北九州点描

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石峰山
  若松区  [2013/10/12]
 

若松区の東半分は、北が響灘、南が洞海湾に挟まれた半島です。石峰山は、その中央に東西に連なる山塊で、標高302mが最高峰です。山頂近くは大石が多いため石峰の名が付いたといわれています。山塊の北側は傾斜は緩やかで、南側は急です。南側の洞海湾を隔てて、その南に標高622mの皿倉山があります。約6,500万年前に始まる新生代の断層運動で北の石峰山と南の皿倉山の間が陥没し、海水が流入しました。新生代のうちの約260万年前に始まる第四紀は氷河時代です。この時代の寒冷期に河川が谷をつくり、洞海湾が形成されていきました。

1809(文化6)年、幕命により、外敵に備えて肥前・筑前・豊前国に烽火(のろし)台が築かれました。石峰山山頂の南西部の8合目に、その烽火台のひとつが築かれました。しかし、1816(文化13)年には廃止されました。

1901(明治34)年八幡製鐵所が操業を開始すると、洞海湾の南側沿岸には工場群が帯状に形成されていきました。1941(昭和16)年の太平洋戦争勃発直前に、北九州工業地帯の防空強化のために西部防空旅団(西部8060部隊)を設置しました。そのうち若松と八幡に設置されたのが防空21連隊(西部8061部隊)でした。北の若松側には石峰山や高塔山等12箇所に防空陣地が設置されました。これに呼応するように南側の八幡側にも防空陣地が構築されました。戦争に入り、最初は勝ち戦でしたが戦況が次第に悪化し、1944(昭和19)年に入ると八幡の空襲が2度あり、1945(昭和20)年8月15日終戦の1週間前の8月8日に最大の八幡の空襲がありました。この間防空部隊の名称や編成は幾度も改変されていきました。

玄海遊歩道は高塔山公園から石峰山を通ってグリーンパークに到ります。石峰山に登り、下山するのに玄海遊歩道を通ります。
石峰山を、洞海湾の対岸の八幡西区築地町から眺めています。中央山上に鉄塔が見える所が標高302mの山頂です。この連山を石峰山といい、左右に更に連なっています。ここから眺められる連山のうち、東の標高124mの高塔山と西の標高221mの岩尾山を除いた連山が石峰山
です。
   
東から石峰山に登ります。JR若松駅から高塔山公園の山頂への行程は2.0kmです。高塔山公園から石峰山山頂までは3.0kmです。高塔山公園の山頂から西に下りて行くと十字路に出ます。左に行くと若戸大橋・若松駅方面、右に行くと小石方面、そこを直進します。坂道を登り、右手にある高塔山広場の前を過ぎて右にカーブした所からの北側の眺めです。左側は響灘洋上の白島男島(右)と女島(左)です。右側にはひびき灘臨海工業団地の北端に立っている風力発電機の風車が見えます。
ひびき灘臨海工業団地付近は、「北九州点描」の「響町」をご覧ください。
坂の上までアスファルト舗装です。その先に仏舎利塔が見えます。  
   
仏舎利塔の内部です。仏舎利塔は、1956(昭和31)年、釈尊入滅2500年を記念して建立されました。インド政府から贈られた仏舎利が祀られています。
   
仏舎利塔の敷地入口手前の横の草地に、細い道が下っています。林の中を進むと、北の西畑町と南の宮丸を結ぶ道路の峠付近に出ます。道路を横切ると、高塔山墓苑があります。墓苑の中の坂道を登ります。ここからは北の響灘側と南の洞海湾側の眺めが望めます。
標高622mの皿倉山、その右が618mの権現山で、その右が490mの帆柱山です。手前の海面が洞海湾です。その沿岸に並ぶ工場は、新日鐵住金八幡製鐵所の八幡地区の洞岡です。
墓苑の中の坂道を登って行きますと、アスファルト舗装の道が砂利道に変わります。しばらく登って行くと、左手に反射板のある鉄塔があります。更に登ると高圧線の鉄塔があり、その先にこのような車両の進入を防ぐ黄色の柵がある道が林の中に続いています。ここまで高塔山公園から1.6km、石峰山山頂まで1.4kmです。  
   
林に入って間もなく左手に2つ目の高圧線の鉄塔があり、その先は下り坂になります。左手の視界が開けて先方に山腹の右側が見えます。坂を下って行った鞍部に道標が立っています。右折は菖蒲谷方面です。直進は石峰山山頂まで1.0kmです。ここから上りになります。
菖蒲谷については、「北九州点描」の「菖蒲谷池」をご覧ください。
   
鞍部の道標の先を進みますと、健康峠と書かれた手作りの竹のベンチがある休憩所があります。その先を登って行きます。左手に3つ目の高圧線の鉄塔があり、道は緩やかになります。その先はこのような上り坂になります。  
   
道は一旦緩やかになり、その先は更に上り坂です。道に石を見かけるようになります。先を進むと傾斜は急になり、石がごろごろして歩きにくくなります。登りきると、林を抜けます。
   
林を抜けた所は、車1台程が通れる砂利道がU字型に曲がる角です。道標が立っています。石峰山山頂100mです。左側に登るとすぐ右手に電波塔があります。その横から洞海湾側が望めます。
山は左から皿倉山、権現山、帆柱山です。権現山と帆柱山の間の遠くに見えるのは、北九州市小倉南区、直方市、福智町の境界にある標高901mの福智山です。緑が重なってよく見えませんが、権現山と帆柱山の間の下に標高351mの花尾山、その右下のなだらかな緑が標高213m河頭(ごうとう)山です。その下の街中にある小山が、耐火煉瓦の黒崎播磨構内の標高41mの妙見山です。その左は新日鐵住金八幡製鐵所の八幡地区の洞岡です。
坂を登りますと標高302mの石峰山山頂に着きます。山頂の広場にはこのような鉄塔が立っています。麓からは連山ですので山頂は分かりにくいのですが、これらの鉄塔で石峰山山頂と確認できます。防空陣地だったことが分かるような遺構はほとんど残っていません。  
   
林を抜けた道標が立っている所まで戻り、U字型の角を曲がり、反対側の坂を下ります。一旦下って、先の坂を登った左手にコンクリート造りの展望所があります。
   
展望所からは、東から若松北海岸、芦屋町、岡垣町、宗像市の海岸を展望することができます。
これは西方向の眺望です。海を挟んだ手前の住宅地は、若松区と隣接する芦屋町の戸建ての団地です。左手の陸地の端は、手前が岡垣町波津の波津城で、その後ろは宗像市鐘崎の鐘ノ岬です。島は手前が宗像市の地島(じのしま)、重なった後が同じく大島です。大島付近までを響灘、その西は玄界灘になります。九州では、北部九州の北側の海を玄海灘と呼ぶこともあります。
展望所から緩やかに下ったすぐ先で、道が二つに分かれます。右が下りで、左が上りになります。左を登ります。こちらは今光東公園を始点とする石峰山登山の藤ノ木コースです。
しばらく登るとこのような草地の広場になります。石峰山八合目の広場です。江戸時代には烽火台があり、戦時中は防空陣地でした。しかしその痕跡は現在はありません。
 
   
2008年5月17日の撮影です。八合目の広場にこのような軍事遺構が残されていました。戦時中、防空部隊が配置され、高射砲陣地があったようですので、その施設の一つと思われます。撮影当時、その跡地は地中深くえぐられ、四駆やモトクロスの練習場になっていましたが、現在は平坦な草地になっています。
   
先程の分れ道に戻り、下り道を進みます。石峰山山頂から続く砂利道を下ります。アスファルト舗装の道路と交差します。道標が立っています。ここまで高塔山公園から4.3km、ここからグリーンパークまで5.8kmです。交差する道の右方向は、砂利道で小石方向になります。左方向は林道上水上線で、ここはその終点になります。こちらを下って行きます。
林道上水上線を下って行きますと、岩尾山の横を通り、水上観音寺の前に出ます。そこが林道上水上線の始点で、そこまで1.8kmです。3つの溜池の横を進みます。3つ目の一番下の溜池は、水はなく堰堤だけが見えます。水上観音寺から3つの溜池の先までは、道路は狭く車1台程です。その先は住宅地の中の車が離合できる下り坂になります。下りきった所が国道199号線の東二島2丁目交差点になります。ここまでが林道上水上線を含めて3.4kmになります。東二島2丁目交差点近くに市営バスの道岸(どうぎし)バス停があります。市営バスは東は若松駅、若松渡船場方面、西は折尾、黒崎方面に到ります。
 
   


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