18)年スーパーの西鉄ストアを傘下に持つ西鉄が新日鐵からスピナの株を90%を取得して子会社化しました。2009(平成21)年西鉄は残り10%株を取得し、スーパーマーケット事業を西鉄ストアに統一して移管しました。
県道51号曽根・鞘ヶ谷線から「ショッピングパークさやがたに」の南を東に進みます。正面に125mの金比羅山が見えます。金比羅山の麓に鞘ヶ谷小学校があります。金比羅山周辺は中央公園です。
中央公園の詳細については、「北九州のみどころ」の「中央公園」をご覧ください。
 
   
鞘ヶ谷小学校は、1949(昭和24)年に開校しました。1983(昭和58)年ホタル舎が完成し、ホタル飼育活動が始まりました。この活動は地域と連携してきました。校内のホタル舎の裏に人工川がつくられ、そこにはホタルの幼虫と幼虫の餌のカワニナがいます。秋に飼育してきたホタルの幼虫を人工川と天籟寺川に放流します。


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