北九州点描

ホーム


学研都市ひびきの  若松区・八幡西区  [2012/08/25]]
学研都市ひびきのは、若松区の西部から八幡西区の北西部にかけての、現在進行形の学術研究機能をもつ創造的な都市です。若松区の塩屋・小敷及び八幡西区本城の丘陵地を開発してつくられています。
北九州学術研究都市は、先端科学技術の教育・研究を行う大学や研究機関を集積させ、アジアの中核的な学術研究拠点を目指し、北九州市が培った産業技術の集積と、学術研究都市の研究開発機能とを結び付けることにより、新たな産業の創出や、既存の地域産業の高度化を図ろうというものです。この目的のために、周辺の環境を生かしながら、教育・研究機関の集積と良好な住宅地の供給を行う都市整備事業が進行中です。平成7年から17年度までの第1期事業が完了し、大学や研究所などの施設のある地域は「ひびきの」の新町名が付けられています。この南部地区整備事業は、独立行政法人都市再生機構が事業主体となっておこなわれ、開発された街を学研都市ひびきのと呼びます。現在は平成14年度からの北九州市が事業主体の第2期事業が進行中で、平成26年度まで北部地区整備事業が行われる予定です。更に第3期事業も計画されています。事業が完了した南部地区とともに開発中の北部地区も見ていきます。

開発されている北九州学術研究都市は、若松区の塩屋・小敷のほぼ全域と八幡西区本城の北西部の丘陵地に及びます。ここではほぼ全域になる塩屋(しおや)と小敷(こしき)について少し見てみます。北側に江川(えがわ)が流れ、舟尾山を境に東が塩屋で西が小敷です。江川の塩屋の対岸は払川、塩屋と小敷の対岸は蜑住(あまずみ)、小敷の対岸は大鳥居、高須です。江川は、北九州市若松区と八幡西区の境界の洞海湾奥と、遠賀郡芦屋町の遠賀川河口を結ぶ河川です。江川の東は洞海湾に注ぎ、西は遠賀川の河口に合流し、遠賀川は響灘に注ぎます。そのため川の流れは、二つの海の潮の干満に影響されます。江川は古くから舟運に使われました。神功皇后が洞海湾から江川を通って、芦屋に着いたことが伝えられています。時代は下って、豊臣秀吉も神功皇后に倣って、肥前名護屋に行く際、江川を通って芦屋に着いています。小敷には太閤水の史跡があります。

古くは洞海湾は塩屋辺りまで湾入していました。塩屋は、海辺で塩を焼いてつくっていたので、この名が付いたといわれています。蜑住は、この辺りに海で生活する海人達が住んでいたので、海人住、海士住とも書かれていたといわれています。1685(貞享2)〜1688(元禄元)年、蜑住から東の竹並の湾入している洞海湾岸が埋め立てられ、払川(はらいかわ)の土地ができました。中世、麻生氏が小竹(おだけ)に白山神社を建立の際、大鳥居に大きな鳥居を建てたといわれています。もうひとつは、かって大鳥居の戸明神社は有毛の海岸にあった戸明神社の遙拝所で、そこに鳥居を建てたといわれています。祭礼の際、竈(かまど)に甑(こしき、蒸し器)をかけて、神に捧げる酒食を調理しましたが、小敷は甑が転化したと思われます。

江戸時代から1889(明治22)年まで塩屋村と小敷村でした。両村とも江戸時代江川沿いに新田開作が行われました。1889(明治22)年蜑住・有毛・乙丸・大鳥居・小敷・高須・浅川・払川・塩屋の9村が合併して江川村になりました。1908(明治41)年江川村と洞北村が合併して島郷村になりました。1941(昭和16)年島郷村は若松市に編入されました。  
県道11号有毛・引野線と都市計画道路12号線の浅川中学校東交差点の県道を北に進みます。浅川中学校東交差点から上り坂で、上った左手に小池学園があります。その先坂を下りると、ひびきの入口交差点がありますので右折します。学研都市ひびきのに入って行きます。右手南側が戸建住宅地です。一つ信号を過ぎます。左手北側が大学や研究機関がある区域です。二つ目の信号を左折し、北に進みます。左に早稲田大学北九州宿舎、右に事業化支援センター、次の左に情報技術高度化センター、右に北九州市立大学留学生会館、共同開発センター、その次の左に会議場、右に体育館、その次の左に産学連携センター、その右に学術情報センターがあり、その先は学術研究都市大通りの交差点になります。
学術研究都市大通り側からの産学連携センターです。前に北九州市営バスの学研都市ひびきのバス停があります。産学連携センター内には、福岡大学大学院工学研究科が入っています。
学研都市内の大学や研究所、施設の詳細は、北九州学術研究都市(KSRP)の下記の公式サイトをご覧ください。
 http://www.ksrp.or.jp/
産学連携センターと会議場の間を西に入って行きますと、左手に九州工業大学大学院生命体工学研究科の高い建物があります。
右手には早稲田大学情報生産システム研究センターがあります。その奥には早稲田大学大学院情報生産システム研究科があります。
元の通りに戻り、反対の東側に入って行きます。北九州市立大学国際環境工学部と同大学院国際環境工学研究科があります。
学研都市ひびきの北側を東西に通る学術研究都市大通りの北側に、標高69.8mの舟尾山があります。舟尾山の東が塩屋で西が小敷です。両方の中央に舟尾山があります。登って行くと船ヶ尾神社の鳥居が立っています。舟尾山は古くは船ヶ尾山といいました。鳥居の付近は岩山になっています。鳥居の先を少し下り、その先を北側に上って行くと山頂に着きます。山頂には祠があります。かって山頂には天水分神(アマノミクマリノカミ)が祀られていましたが、1924(大正13)年小敷の八剱神社に合祀されました。かっては山頂で雨乞祈願が行われていました。舟尾山は江川の中程に位置し、沿岸では一番高い山でしたので、山頂から江川を航行したり、外海を航行する船を眺めることができました。
   
この地図は、国土地理院発行の2万5千分の地形図(折尾)を使用しました。平成10(1998)年の部分修正測量の地図の一部です。
北九州学術研究都市が開発される直前の様子が分かります。巻頭の右図よりほんの少し広い範囲の地図です。開発前と変わらない場所が3個所あります。それを基準に比較して見てください。
標高69.8mの舟尾山山頂。それより右、東に行って縦書きの塩屋の文字の左下に神社の記号があります。塩屋の八剱(やつるぎ)神社です。船尾山山頂より左、西に行って横書きの小敷の文字の右上に神社の記号があります。小敷の八剱神社です。塩屋の八剱神社、舟尾山山頂、小敷の八剱神社は概ね東西に並んでいます。この地図を見て、次からの写真を見ると、短期間での開発の様子が分かります。
舟尾山の鳥居の手前を右手南側に一段下りると祠があります。その横から南側の学研都市ひびきのを一望できます。
手前の道路は学術研究都市大通りです。中央の建物は産学連携センターです。道路を挟んで、左に学術情報センターがあり、その奥は北九州市立大学国際環境工学部です。産学連携センターの右は早稲田大学情報生産システム研究センターで、その奥は九州工業大学大学院生命体工学研究科です。背後の一番高い山は標高622mの皿倉山です。
舟尾山の山頂からは、東方向の北側を眺めることができます。
右端の建物は、学術研究都市大通りの北側にある技術開発交流センターです。その左上に二つの緑の岡がありますが、その手前側は塩屋の八剱神社です。北部地区は現在開発中で、こちらはその東側、塩屋側です。
舟尾山の山頂から北方向や西方向は樹木で眺められませんが、北西方向は少し眺めることができます。
手前は北九州学術研究都市北部地区で、現在開発中です。右側に茶色の平屋の建物が見えますが、その手前を江川が流れています。茶色の建物の向こう側は県道26号北九州・芦屋線の大鳥居西交差点です。後程その付近に行きます。遠くの海は、若松区岩屋と芦屋町山鹿沖の響灘です。
 
   
学術研究都市大通りと県道11号有毛・引野線との学研大通り西交差点から県道を北に行くと、左折の小道があります。そこを下って行きますと、小敷の八剱神社の前に出ます。石段を昇って行くと、2001(平成13)年に建て替えられた社殿があります。
祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)です。創建年は不明ですが、江戸時代の社殿の再建、修改築の棟札があるそうです。船ヶ尾神社の天水分神が合祀されています。祭礼は蜑住の戸明神社が執り行います。
   
小敷の八剱神社の前から東方向の眺めです。山は舟尾山で、道路は県道11号有毛・引野線です。その間は開発中の北部地区の西側、小敷側です。右端の戸建住宅は開発後に建てられました。その左側も順次住宅地になります。
八剱神社の前の道路を北に進みます。この道は昔からあります。山の麓に道は通っていて、その道筋に集落が点在します。江川の南側が開けて農地になっています。江川に架かった小敷橋を渡ると県道26号北九州・芦屋線に出ますので、右折して次の大鳥居西交差点を左折して県道11号有毛・引野線に入ります。
県道11号有毛・引野線の汐分大橋からの眺めです。江川の右手は開発中の北部地区の北西側になります。江川も改修工事中です。江川の先の橋も汐分橋といいます。この付近は汐分と呼ばれる場所で、この付近が洞海湾と遠賀川の汐が干満でぶつかったり、分かれたりする場所になります。左の建物は若戸病院で、右の建物は介護老人保健施設グリーンヒル若松です。
県道11号有毛・引野線を南に進み、学研大通り西交差点に戻って来ました。交差点を左折して、学術研究都市大通りを東に進みます。
江川については、「北九州点描」の「江川」をご覧ください。
学術研究都市大通りの東側で道路は直角に曲り、南に向かいます。その曲り際の東側に緑の茂った岡があり、そこが塩屋の八剱神社です。詳細は不明ですが、本城の八剱神社から勧請して塩屋の産土神としたと伝えられています。この社殿は1996(平成8)年に建立されたものですが、その前年に慶応年間(1865−68)に建立されたといわれていた社殿は焼失しました。祭神は日本武尊ですが、多くの神々が合祀されています。祭礼は蜑住の戸明神社が執り行います。  
   
八剱神社の西側横の道路を南に進みます。都市計画道路12号線とのひびきの南1丁目交差点に出ます。
直進してそのまま南に進めば、本城に到ります。交差点の右側、ナフコの先までが若松区で、その先は八幡西区本城です。左側は八幡西区本城です。本城学研台と新町名が付けられていますが、学研都市内の本城側といえます。この道路を進むと3つのトンネルになっています。本城と学研都市との間の道路は、自然保全のためにトンネルと池に架かった橋でつながれています。
本城については、「北九州点描」の「本城」をご覧ください。
   
ひびきの南1丁目交差点を東西に通るのが都市計画道路12号線です。交差点を東に行くと、坂を下りて江川を渡って払川になり、県道26号北九州・芦屋線に出ます。南部地区の事業は完了して、交差点の近くは道路沿いの店舗も、その奥の住宅地の建物も立ち並んできましたが、払川寄りの地域はまだ空地があります。  
   
ひびきの南1丁目交差点を西に行くと、坂を上って行きます。右手に北九州市立大学国際環境工学部が見えます。その手前は運動場になります。左手には商業施設があります。北九州市立大学国際環境工学部の先に同大学の留学生宿舎や教員宿舎があり、この道路の坂の頂上付近になります。その先は下り坂になり、最初の浅川中学校東交差点に出て、県道11号有毛・引野線と交差します。
   


You Tube でこのページの動画がご覧になれます
この先をクリックしてください → 学研都市ひびきの


トップへ

北九州点描へ

ホームへ