北九州点描

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ほら貝祭
  若松区乙丸  [2014/04/25]
 

 
ほら貝祭は、若松区乙丸(おとまる)の貴船神社に伝わる祭りです。乙丸には、江戸時代の「筑前国庄の浦壽命貝(じゅみょうがい)由来記」が伝えられ、4月15日ほら貝祭が行われます。ほら貝祭のいわれは、次の通りです。

1782(天明2)年、奥州津軽で、山道に迷った芦屋の商人が、一人の女に一晩の宿を頼みます。その女は、男が筑前の人ということで、不思議な身の上を話します。私は筑前山鹿近くの庄の浦に住んでいた海女の娘です。病にかかり、日に日に衰えていた時、子供達がほら貝を採って帰り、食べさせてくれました。おかげで元気になりました。しかし、それ以降不老不死になり、夫や子供、孫も亡くなったのに、600年も生き永らえていました。女の話は続きます。故郷に住み辛くなり、旅に出ました。途中で、夫婦になったこともありますが、歳をとらず、化け物と思われ、逃げ出しました。放浪の末、津軽にやって来て、この家に嫁いでいます。故郷を出る時、船留めの松の側の祠に、ほら貝を納めてきました。どうなったか分かりませんが、私の子孫がいれば、近くに行った時、この話をしてください。芦屋の商人は、この年、庄の浦を訪ね、女の子孫にこの話を伝えました。

乙丸は北九州市の北西端に位置します。北側の西が響灘、東が有毛(ありげ)に接します。東側の北は有毛、南は蜑住(あまずみ)です。南側の東は大鳥居(おおとりい)、西は新興住宅地の青葉台です。西側の南は青葉台と同じく新興住宅地の花野路、北は遠賀郡芦屋町に接します。

平安時代、現在の頓田貯水池の東側の若松区は、大宰府の観世音寺の荘園でした。その西側の若松区と芦屋町山鹿はどこの荘園だったかは不明です。県道26号北九州・芦屋線の大鳥居交差点の西側を、大鳥居の小字で正の江(しょうのえ)と呼びます。平安時代庄家(しょうげ)があり、庄の家が転化して正の江になったと思われます。庄家とは、荘園領主が任じた荘官が荘園管理を行った建物でした。正の江の南を江川が東西に流れ、東側を北から南に流れて来た坂井川が江川に合流します。坂井川は東の蜑住と西の大鳥居の境になる川です。蜑住は、かって洞の海(洞海湾)の入江が入り込んでいて、その海浜に海人が住んでいたので、海人住が転化したといわれています。

正の江の西側に戸明(とあけ)神社があります。大鳥居の地名は、中世、麻生氏が小竹(おだけ)に白山神社を建立の際、大鳥居に大きな鳥居を建てたことからといわれています。しかし、かって大鳥居の戸明神社は、北西方向の海岸にあった創建時の戸明神社の遙拝所で、そこに鳥居を建てたといわれていることの方が有力かもしれません。坂井川を北に遡って行きますと、乙丸の集落の近くに到ります。その付近を庄の浦といいます。これは庄家の裏が転化したといわれています。乙丸の地名ですが、乙丸という人がいて、その人の名田があったことから地名になったと思われます。乙丸の人物については今のところ不明のようです。

江戸時代以前には、乙丸は有毛村の枝郷でした。有毛村の枝郷には蜑住・大鳥居・高須・浅川・小敷・塩屋がありました。江戸時代に入ると、それぞれ分村しました。さて乙丸は、江戸時代から1889(明治22)年まで乙丸村でした。1889(明治22)年蜑住・有毛・乙丸・大鳥居・小敷・高須・浅川・払川・塩屋村が合併して、江川村になりました。1908(明治41)年洞北村と江川村が合併して島郷(しまごう)村となり、1931(昭和6)年若松市に編入されました。乙丸は農村地帯で、乙丸の中央から北側の有毛にかけて、若松ゴルフ倶楽部のゴルフ場が広がっています。
県道11号有毛・引野線と県道26号北九州・芦屋線が交差する、大鳥居西交差点から県道県道11号有毛・引野線を北上します。右手に江川小学校が見えてきます。その先芦屋と蜑住を結ぶ道路と交差する稲国交差点を直進しますと、左手に乙丸の集落に入る道があります。左手の丘陵地の中に、貴船神社はあります。貴船神社では八重桜が咲き誇っていました。
   
鳥居をくぐったすぐの、石段の右手の斜面に、「神功皇后船留之松跡」の石碑が立っています。
神功皇后は、船で岡津(芦屋)を目指して江川を進みますが、船が進まなくなりました。そこで、神功皇后は、船を留め、貴船神社を祀らせ、自ら松を植えました。
 
   
4月15日、人々が貴船神社に集まって来ます。この日、ほら貝祭があります。
   
午前10時、ほら貝祭の神事が始まります。真ん中の三宝に載せられているのがほら貝です。  
   
人々が神社に集まる頃からほら貝は吹かれ、神職の祝詞奏上の後、参列者の玉串奉奠から祭りの終わりまで吹かれます。
   
神事が終わると、神職がご神体のほら貝からお神酒を注ぎます。集まった人々は、お神酒をいただき、不老長寿を祈願します。  
   
大鳥居西交差点の東にある大鳥居交差点です。県道11号有毛・引野線は学研都市内を通り、大鳥居西交差点の北を通る部分は新たにつくられた道路です。
手前は神功皇后、そして豊臣秀吉が名護屋に赴いた際に通ったと伝えられている江川に架かった汐分橋です。汐分というのは、この付近が洞海湾と遠賀川の汐が干満でぶつかったり、分かれたりする場所になります。左右の道路が県道26号北九州・芦屋線で、向こうに進む道路が有毛方面に向かう、かっての県道折尾・有毛線です。その左側を坂井川が流れていて、汐分橋の所で江川に合流します。坂井川は東の蜑住と西の大鳥居の境になりますし、北に行くと東の有毛と乙丸の境になります。左の丘陵地に大鳥居の戸明神社があります。この丘陵地と、坂井川と江川に囲まれて区域が正の江と呼ばれる所です。
江川については「北九州点描」の「江川」をご覧ください。
   
北に進むと、西側を通る県道11号有毛・引野線に合流します。その先、右手に江川小学校が見えてきます。この辺りが乙丸の南東端です。
1938(昭和13)年4月、大鳥居小学校、有毛小学校が廃されて、島郷第二尋常小学校が創立されました。1963(昭和38)年、五市合併に伴い、北九州市立江川小学校と改称されました。
左が江川小学校で、右に丘陵地が見えますが、その中に貴船神社はあります。丘陵地の中や周辺が乙丸の集落になります。県道の側を坂井川が流れ、江川に流れ込みます。
 
   
芦屋と蜑住を結ぶ道路と交差する稲国交差点を直進しますと、左手に乙丸の集落に入って行くる道のガードレールが見えます。乙丸は農村地域です。
その先も坂井川沿いに県道11号有毛・引野線は続きます。先の丘陵地の麓を川は流れますが、県道は右に分かれて行きます。
県道11号有毛・引野線を北上しますと、国道495号線との有毛交差点に出ます。国道495号線は、有毛交差点の左の芦屋方面から来て、交差点で北に方向を変え、ひびき臨海工業団地に向かいます。
有毛交差点を左折して、国道495号線を西進します。
   
有毛交差点から国道495号線を西進しますと、右手に若松ゴルフ倶楽部のクラブハウスが見えてきます。1954(昭和34)年にオープンしたゴルフ場です。次の交差点を左折すると、ゴルフ場の入口になります。
若松ゴルフ倶楽部の公式サイトは次の通りです。
  http://www.wakamatsu.or.jp/
 
   
その交差点を右折して、ゴルフ場入口と反対の道を北に行きます。すぐに若松乗馬倶楽部があります。
若松乗馬倶楽部の公式サイトは、下記の通りです。
  http://741-2190.jimdo.com/
   
馬は見るだけでも癒されます。
若松乗馬倶楽部の先を進みます。
 
   
若松乗馬倶楽部の先を行くと、響灘が見えてきます。その先は遠賀郡芦屋町です。来た道を振り返っています。右の道路が見えなくなる辺りから先が若松区乙丸です。左手の海岸は、隣の有毛のうちで、北に当たる岩屋の海岸です。手前の海岸で、戸明神社は創建されたといわれています。詳しくは「北九州点描」「有毛」をご覧ください。
交差点に戻り、直進します。ゴルフ場入口を過ぎて南に進みます。坂道を下って行くと、青葉台の北側の交差点に出ます。そこを左折して、東に進みます。左手に行学幼稚園があります。行学幼稚園は浄土宗の真龍寺に隣接しています。ソチ冬季オリンピック、モーグル代表の村田愛里咲(むらたありさ)選手が教諭をしています。
行学幼稚園の横の細い坂道を進み、切通しを通って下って行くと、ほら貝祭の貴船神社の前に出ます。
   
行学幼稚園の前の道路を東に少し行くと、戸脇神社があります。蜑住の戸明神社本宮の下に、安屋、有毛、大鳥居、高須に戸明神社はありますが、ここ乙丸は戸脇神社になっています。
戸脇神社の前を東進すると、稲国交差点に出ます。これで乙丸を一周しました。
 


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