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天籟寺
  戸畑区  [2011/12/03]
 

 
天籟寺(てんらいじ)は戸畑区の中南部に位置します。南の八幡東区七条橋交差点から北上します。七条橋交差点を南に行けば都市高速の山路出入口になり、東西は旧電車通りです。区境の丘陵地を越えると、戸畑区鞘ヶ谷です。鞘ヶ谷を下ると、高架の国道3号線戸畑バイパスの下をくぐり、高架の新日鐵専用鉄道、くろがね線の下をくぐった先を天籟寺通りと呼びます。
かって天籟寺通りの東西を天籟寺といいました。古代にあった寺院で、廃寺になった天籟寺による地名といわれています。ここでは現在の地名の菅原、天籟寺、夜宮を訪ねます。天籟寺には菅原道真の話が伝えられています。
菅原氏は代々学問に優れた家柄でした。道真も学問の家を継承していましたが、讃岐守に任ぜられました。帰任後、宇多天皇は道真を抜擢しました。宇多天皇による政治改革を道真は推進しました。宇多天皇は醍醐天皇に譲位します。道真は右大臣まで昇進しましたが、藤原氏をはじめとする有力貴族の反発を買いました。901(延喜元)年、左大臣藤原時平の讒言により、道真は大宰権帥(だざいのごんのそつ)に左遷され、大宰府に赴きました。
天籟寺に伝わる菅原道真の話は次の通りです。日がとっぷりと暮れたある日、天籟寺に数人の人が一晩の宿を頼みました。寺の人は断りましたが、強く頼まれたため、一番鶏が鳴くまでということで承知しました。しかし、素性のわからない者達を早く追い払いたいため、寺の小僧さんに鶏の鳴くまねをさせました。休んで間がない旅人達を夜中に起こし、追い出そうとしました。旅人達は不平を一言も言わず、お礼を言って、枝光方面に旅立ちました。この旅人達が菅原道真の一行だったことが後で分かりました。気の毒に思った村人達は、尊敬する菅原道真をこの地に祀ったといわれています。
天籟寺通りには、短い距離の間に5つの交差点があります。南から夜宮3丁目、夜宮2丁目、夜宮、天籟寺2丁目、天籟寺です。夜宮交差点からは東になんじゃもんじゃ通りが伸びています。天籟寺2丁目交差点を左折して、天籟寺川に架かる橋を渡り、山手に上って行きます。坂道を右にカーブすると、先方の右手に菅原神社の鳥居が見えます。その手前、坂道の左手に史蹟菅公御手洗の池の石碑が立っていて、奥に進む細道になっています。
   
細道の奥に菅公御手洗の池があります。菅原道真が天籟寺に泊まられた折、手を洗われた池と伝えられています。
坂道に戻り、菅原神社の鳥居に向かいます。鳥居の左手の奥、道路脇に菅原神社の駐車場があります。この坂のある丘陵地を越えると、八幡東区枝光に到ります。  
   
村人達によって菅原道真を祀ったのが、この菅原神社といわれています。
903(延喜3)年、菅原道真は大宰府で亡くなりました。その20年後、藤原時平の関係者に不幸が続きます。道真の怨霊のせいだといわれます。時の勢力は時平の系統以外の藤原氏に移り、その藤原氏主流によって道真の霊は祀られます。それが北野天満宮です。道真の埋葬地には安楽寺が建てられます。安楽寺は大宰府政庁の幹部達の崇敬を集め、神仏習合で大宰府天満宮となっていきます。
北九州には、菅原道真の大宰府へ下向の際の伝承が多く残されています。
   
菅原神社には菅原道真のほかに、須賀大神と貴船大神が祀られています。
須賀大神の祭神は須佐之男命(すさのおのみこと)です。菅原神社の夏祭りは戸畑祇園で、境内は天籟寺大山笠の宿になります。戸畑祇園については「北九州の催事」の「戸畑祇園」をご覧ください。
   
菅原道真といえば牛です。菅原神社本殿の横に臥牛の像があります。その横に、菅原道真が愛用していた牛の蹄の跡といわれるものが遺されています。
   
菅原神社境内に天神之水が出ます。地下の深い所から汲み上げられています。菅公の御霊験あらたかなのか、たくさんの方がおいしい水を持ち帰っています。  
   
道路を挟んだ菅原神社の反対側に、菅原公園があります。公園として整備され、こちらから菅公御手洗の池に行くこともできます。菅原公園の北西角です。この一帯は天賀(てんが)城跡です。城は公園の南側の天礼寺山にありましたが、公団住宅(現在都市再生機構)の造成で消滅しました。
   
菅原公園の北西角に、中央の天賀城跡の石碑が立っています。戦国時代末期、天賀城は麻生氏の家臣天賀二郎三郎永行(ながゆき)の居城でしたが、大友宗麟の兵に攻められ、城主以下家臣は全滅して落城しました。石碑の前の五輪塔が天賀永行の墓といわれています。
天籟寺通りに戻ります。天籟寺2丁目交差点から北側の天籟寺交差点に向かいます。天籟寺交差点を右折します。左折した先は沖台通りになります。天籟寺交差点を右折すると、天籟寺バス停があります。バス停の前にお地蔵さんが祀られています。
天賀城は、天籟寺住職の大友方への城の機密の密告で落城したといわれています。落城の際、城主の姫達は乳母や侍女とともに到津まで落ち延びましたが、力尽き自害しました。天籟寺にはこれ以来災難や不幸事が続き、住職も不幸な最期を遂げました。このため、土地の人々は姫達の霊を慰めるために、地蔵を祀りました。姫様を祀っているため、白粉(おしろい)を塗ると願が叶えられたということで、願をかけて白粉を塗るようになりました。
天籟寺通りを南に戻り、夜宮交差点を左折し、なんじゃもんじゃ通りを進みます。なんじゃもんじゃの木は、街路樹として植栽されている木犀科のヒトツバタゴです。4月下旬から5月にかけて多くの白い花が咲きます。
通りの右手に天籟寺小学校が見えます。その手前を右折して、天籟寺小学校の横の通りに入って行きます。
 
   
小学校の横に細長い屋根が伸びています。その下に夜宮の大珪化木があります。
   
夜宮の大珪化木は、1940(昭和15)年夜宮地区の区画整理中に、6mの地中より発見されました。3,500万年前の地層に埋もれていました。露出部分が12.9mあり、全体で40mある日本で最大級の珪化木です。1957(昭和32)年国の天然記念物に指定されました。
広葉樹の幹に石英の成分の珪酸がしみ込んで、化石になりました。3,500万年前のこの地は、亜熱帯の暖かい気候で、巨木が生い茂る森林地帯でした。
天籟寺小学校の前をなんじゃもんじゃ通りを進むと、夜宮公園に着きます。公園の前に花菖蒲を栽培している池、夜宮池が広がっています。
花菖蒲と夜宮公園は、「北九州のみどころ」の「夜宮公園」をご覧ください。
 


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